第39話:白銀の誓い、真紅の代償
「貴様らに、ルクレツィア様には、決して指一本触れさせない!」
カイン卿の、魂そのものを震わせるかのような咆哮が、戦場となった中庭に響き渡った。
その凄まじい気迫に、歴戦の暗殺者集団であるはずの『紅の刃』の動きが、一瞬だけ、確かに止まった。
だが、彼らはプロだった。すぐに態勢を立て直すと、その戦術を、明確に切り替えた。
「――面白い。ならば、その守護神から先に堕としてくれる」
暗殺者たちのリーダーらしき、仮面をつけた男が、低い声で命じる。
「全員、狙いはあの白の騎士、ただ一人! 奴を仕留めれば、標的は丸裸だ!」
深紅の影たちが、一斉にカイン卿へと襲い掛かる。
それは、先ほどまでとは比較にならない、一点集中の、嵐のような猛攻だった。四方八方から繰り出される、魔法を帯びた刃。カインは、それを驚異的な技量で捌き、弾き、受け流していく。だが、その白い外套には、少しずつ、少しずつ、赤い染みが増えていった。
私は、横転した馬車の陰で、ただ、その光景を見ていることしかできなかった。
私のために、彼が傷ついていく。
私のせいで、彼が死に近づいていく。
その事実が、氷の杭のように、私の胸に打ち込まれた。
そして、ついに、その瞬間が訪れた。
カインが、三人の暗殺者を同時に相手にし、その動きがわずかに縫い止められた、ほんの一瞬の隙。
暗殺者たちのリーダーが、その好機を見逃さなかった。彼は、カインを完全に無視し、その凶刃の切っ先を、私へと向けた。
「――これで、終わりだ。正義の令嬢殿」
リーダーの短剣に、禍々しい闇の魔力が収束していく。防ぐことも、避けることもできない、必殺の一撃。
だが、その攻撃が私に届くことは、決してなかった。
「させんッ!!」
カインが、絶叫と共に、目の前の敵を強引に弾き飛ばすと、信じられないほどの速度で、私の前にその身を割り込ませた。
剣で防ぐのではない。魔法で相殺するのでもない。
ただ、その身を、盾にして。
ズブリ、と。
肉が、深く抉られる、鈍く、生々しい音がした。
リーダーの放った闇の魔力をまとった短剣は、カインの背中を、鎧の隙間から深々と貫いていた。
「……かっ……は……」
カインの口から、おびただしい量の血が、ごふりと吐き出される。
彼は、ゆっくりと、私の方を振り返った。その瞳には、激しい痛みと、そして、私を守り抜いたことへの、安らかな満足の色が浮かんでいた。
彼は、何かを言おうとして、しかし、言葉にならず、そのまま、私の腕の中へと、崩れ落ちた。
「……あ……ああ……」
私の口から、声にならない声が漏れる。
温かいはずの彼の身体が、急速に冷たくなっていく。彼の白い外套が、彼の流す血で、深紅に染まっていく。
『紅の刃』。その名と同じ色に。
(いやだ)
(死なないで)
(まだ、何も伝えていないのに)
(この胸の痛みも、焦りも、温かさも、全て、あなたのせいなのに)
(失うのが、こんなにも怖いなんて)
(ああ、そうか。私は――私は、カインのことが――)
絶望と恐怖の中で、私の心は、一つの、あまりにも単純で、そして絶対的な真実にたどり着いた。
その時だった。
甲高い軍靴の音と、トランペットの音が、遠くから響き渡ってきた。
ユリウス王子が率いる、増援部隊だ。
「ちっ!退くぞ!」
リーダーの舌打ちと共に、残った暗殺者たちは、煙のようにその場から姿を消した。
ユリウスが、馬から飛び降り、私の元へと駆け寄ってくる。
だが、私の目には、もう、彼の姿は映っていなかった。
私の世界には、腕の中で、どんどん冷たくなっていく、一人の騎士しか存在しなかった。
私は、彼の意識のない亡骸に、必死でしがみついた。
涙が、後から後から、溢れて止まらない。
「カイン! お願い、目を開けて! 私を置いていかないで!」
「命令よ! あなたは、死んではならない……!」
私は、藁にもすがる思いで、隣に立つユリウスの服を掴んだ。
「ユリウス殿下……! お願い……!」
「彼を助けて……! どんな代償を払ってでも……!」
「――私が、愛した人を……!」
それは、生まれて初めて口にする、魂からの、悲痛な叫びだった。
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