第59話:民衆の喝采と二人の誓い
私たちが、山の源流から侯爵の城館へと戻る道は、来た時とは、全く違う光景に包まれていた。
死んでいた川に、水が戻った――その報せは、燎原の火のごとく、渇いた大地を駆け巡っていたのだ。
沿道には、どこから集まったのか、数えきれないほどの人々が、私たち調査団の帰りを、今か今かと待ちわびていた。
私たちの乗る馬車が姿を現すと、地鳴りのような、大歓声が巻き起こった。
「法務大臣様だ!」
「我らの川を、お救いくださった!」
「ルクレツィア様、万歳!」「ありがとう、ありがとう……!」
投げかけられるのは、貴族たちの、打算に満ちた賞賛ではない。大地と共に生きる、民衆からの、飾り気のない、魂からの感謝の言葉だった。
彼らは、花を投げ、涙を流し、深く、深く、頭を下げて、私たちの馬車を見送った。
私は、その光景を、ただ、言葉もなく、見つめていた。
検事として、法務大臣として、私が本当に守りたかったものは、これだったのだ、と。心が、熱く震えた。
***
その夜。
城館のテラスから、私は、月明かりに照らされ、きらきらと輝きながら流れる、セレーネ川を眺めていた。
背後に、静かな足音が近づいてくる。振り返らずとも、それが誰なのかは、分かっていた。
「……美しい眺めですね」
隣に立ったカインが、静かに呟いた。
「ええ。本当に」
私は、彼に向き直る。「カイン。今日の、あの場所で……ありがとうございました。あなたは、私の突拍子もない策を、信じて、剣を振るってくれた。もし、あなたが一瞬でも躊躇っていたら、私たちは、今頃……」
「言ったはずです」
彼は、私の言葉を遮った。「俺のいるべき場所は、あなたのそばだと。俺は、あなたが信じるものを、信じると決めたのです」
彼は、昼間の、民衆の熱狂を思い返すように、遠い目をした。
「そして……今日、あの人々の顔を見て、改めて、確信しました。俺が、この命を懸けて仕えるべき主は、あなたしかいない、と。あなたの騎士であることを、俺は、誇りに思います」
その、実直で、どこまでも誠実な言葉。
それが、どんな愛の言葉よりも、私の心を、強く、そして、温かく満たしていく。
私たちは、しばらくの間、ただ黙って、二人、夜の川を見つめていた。その沈黙が、何よりも、心地よかった。
だが、その静寂は、突然、破られた。
一人の従者が、慌てた様子で、私に一つの魔法の道具を差し出してきた。ユリウス殿下からの、緊急の、通信魔法だった。
私が、その通信水晶に魔力を通すと、ユリウスの、いつもより、少しだけ、険しい声が響き渡った。
『――ルクレツィア嬢か。どうやら、敵の正体が、はっきりと、見えてきたようだ』
「どういうことですの?」
『君が発見した、あの石の紋章。私の諜報網で照合した結果、やはり、北方の古代貴族、ヴァレリウス公爵家のものだと確定した。彼こそが、過激派組織「精霊解放戦線」の、首謀者で間違いない』
『そして、奴が、動いたぞ』
ユリウスは、衝撃的な、第二の情報を告げた。
『たった今、王都の私の部下から、連絡があった。ヴァレリウス公爵が、国王陛下に対し、『古代遺物の管理に関する、臨時御前会議』の開催を、正式に嘆願した、と』
『――奴は、王都に来る。我々の、この舞台に、自ら、上がってくるつもりだ』
敵は、もはや、影の中に隠れてはいない。
彼は、堂々と、私たちの前に、その姿を現そうとしているのだ。
私は、眼下に広がる、平和を取り戻した領地を見つめ、そして、静かに、しかし、強く、呟いた。
「ええ……。望むところですわ」