第64話:静寂の笛と魂の声
「――さあ、公爵。次は、あなたの番です」
私の、挑戦的なまでの言葉。
大謁見の間の全ての視線が、ヴァレリウス公爵、ただ一人に注がれる。
彼は、一瞬だけ、その表情に冷たい怒りをよぎらせたが、すぐにそれを、完璧な、そして、余裕に満ちた笑みで覆い隠した。さすがは、一筋縄ではいかない北方の雄。
「はっはっは! 実に素晴らしい! 法務大臣殿、あなたのその、国を想う透明性への献身、全ての貴族の鑑ですな!」
彼は、芝居がかった仕草で私を称えると、言った。
「もちろん、我がヴァレリウス家に、隠し立てするものなど、何一つございません。喜んで、我が家に伝わる家宝を、皆様の前に、ご開示いたしましょう」
彼の合図で、側近たちが、一つの、豪奢な装飾が施された木箱を、厳かに運び込んできた。
箱が開けられる。
中に、ビロードの布に包まれて、鎮座していたのは――一本の、笛だった。
まるで、古びた骨を削り出したかのような、青白い木肌。そこに、銀色の、複雑なルーン文字が、びっしりと刻み込まれている。
美しい、だが、どこか、見る者の心を不安にさせる、不気味な静寂をまとった笛だった。
「これは、我が家の始祖が、精霊王より賜ったという、『精霊封じの笛』」
ヴァレリウス公爵は、誇らしげに説明する。
「その音色は、いかに荒ぶる精霊の怒りをも鎮め、その地に、静寂と、平穏をもたらすと言われております。まさしく、古の盟約を守護するための、聖なる遺物です」
彼は、その笛を、王国を守るための、慈悲深い道具として、見事に演出してみせた。
宮廷魔術師長ダリウス卿が、その笛の「魔法監査」を開始する。
彼が、鑑定魔法の光を、笛へと注いだ、その瞬間。
私の右手の甲が、ズキン、と、再び、痛んだ。
だが、それは、セレーネ川の源流で感じた、あの、拒絶するような激しい痛みではない。
もっと、胸が締め付けられるような、深い、深い、哀しみの感情が、紋章を通じて、私の心に流れ込んでくる。
(……これは……。「鎮める」のではない。「沈黙」させている……)
(精霊たちは、平穏を得ているのではない。その声を、その存在を、無理やり、檻の中に、閉じ込められている……!)
(これは、守護の道具などではない。魂を、縛るための、**『檻』**だ……!)
私の「鍵」の力が、普通の魔術師には視えない、その遺物の、本当の貌を、私に、伝えていた。
やがて、ダリウス卿が、鑑定を終える。
「……報告します。この遺物から、邪悪な闇の魔力は、一切、検出されませんでした。公爵閣下のお言葉通り、極めて強力な……『鎮静』と『抑制』の力が、込められております」
その報告に、ヴァレリウス公爵は、満足げに微笑んだ。彼の勝利を、誰もが確信しただろう。
だが、私は、静かに、一歩、前へ出た。
「ダリウス卿。あなたの鑑定は、魔術師として、常に、完璧ですわ。ですが、あなたは、道具の『機能』を分析されたに過ぎない。その道具が作られた『意図』や、その道具がもたらす、本当の『結果』までは、視てはおられない」
私は、ヴァレリウス公爵に、向き直った。
「公爵閣下。あなたはこの笛が、精霊を『鎮める』と、おっしゃいました。では、お尋ねします。囚人は、牢獄の壁によって、心を鎮めるのでしょうか? 奴隷は、その鎖によって、平穏を得るのでしょうか?」
私の言葉に、公爵の、完璧な笑みが、初めて、わずかに、揺らいだ。
「この楽器が奏でるのは、調和などではありません。ただ、絶対的な、**『沈黙』**です。それは、二つの種族の対等な『契約』であるはずの、古の盟約の精神そのものを、踏みにじる、一方的な、支配の思想!」
そして、私は、最後の一撃を、放った。
「――最後の質問ですわ、公爵。この笛は、精霊を『支配』するための、究極の道具。そして、先日のセレーネ川の事件は、精霊の力が『支配』され、吸い上げられた事件。この、あまりにも出来すぎた偶然。あなた様の、その、ご高説を、お聞かせ願えますかしら?」
私が、二つの事件を、一本の線で繋いだ、その瞬間。
彼の、完璧な仮面は、ついに、砕け散った。
その瞳の奥に、隠しようのない、冷たい怒りの炎が、燃え上がったのだ。




