第43話:真実という名の刃
大謁見の間に、リリアーナ・バルテルスが姿を現した瞬間、時間の流れが、一瞬だけ止まったかのように感じられた。
どよめきが、さざ波のように貴族たちの間を伝わっていく。誰もが、辺境で心を病んでいると噂されていた公爵令嬢の、気高く、そして凛とした姿に、目を奪われていた。
グランヴィル公爵の、完璧に計算された自信に満ちた表情が、初めて、明らかに動揺の色を浮かべている。
姉と私は、ホールの中央で、一瞬だけ視線を交わした。その瞳に宿る、強い意志と、私への絶対的な信頼。それだけで、私には百の援軍を得たかのような力が湧いてきた。
「証人、前へ」
国王の厳かな声に、姉は、静かに、指定された証言台へと歩みを進める。
「リリアーナ・バルテルス様」
私は、姉に向き直る。その声は、妹としてのものではない。この法廷における、ただ一人の検事としての、どこまでも公平で、冷静な声だった。
「これから、あなたに二年前の夜の出来事についてお尋ねします。この場にいる全ての者が聞き、そして陛下がご判断される、重要な証言です。あなたには、真実のみを語ることを、バルテルス家の名誉に懸けて誓っていただけますね?」
「ええ。我が魂に懸けて、誓いますわ」
姉の答えは、一点の曇りもなかった。
私は、彼女に、二年前の夜の出来事を、順を追って語らせた。
魔術師ロデリックに偽りの口実で呼び出されたこと。離宮の庭園で、グランヴィル公爵と隣国の王子に引き合わされたこと。そして、「外交のためだ」と告げられ、あの呪われた手紙を手渡してしまったこと。
彼女の証言は、淡々としていた。だが、その言葉の一つ一つが、グランヴィル公爵が仕掛けた罠の、卑劣さと巧妙さを、何よりも雄弁に物語っていた。
そして、彼女は、最後の核心を語った。
「罠にはめられたと悟った私に、グランヴィル公爵閣下は、こうおっしゃいました。『もし、この場で騒ぎ立て、無実を主張するようなら、お前の父親も、可愛い妹も、そしてバルテルス公爵家そのものも、反逆者の汚名を着せて、根絶やしにしてくれる』と」
彼女の声が、わずかに震える。
「私は……私は、愛する家族を守るため、たった一人で罪を被ることを選びました。それが、私の犯したとされる“罪”の、全ての真相です」
その気高い自己犠牲の告白に、広間は静まり返った。中立派の貴族たちの間に、同情と、そしてグランヴィル公爵への不信の色が広まっていくのを、私は肌で感じていた。
その時、グランヴィル公爵ではなく、彼の隣に控えていた宰相エルミントが、静かに一歩前へ出た。
「リリアーナ様。そのお辛い経験、心よりお察し申し上げます」
その声は、老獪な政治家らしく、どこまでも穏やかで、心優しい響きを持っていた。
「ですが、二年という長い孤独な時間は、時として、人の記憶に僅かな影を落とすこともございましょう。その悲劇的な記憶は、もしかしたら、あなたの心が生み出した、壮大な誤解、ということはございませんか?」
彼は、姉を狂人扱いするのではなく、「心を病んだ可哀想な被害者」として描き、その証言の信憑性を、巧みに、そして陰湿に貶めようとしてきた。
だが、姉は、もはや二年前の、無力な乙女ではなかった。
彼女は、宰相を、哀れむような、しかし、どこまでも澄んだ瞳で見つめ返した。
「宰相閣下。おっしゃる通り、二年間という時間は、私の記憶を変えましたわ」
その声は、静かだったが、大謁見の間の全ての者の耳に、はっきりと届いた。
「それは、かつて私が抱いていた、ナイーブな幻想を、打ち砕いてくれましたの。王家に連なる者が、自らの野心のために、血を分けた姪を、使い捨ての駒にするはずがない、という甘い幻想を」
彼女は、視線を、宰相の背後にいるグランヴィル公爵へと移す。
「叔父様が、私を切り捨てた時の、あの冷たい瞳は、今も、この目に焼き付いております。私の記憶は、決して曇っておりませんわ。むしろ、かつてないほど、鮮明です」
そして、彼女は、宰相に向き直り、最後の一撃を放った。
「私は、反逆者がどのような顔をしているのか、知っております。そして、その反逆者の隣で、全てを知りながら、国の安寧を口実に、その罪に加担する者が、どのような顔をしているのかも」
「今、この場で、その両方を見ておりますわ」
リリアーナの、魂からの言葉。
それは、どんな証拠よりも、どんな論理よりも、強く、そして重く、その場にいた全ての者の心を、打ち震わせた。
老獪な宰相ですら、完全に言葉を失い、ただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
この法廷の、最初の戦いは、私たちの、完全な勝利だった。
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