第38話:深紅の刃と白の守護
轟音と衝撃で、私の意識は一瞬、真っ白に染まった。
横転した馬車の中で、激しい痛みが全身を走る。割れた窓ガラスが、まるで鋭い刃のように肌を切り裂いた。
「ルクレツィア様! 大丈夫ですか!」
すぐそばで、カイン卿の焦燥した叫び声が聞こえる。彼は、横倒しになった馬車の扉を蹴破り、必死の形相で私に手を伸ばしてきた。
外は、爆発の煙と舞い上がる砂塵で、視界が酷く悪かった。混乱する近衛騎士たちの怒号と、狂ったように嘶く馬の音が、耳をつんざく。
そして、その騒乱の中、深紅の外套を翻し、研ぎ澄まされた殺気を纏った暗殺者たちが、まるで獲物を狩る狼のように、私たちを取り囲んでいた。
『紅の刃』。その異名通りの、血のように深い赤色の装束が、異様な威圧感を放っている。彼らの手には、黒曜石のように鈍く光る、独特な形状の短剣が握られていた。
「動くな! 動けば、即座に貴様の首を刎ねる!」
低い、蛇のような声が、カイン卿を威嚇する。だが、彼の目は、ただ一人、私だけを見つめていた。
「カイン卿……!」
私は、なんとか声を絞り出す。
「ルクレツィア様。俺が、必ずあなたを守ります」
彼の言葉には、寸分の迷いも、恐れもなかった。それは、これまで何度も私を支えてくれた、彼の揺るぎない決意の表れだった。
次の瞬間、深紅の影たちが、一斉に動き出した。
信じられないほどの速さ。それは、訓練された騎士の動きとは全く異なる、獲物を確実に仕留めるための、洗練された殺人術だった。
カイン卿は、私を庇うように前に踏み出すと、愛剣《白銀の誓い(シルヴァー・プロミス)》を抜き放った。清らかな銀の光が、暗殺者たちの深紅の装束と、不気味な短剣の輝きを切り裂く。
激しい剣戟の音が、狭い回廊に響き渡る。
カイン卿は、一人で数人の暗殺者を相手に、目にも止まらぬ速さで剣を振るう。その動きは、まるで舞踏のように美しく、しかし、一撃必殺の殺意に満ちていた。
だが、『紅の刃』の暗殺者たちも、ただの刺客ではなかった。彼らは、魔法的な身のこなしで攻撃をかわし、連携を取りながら、確実にカインを追い詰めていく。
一瞬の隙を突き、一人の暗殺者の短剣が、カインの左肩を掠めた。深紅の血が、彼の白い外套を染める。
「カイン卿!」
私の悲鳴に近い叫びが、騒乱の中に響いた。
「まだ、大丈夫です」
彼は、肩の痛みを堪えながら、私に力強く頷いた。「約束しましたから」
その時、別の方向から、新たな深紅の影が、私に向かって一直線に迫ってきた。
カイン卿は、目の前の敵から目を離すことができない。
私は、迫りくる死の影に、ただ、目を瞑ることしかできなかった。
だが、その瞬間――。
閃光のような速さで、純白の何かが私の目の前を掠めた。
鋭い金属音。
そして、私に迫っていた暗殺者の体が、信じられない方向にねじ曲がり、崩れ落ちた。
カイン卿が、肩から流れる血など気にせず、恐ろしい形相で、私を狙った暗殺者の首筋に、冷たい剣を突き立てていた。
「貴様らに、ルクレツィア様には、決して指一本触れさせない!」
彼の咆哮は、周囲の騒音をかき消し、その場にいた全ての者を、一瞬、凍りつかせた。
その姿は、まるで、白銀の鎧をまとった、怒れる守護神のようだった。
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