第35話:女王のチェックメイト
ユリウス王子の宿舎にある作戦室。その空気は、もはや逃亡者のそれではなく、獲物を追い詰める狩人の、静かで獰猛な熱気に満ちていた。
私、カイン卿、ユリウス王子、そして、二年ぶりに王都の空気を吸う姉のリリアーナ。四人の視線が、テーブルに広げられた王城の見取り図の上で交錯する。
「グランヴィル公爵は、私たちがロデリックを捕らえ、姉様を保護したことを、まだ知らないはず。彼は、私たちが守りに入っていると信じ込んでいる」
私が、口火を切った。
「ですが、それは間違いですわ。これより、私たちは反撃に転じます」
ユリウスが、興味深そうに尋ねる。
「ほう。して、その一手とは? 集めた証拠を手に、国王陛下に直訴でもするかね?」
「いいえ」
私は、きっぱりと首を横に振った。「それでは不十分です。公爵は、宮廷内に多くの味方を持つ。密室での訴えなど、彼の政治力でいくらでも握り潰され、時間を稼がれ、証拠の信憑性すら疑われるでしょう。我々が勝つためには、彼に言い訳の余地を一切与えない、完璧な舞台が必要です」
私は、指先で、王城の中心にある「大謁見の間」をなぞった。
「国王陛下に、全貴族の長を招集させ、**『臨時御前会議』**を開催していただくのです。議題は、ただ一つ。『グランヴィル公爵の国家反逆罪に関する、公開審問』」
検事としての、私の最後の戦い方。
それは、密室の取引ではない。全ての者の前で、嘘と真実を白日の下に晒す、公開法廷だった。
「閉ざされた場所では、事実は権力に捻じ曲げられる。ですが、全ての貴族の名誉と面子が懸かった公の場では、グランヴィル公爵とて、真実の重みからは逃れられません。彼に、裁判ではなく、彼自身の破滅劇を演じるための『舞台』を用意して差し上げるのですわ」
私の壮大な計画に、その場にいた全員が息を呑んだ。
その沈黙を破ったのは、姉のリリアーナだった。
「ならば、その舞台の最初の演者は、私が務めましょう」
彼女は、静かだが、鋼のような意志を込めて言った。「公爵は、私が辺境で心を病み、朽ち果てていると信じているはず。その私が、正気のまま、全ての貴族の前に姿を現す。それこそが、彼の計画を根底から揺るがす、最初の一撃になりますわ」
二年間、耐え忍んできた彼女は、もはやただの被害者ではなかった。
「そして、その噂を、効果的に貴族たちに“リーク”するのが、私の役目というわけだな」
ユリウスが、楽しそうに笑う。「『国の存亡に関わる、重大な審問が開かれる』と。面白い。最高の脚本だ。乗らせてもらおう」
カイン卿は、ただ黙って、私たちのやり取りを聞いていた。だが、その瞳に宿る炎は、これまで以上に熱く燃えている。
「……俺の役目は、これまでと変わりません。その舞台の幕が上がる日まで、そして幕が下りるその瞬間まで、あなた方全員を、何があっても守り抜く。追い詰められた獣は、最も危険ですからな」
計画は、決まった。
会議が終わり、それぞれが準備のために部屋を出ていく中、私はカイン卿を呼び止めた。
「カイン卿」
「……はい」
「これからの数日間が、おそらく最も危険ですわ。私は……あなたを、頼りにしています」
自分の気持ちを自覚してから、彼を真っ直ぐに見ることが、少しだけ難しい。
彼は、そんな私の戸惑いを見透かしたように、しかし、どこまでも真剣な声で答えた。
「存じております。そして、俺は決してあなたを裏切らない。……ユリウス殿下と、国家間の問題を起こして、俺の葬式を出す、などという事態は、御免ですからな」
不器用な冗談に、私の心が、ふわりと軽くなる。
「ええ。私も、そのつもりはありませんわ」
私たちは、短い言葉を交わしただけで、互いの覚悟と、その奥にある想いを確かめ合った。
その翌日。
私は、正装である深紅のドレスをまとい、背筋を伸ばして、国王陛下の謁見の間へと続く、長い廊下を歩いていた。
手には、グランヴィル公爵の罪状と、それを裏付ける証拠リストを完璧にまとめた、一枚の嘆願書だけを握りしめて。
巨大な扉の前で、近衛兵が私を制止する。
「これより先は、許可なくば……」
私は、その兵士の目を見据え、氷のように冷たく、そして澄み渡った声で告げた。
「国王陛下に、直接お伝えしたい儀がございます。――我が国の反逆者を断罪するための、臨時御前会議の開催を、嘆願しに参りました」
私の言葉と共に、謁見の間の巨大な扉が、ギイ、と音を立てて、ゆっくりと開き始めた。
最後の戦いの火蓋が、今、切って落とされたのだ。
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