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第28話:天を穿つ一矢

教会の鐘楼の頂で、一人の男が猛烈な風雪に耐えながら、巨大な弓を構えていた。

ユリウス王子が「最高の目を持つ」と評した、元王宮射撃隊のマークス。彼の視線の先は、ただ荒れ狂う白一色の虚空だけ。目標である見張り台など、見えるはずもなかった。


「……正気とは思えん」

マークスは吐き捨てるように呟く。だが、彼の目には、揺るぎない集中力の光が宿っていた。

彼は、目で見ようとはしていなかった。左手に握られた小さな水晶――ユリウスから渡された、ルクレツィアの推論に基づいて魔力特性が調整されたコンパス――が、かすかな振動で、かろうじて目標の方角を示している。


彼は、魔法を付与された特殊な矢をつがえた。矢の先端に込められたのは、ただ一つ。遠くにある魔力溜まりに引かれ、それを破壊するためだけの、指向性を持つ魔力。

「――我が主の御心のままに」

彼は、祈るように呟くと、白一色の世界に向かって、その一本の矢を放った。


***


カインは、ついに雪の中に膝をついた。

全身の感覚が、麻痺していく。指先から、ゆっくりと命が失われていくのが分かった。

(……ここまで、か)

脳裏に浮かぶのは、ルクレツィアの顔。彼女に「必ず戻る」と誓った、自分自身の言葉。

(すまない……令嬢……)

彼が、重くなる瞼を閉じようとした、その瞬間だった。


キィン、と。

空気を切り裂くような、甲高い音が、吹雪の轟音を貫いて耳に届いた。

次の瞬間、はるか遠くの山の頂が、まるで星が爆ぜたかのように、一瞬だけ、強く輝いた。

直後、パリン、パリンと、無数のガラスが砕け散るような、不思議な音が山々に木霊した。


すると、嘘のように、あれほど狂ったように荒れ狂っていた風が、ぴたりと止んだ。

殺意に満ちていた雪は、ただの穏やかな綿毛へと変わり、視界は急速に晴れていく。

魔法の吹雪が、終わったのだ。


カインと、生き残った彼の部下たちは、呆然と、その光景を見上げていた。

何が起こったのかは分からない。だが、自分たちが、ありえない奇跡によって救われたことだけは、理解できた。

カインは、なぜか、直感的に悟っていた。

(……彼女か)

この奇跡が、遠く離れた王都にいる、彼女の知性によってもたらされたものであることを。


***


「――目標、破壊を確認! 吹雪、急速に消散中!」

通信水晶から、マークスの興奮した声が響き渡った。


その報告を聞いた瞬間、私は、張り詰めていた全ての糸が切れたように、テーブルに手をついてその場に崩れ落ちそうになった。全身から、力が抜けていく。

「……よかった……」

安堵の息と共に、熱いものが頬を伝った。


「君の、勝ちだな。レディ・プロセキューター(検事殿)」

ユリウスが、珍しく感嘆の声を漏らした。その顔には、いつもの余裕の笑みではなく、私のとんでもない賭けが成功したことへの、純粋な驚きが浮かんでいる。


「賭けでは、ありませんわ」

私は、涙を拭いもせず、顔を上げて言った。

「計算された、推論です。……そして、ほんの少しの、祈りが」


***


吹雪が去った山道で、カインは、ゆっくりと立ち上がった。

体力は限界に近い。だが、心には、新たな炎が灯っていた。

彼は、懐からルクレツィアのブローチを取り出すと、それを強く握りしめた。この小さな銀細工が、彼女との繋がりであり、彼の命綱だった。

「……ルクレツィア」

無意識に、彼の口から、彼女の名がこぼれた。


彼は、視線を上げた。晴れた空の下、遠くに、目的の場所が見えている。

聖エララール修道院。

一見、静かで平和なその場所に、彼の主が愛する姉君が囚われている。


カインは、生き残った部下たちに向き直ると、力強い声で命じた。

「我々は、好機を与えられた。これを無駄にするな」

「これからが、本番だ。作戦を再開する!」


静寂を取り戻した雪山を、彼らは再び進み始める。

その先にある、平和の仮面を被った、静かなる戦場へ向かって。

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