第4話:偽証の代償
聖女エリアーナの、桜色のくちびるがわずかに開く。
彼女が真実を口にする、まさにその刹那だった。
「待て!」
鋭い声が、二人の間に割って入った。アルフレッド殿下だ。彼はエリアーナの肩を強く抱き寄せ、まるで私から守るかのように、険しい表情で睨みつけてくる。
「エリアーナ様に余計なことを聞くな! 彼女は、お前のせいで心に深い傷を負っているのだぞ! これ以上、彼女を苦しめるな!」
それは、聖女を気遣う恋人の仮面を被った、あからさまな“尋問妨害”だった。
だが、今の私に、そんな見え透いた脅しが通用するはずもなかった。
「殿下」
私は静かに、しかし有無を言わさぬ響きで切り返した。
「私が聞きたいのは、たった一つ。『真実』だけです。あなたが本当に聖女様を想うのであれば、彼女の潔白と名誉を証明する、この機会を奪うべきではありません。それとも、何か……聖女様が真実を語ると、あなたにとって何か不都合なことでもおありで?」
「なっ……!そ、そんなことは断じてない!」
「では、お黙りなさい」
ぴしゃり、と言い放つ。最早、彼に遠慮する必要など微塵もなかった。
王子は「ぐっ」と喉を詰まらせ、反論の言葉を見つけられないでいる。その隙を見逃さず、私は再び、庇護を失った聖女へと向き直った。
「エリアーナ様。お顔を上げてください」
先ほどよりも、さらに優しく、語りかける。怯える小動物を安心させるように。
「私は、あなたを責めるつもりは一切ありません。ただ、あなたが体験した『本当のこと』だけを、教えていただきたいのです」
私の真摯な眼差しに、エリアーナ様の瞳に宿る恐怖の色が、ほんの少しだけ和らいだように見えた。彼女は、王子の顔色を窺うのをやめ、真っ直ぐに私を見つめ返してきた。
「お尋ねします。あなたは、私があなたを突き落とすのを、ご自身の目で、はっきりとご覧になりましたか?」
大広間の誰もが、固唾をのんで彼女の答えを待っていた。
エリアーナは、一度ぎゅっと目を閉じ、そして、か細く、しかし明瞭な声で、ついに真実を口にした。
「……いいえ。見て、いません」
その一言が、全てを決定づけた。
広間が、大きくどよめく。アルフレッド殿下の顔が、蒼白を通り越して土気色に変わる。
エリアーナは、堰を切ったように言葉を続けた。涙を大粒のまま流しながら。
「背中を、誰かにドンと押されたような気がして……気がついたら、私は階段を転げ落ちていました。そして、アルフレッド様が駆け寄ってきてくださって、『ルクレツィアが! なんて酷いことを!』と……。だから、私は、てっきり、ルクレツィア様が……」
そういうことか。
王子による、完璧な「誘導」と「刷り込み」。
悪意のない、純粋な聖女だからこそ、その効果は絶大だったのだろう。
これで、勝負は決した。
私の無実は、完全に証明された。
逃げ場を失ったアルフレッド殿下は、ついに理性のタガが外れた獣のように、絶叫した。
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ! 悪女めが! 純真な聖女を誑かしおって!」
彼はもはや、論理のかけらもない、ただの罵詈雑言を喚き散らすことしかできなかった。
「ええい、問答無用だ! お前との婚約は破棄だ! 今すぐここから出ていけ! 追放だ!」
権力という、最後の、そして最も野蛮な武器を振りかざす。
だが、その無様な姿は、もはや誰の目にも哀れにしか映らなかった。
そして、その愚かな悪あがきこそが、私が待ち望んでいた、最後の引き金だった。
私は、憐れむような、しかし心の底から冷え切った視線を、かつての婚約者に向ける。
「婚約破棄? 結構です。そのようなもの、こちらから願い下げですので」
「な、んだと……!?」
激昂する王子を無視し、私は一歩、前へ出た。
この茶番の法廷を、私の真の舞台へと変えるために。
「それより、殿下」
間を置く。大広間の全ての視線が、私の唇に注がれるのを感じる。
「先ほどからあなたが繰り返している、その“私が突き落とすのを見た”という証言。神聖なる王城において、王太子という立場にありながら、あなたは虚偽の証言を繰り返している」
私は、この世界に存在しない、だが最も恐ろしい罪の名を、彼に宣告した。
「――あなたのその証言、偽証罪に問われますよ?」