第60話:王都への帰還と新たなる戦場
セレーネ侯爵領からの帰路、私たちを迎えた王都の空気は、以前とは明らかに違っていた。
南部の危機を救った法務大臣――その報せは、すでに王都の隅々にまで広まっていたのだ。すれ違う貴族たちの視線には、あからさまな尊敬と、そして、ほんの少しの畏怖が混じっていた。
法務省にある私の執務室は、すぐさま、新たな「作戦室」となった。
テーブルに広げられた王都の地図を、私、カイン、ユリウス、そして、今は私の最も信頼する相談相手となった姉のリリアーナが、囲んでいる。
「――面白い手を打ってきたものだな、ヴァレリウス公爵は」
ユリウスが、もたらされた情報を元に、感心したように言った。
「『古代遺物の管理に関する、臨時御前会議』だと? 我々が『古の盟約』の件で彼を追及する前に、自ら、その土俵を準備し、議題の主導権を握ろうというわけか」
「罠ですわね」と、姉が静かに続けた。「彼が提唱する会議に私たちが反対すれば、『何か隠していることがあるのではないか』と、他の貴族たちに疑念を抱かせることになる」
「ああ。そして、賛成すれば、我々は、敵が用意した戦場で、敵のルールで戦うことになる」
カインが、苦々しげに呟いた。
三人の的確な分析を聞きながら、私は、静かに、そして、不敵に微笑んだ。
「ええ、その通りですわ。これは、罠。ならば、その罠、私たちが、逆利用させていただきましょう」
私は、立ち上がると、宣言した。
「私も、法務大臣として、この『臨時御前会議』の、共同主催者として、名を連ねます」
私の言葉に、三人が息を呑む。
「そして、その権限において、議題を一つ、追加するのです。『王国が所有する、全ての古代遺物に対し、その魔力特性と、現在の管理状況に関する、徹底的な“魔法監査”を実施する』と」
「もちろん、その最初の対象は、最も多くの古代遺物を収集している、ヴァレリウス公爵、あなた自身の家からですわね、と」
敵の仕掛けた舞台に、ただの役者として上がるのではない。
自らも主催者となり、その舞台のルールそのものを、こちらに都合よく書き換えてしまう。
私の反撃の一手に、ユリウスが、楽しそうに笑った。
「ククク……なるほどな。敵の剣を奪い取り、その切っ先を、相手の喉元に突きつける、か。実に、君らしいやり方だ」
作戦の骨子が、固まっていく。
私が、盟約の法的な解釈について、さらに思考を巡らせた、その時だった。
ズキン、と。
こめかみに、鋭い痛みが走る。目の前が、一瞬、ぐらりと揺れた。
手の甲の紋章が、また、私の感情と魔力に呼応して、疼き始めているのだ。
「ルクレツィア!」
一番に、私の異変に気づいたカインが、その立場も忘れ、私の名を呼び、駆け寄ってくる。
「どうした! 顔色が悪いぞ!」
「……大丈夫です、カイン卿。少し、考えすぎただけですわ」
私は、彼の心配を振り払うように、気丈に答えた。
だが、内心では、冷たい汗が流れていた。
(……まずいわね)
グランヴィル公爵との戦いは、法と論理の戦いだった。
だが、これから始まる、ヴァレリウス公爵との戦いは、違う。
「古の盟約」という、魔法そのものが、争点となる。
私が、その問題について考えれば考えるほど、私の内に眠る、この「鍵」の力は、否応なく、その存在を主張し始めるだろう。
私は、法務大臣として、この国の法と秩序を守らなければならない。
だが、同時に、私は、この世界の理そのものである、魔法の「鍵」でもある。
法と、魔法。
論理と、奇跡。
その二つの、相反する存在が、今、私の中で、激しく、せめぎ合っていた。
これから始まる戦いは、外の敵とだけではない。
私自身の、内なる戦いでもあるのだと、私は、この時、はっきりと、予感していた。