第57話:呪いの石と大地の悲鳴
セレーネ川の源流は、死の世界だった。
ひび割れた大地、枯れ果てた草木、そして、よどんだ魔力が、まるで瘴気のように立ち込めている。
その中心に鎮座する、あの黒い石。それは、この土地の全ての生命を吸い上げる、悪性の腫瘍そのものだった。
「お、おぉ……なんという、おぞましい……。悪魔の石だ……」
セレーネ侯爵が、恐怖に震え、後ずさる。
「侯爵、お下がりください」
私の右手の甲の紋章が、石に呼応するように、ズキズキと痛んだ。だが、私はその痛みに耐えながら、冷静に、検事として、この「犯行現場」の分析を開始した。
「カイン卿。石に直接触れず、周囲の状況を調べてください。何か、痕跡はありますか」
「御意」
カインは、プロの捜査官の目で、慎重に地面を調べ始める。
「……足跡があります。かなり消えかかっていますが、複数人分。そして、この石の重さを考えれば、並の人間が運んだものではない。屈強な男が数人がかりか、あるいは……強力な魔術師が、魔法で設置したか」
彼は、鞘に収めたままの剣の先で、石の根元を軽く突いた。その瞬間、パチパチ、と、黒い静電気が走り、剣先が弾かれる。
「防御の結界が張られています。物理的な接触は、危険です」
私は、彼の報告を聞きながら、石に刻まれた、あの禍々しいルーン文字を、手元の手帳に、正確に描き写していく。
奇妙なことに、この紋章の痛みが、私のペン先を導いているかのようだった。私の「鍵」の力は、ただのセンサーではない。この、違法な魔法の「契約書」を、理解しようとしているのだ。
「……これは……」
描き終えたルーンを眺め、私は、その機能の核心にたどり着いた。
「破壊の魔法ではありませんわ。これは、**『収奪』**の魔法式。寄生型の、魔法契約です」
「収奪……?」
カインが、訝しげに聞き返す。
「ええ。この石は、川の水を消し去っているのではありません。この土地の、そして、この泉に宿る精霊の生命力そのものを、根こそぎ吸い上げ、どこか別の場所へと、転送しているのです」
その事実に、私は戦慄した。
「これは、単なるテロ行為ではない。彼らは、この国から、力を盗み、集めている……!」
私が、その結論を口にした、その瞬間だった。
まるで、私の理解が、引き金になったかのように、黒い石のルーンが、一際、強く、禍々しい光を放った!
ゴゴゴゴゴ……!
大地が、唸りを上げて震える。
そして、周囲の、乾いた土や、枯れた落ち葉が、まるで意思を持ったかのように、次々と集まり、人の形を、いや、狼のような、歪な獣の形を、形成していく!
「なっ……! 土の、精霊……!?」
侯爵が、悲鳴を上げる。
「違う!」
私は叫んだ。「これは、精霊そのものではありません! この土地の精霊が、その力を奪われ、苦しみの果てに生み出した、成れの果て! 痛みに狂った、大地の悲鳴ですわ!」
泥と枯葉でできた、数十体の歪な獣たちが、その空ろな瞳を、一斉に、私へと向けた。
私の手の甲に宿る「鍵」の光に、引き寄せられるかのように。
「ルクレツィア、下がれ!」
カインが、即座に剣を抜き、私の前に立ちはだかる。
だが、獣たちは、次から次へと、地面から湧き出してくる。数では、圧倒的に不利だ。
戦うべきは、この獣たちではない。
私は、痛む手を抑えながら、全ての元凶である、あの黒い石を睨みつけた。
あれを、止めなければ。
だが、一体、どうやって?
絶望的な問いが、私の頭の中を駆け巡る。
獣たちの、包囲の輪は、刻一刻と、狭まっていた。




