第27話:雪山の罠と遠い戦場
風が、刃のように肌を切り裂く。
カイン卿は、全身に突き刺さるような寒さの中、必死で目を見開き、前へと進んでいた。視界は、狂ったように渦巻く白一色。これは、ただの嵐ではない。雪の粒の一つ一つに、明確な殺意と、魔力が込められている。
「隊長! これ以上は……!」
部下の一人が、氷壁に手をつきながら、悲鳴のような声を上げた。彼の眉も髭も、すでに真っ白に凍りついている。
「この吹雪、異常です! 進めば進むほど、激しくなっていく……!」
「分かっている!」
カインは怒鳴り返した。「だが、引き返す道も、もはや吹雪に閉ざされている! 進むしか、道はない!」
彼の脳裏に、出発前のルクレツィアの顔が浮かぶ。彼女の、不安と信頼が入り混じった瞳。そして、「無事に戻ってきてください」という、命令。
(ここで、立ち止まるわけにはいかない……!)
彼は、懐に入れた彼女のブローチを、外套の上から強く握りしめた。その小さな銀の輝きだけが、この極寒の世界で、唯一の温もりだった。
***
「――カイン卿たちが、猛吹雪の中に……!?」
作戦室に、私の絶叫が響き渡った。
伝令からもたらされた報告は、安堵を一瞬にして絶望へと叩き落とすものだった。
「このままでは、彼らは修道院にたどり着く前に、凍死してしまいます!」
私は、地図の上でなすすべもなく立ち尽くす。カインの、あの真剣な眼差しが脳裏をよぎり、胸が張り裂けそうになる。私の知略は、この遠い場所で起きている、魔法という名の天災の前では、あまりにも無力だった。
「落ち着け、令嬢」
隣で、ユリウス王子が冷静に通信用の水晶を操作している。「私のエージェントからの情報によれば、これは大規模な天候操作魔法だ。術者は相当な手練れだろう。だが……」
彼の言葉が途切れる。吹雪による魔力の乱れで、通信が途絶えがちになっているのだ。
ダメだ。このままでは。
私が、ここで感情に呑まれてどうする。
私は、無理やり思考を切り替えた。検事としての、冷静な分析モードへ。
私は魔法使いではない。だが、私は事件を分析するプロだ。この状況を、一つの「犯罪」として捉えるのだ。
「ユリウス殿下」
私は、顔を上げた。
「これほど大規模な魔法を、長時間維持するには何が必要ですか? 強力な術者一人で可能なのですか?」
私の唐突な質問に、ユリウスは目を見張ったが、すぐに意図を察したようだった。
「いや、不可能だ。術者の他に、必ず魔力を増幅させ、術式を安定させるための**“魔法増幅器”**が、現場のどこかに設置されているはずだ」
魔法増幅器。それだ。
術者本人を叩くのは不可能でも、その「凶器」を破壊すればいい。
私は、机の上に広げられた、この地域の古い地勢図と、魔法のエネルギーが流れる「龍脈」が記された古地図を、重ね合わせた。
「これほど大規模な術式を維持するには、膨大なエネルギーが必要です。増幅器を置く場所は、龍脈が交差する、魔力の集中地点でなければならないはず」
私の指が、地図の上を滑る。
「この山脈で、条件に合う場所は三か所。一か所は麓の街道沿い。これでは目立ちすぎる。もう一か所は、あまりに南に離れすぎている。残るは……ここしかありませんわ」
私の指が止まったのは、山の頂上近くに記された、一つの小さな印。
「古い、見張り台の跡……!」
ユリウスが、私の結論に息を呑んだ。
「……素晴らしい推論だ。だが、どうする? 我々の誰も、今からそこへはたどり着けない」
「直接、行く必要はありません」
私は、最後の、そして最も望みの薄い可能性に懸けた。
「その増幅器を、遠距離から破壊すればいいのです! あなたの部下に、長距離攻撃が可能な者は? 例えば、魔法の矢を使う弓兵は!?」
私の必死の提案に、ユリウスは一瞬、逡巡した。
「……無茶だ。麓の村から見張り台までは、数キロは離れている。この吹雪の中では、肉眼で捉えることすら不可能に近い。だが……」
彼は、何かを決意したように、通信水晶を強く握りしめた。
「だが、一人だけいる。我が配下で、最高の目を持つ元王宮射撃隊の男が」
ユリウスが、水晶に向かって叫ぶ。
「今すぐマークスを探せ! 村で一番高い教会の鐘楼へ! 目標は、北の山の見張り台! 与えられる矢は、一本! たった一度の機会だ! やれ!」
その頃、カインは、膝まで積もった雪の中、倒れそうになる身体を、剣を杖代わりにして支えていた。
意識が、遠のいていく。
吹雪は、さらに勢いを増していた。
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