表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

32/70

第32話:盤上の攻防と北への活路

グランヴィル公爵の執務室に、側近からの緊急報告が響き渡った。

「――閣下! 逃亡者カインとリリアーナを、北の山脈に追い詰めました。もはや袋の鼠にございます!」

報告に、公爵は満足げに口の端を上げた。全ては、計画通り。


だが、その笑みは、次の報告によって、瞬時に凍りついた。

「それが……閣下、緊急事態が。隣国が、『大規模な軍事演習』と称して、我が国との北の国境線を、複数の部隊が“誤って”侵犯したとの報せが! 現地は、一触即発の状態にあります!」


「……何だと?」

公爵の顔から、血の気が引く。偶然か? いや、このタイミングで、これほどの偶然などありえない。

(ユリウス……あの小僧、何を企んでいる……!?)

彼は、歯ぎしりした。理由は分からない。だが、この外交問題は、今すぐに対処しなければならない、王国全体の問題だ。山の中の、たかが二人を追うことよりも、優先順位は上だった。

「……ちっ! 山狩りの部隊を半分、直ちに北の国境へ向かわせろ! 隣国の若造に、アステリア王国を舐めるなと教えてやれ!」

苦渋の決断だった。彼は、まんまと敵の陽動にかかっていることなど、知る由もなかった。


***


山中の岩陰で、カインたちは、追手の角笛の音が、少しずつ遠ざかっていくのを聞いていた。

「……どういうことです? なぜ、追手が引いていく……?」

部下の一人が、訝しげに呟く。

カインにも、理由は分からなかった。だが、これが天が与えた好機であることだけは、確かだった。


「カイン様」

その時、これまで黙っていたリリアーナが、静かに口を開いた。彼女は、険しい山々の稜線と、空に輝く星々を見つめている。

「あの星……『羊飼いの瞳』と呼ばれる、北を示す星です。私の家庭教師が教えてくれました。あの星だけを見失わなければ、私たちは、この山脈で最も険しいですが、最短のルートで北の峠を越えることができます」


二年間、書物だけを相手に過ごしてきた彼女の知識が、今、ここで活路を開いた。

カインは、彼女の瞳に宿る、揺るぎない光を見て、深く頷いた。

「……承知いたしました、リリアーナ様。あなたを信じます。全員、準備しろ! 北へ向かう!」


***


「――グランヴィル公爵が、動きました。山狩りの兵力を、北の国境へ再配置しています」

ユリウスの宿舎にもたらされた報告に、私は、安堵の息を漏らした。

「……第一段階は、成功ですわね」


「君の博打は、見事に当たったわけだ」

ユリウスは、ワイングラスを傾けながら、感心したように言った。「だが、安心するのはまだ早い。グランヴィル公は、決して愚かではない。彼が、この陽動の意図に気づくのも、時間の問題だろう」


「ええ、分かっています」

私は、地図の上で、カインたちが進むであろうルートを指でなぞる。

「彼らが国境を越えるまでが、本当の勝負。公爵は、必ずや、手元に残した最も手練れの追手を、彼らに差し向けるはず……」

私の言葉は、予言となってしまった。


***


北の峠道へと続く、最後の尾根。

眼下には、雪に覆われた、隣国の広大な平原が見えていた。あと少し。あと少しで、私たちは追跡から逃れられる。

誰もが、そう思った、その瞬間だった。


アオォォォォンッ!


それは、ただの獣の咆哮ではなかった。空気を震わせ、魂を直接凍りつかせるような、禍々しい遠吠え。

カインが、即座に剣を抜き、リリアーナの前に立ちはだかった。


「……最悪だ。来てしまったか」

彼の顔から、血の気が引いている。

木々の間から、闇よりも暗い、複数の影が姿を現した。その影の額には、不気味な赤い瞳が、爛々と輝いている。


「影の猟犬シャドウ・ハウンド……!」

グランヴィル公爵が、私兵として飼っている、目標の匂いをどこまでも追い続ける、魔法の獣。

公爵は、陽動にかかりながらも、最後の、そして最悪の切り札を、私たちの元へと放っていたのだ。


赤い瞳が、一斉に、私たちを捉える。

国境線を目前にして、私たちは、逃げ場のない絶望的な死の猟犬たちに、完全に包囲されていた。

続きが気になっていただけたらブックマークと評価★★★★★いただけると嬉しく、投稿速度が上がります!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ