第40話:涙の誓いと反撃の序曲
ユリウス王子の宿舎の一室は、最高級の客室であるにもかかわらず、薬草と、張り詰めた魔力の匂いに満たされていた。
純白のシーツの上には、カイン卿が、血の気を失った顔で静かに横たわっている。ユリウスが召喚した王国最高の薬師たちが、彼の周りで絶えず治癒魔法と解呪の儀式を続けていた。
私は、部屋の壁際に立ち、その光景をただ、瞬きもせず見つめていた。
私の流した涙は、すでに乾ききっていた。残っているのは、心臓を直接握りつぶされるような痛みと、そして、全ての感情を焼き尽くすほどの、冷たい怒りだけだった。
やがて、治療を終えた筆頭薬師が、私の前に進み出て、静かに頭を下げた。
「ルクレツィア様。ユリウス殿下。応急処置は、完了いたしました」
「カイン卿の容体は!」
「……命に別状はございません」
その言葉に、私はかろうじて立っていた。だが、薬師の言葉は続く。
「物理的な傷は、いずれ癒えましょう。ですが、問題は、暗殺者の刃に込められていた呪いです。彼の生命力そのものを蝕む、陰湿な闇の魔法……。我々の浄化魔法で、その進行を食い止めてはおりますが、彼自身の生命力が尽きれば……。あるいは、意識が、二度と……」
薬師の言葉は、事実上の、余命宣告にも等しかった。
彼が目覚めるかどうかは、彼自身の生命力と、そして、神の御心次第。
ユリウスが、薬師たちに下ががるよう命じる。静かになった部屋で、私は、ゆっくりとカインの眠るベッドへと歩み寄った。
私は、彼の、力なく投げ出された手を、そっと両手で包み込んだ。氷のように、冷たい。
私は、その手に自分の額を押し当て、誰にも聞こえない声で、囁いた。
「……死なせは、しませんわ」
「あなたが、私のために命を懸けてくれた。ならば、今度は私が、あなたのために戦う番」
「私は、あなたが命を懸けて守ってくれた、この世界を、あなたの信じた正義がまかり通る、美しい国にしてみせます」
「だから、あなたは……必ず、帰ってきて、それを見届けなさい」
私は、彼の冷たい手の甲に、誓いを立てるように、そっと口づけをした。
それは、私の初恋の、そして、最後の恋の誓いだった。
顔を上げた時、私の瞳から、迷いの色は完全に消えていた。
部屋の入り口には、心配そうに私を見守る、姉のリリアーナと、静かに佇むユリウスの姿があった。
「グランヴィル公爵は、私の心を折るために、私の騎士を奪ったつもりなのでしょう」
私は、二人に向き直り、静かに、しかし、鋼のような意志を込めて言った。
「彼は、大きな間違いを犯しました。彼は、私から武器を奪ったのではない。私に、絶対に負けられない理由を与えてくれたのです」
私は、作戦室として使われている隣の部屋へと向かう。
そこには、グランヴィル公爵を断罪するための、全ての資料が広げられていた。
姉が、私の隣に立ち、固い決意の目で頷く。
「私も、戦うわ、ルクレツィア。証人として、法廷に立つ。あの男の嘘を、全て暴いてみせる」
ユリウスが、腕を組んで、私を見つめていた。その瞳には、もはや私を試すような色はなく、純粋な感嘆と、そして、共に戦う“同盟者”としての敬意が宿っていた。
「……何から始める、レディ・プロセキューター」
私は、一本の羽ペンを手に取った。その手は、もう震えてはいなかった。
「決まっていますわ」
私は、真っ白な羊皮紙を広げる。
「まず、グランヴィル公爵に対する、完璧な『弾劾状』を完成させます。彼が犯した全ての罪を、一つ残らず、法の名の下に」
カリ、カリ、と。
ペン先が、羊皮紙を滑る音だけが、部屋に響く。
それは、グランヴィル公爵の破滅へと続く、静かな、そして、止めようのない序曲だった。
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