第23話:蜘蛛の巣の上の舞踏
作戦決行の夜。月が、まるで舞台照明のように、城の西にある離宮を青白く照らし出していた。
離宮の庭園では、カイン卿と彼の部下たちが、ダリウス卿から借りた「記憶の水晶」を、死角となる木陰や柱の陰に複数、手際よく設置していく。今宵ここで起こる全てを、一瞬たりとも逃さず記録するために。
私は、この日のためにユリウス王子が用意した、夜会の主役にもなれるほどに美しい、瑠璃色のドレスをまとっていた。
「……まるで、本当の夜会のようですわね」
平静を装って呟いた私に、カイン卿が、硬い表情で近づいてきた。
「本当に、行かれるのですね」
その声には、まだ心配の色が濃く滲んでいる。
「ええ。全ては計画通りですわ」
「令嬢」
カイン卿が、私の名を呼ぶ。その声は、いつになく真剣だった。
「何かあれば、すぐに合図を。何があっても、俺が駆けつけます」
その言葉と、真っ直ぐな眼差し。それは、ただの騎士の忠誠心だけではない、もっと深い感情の表れだった。私の心臓が、ドレスの下でとくん、と跳ねる。
私は、高鳴る胸を抑え、精一杯の笑みを作って頷いた。
「ええ、信じていますわ、カイン卿」
***
離宮のテラスで、私が一人、月を見上げていると、計画通り、最初の役者が現れた。ユリウス王子が手配した、隣国のベルガルド男爵だ。
「美しい姫君。あなた様が、この国の未来を握る鍵だとか。ぜひ、私にもそのお力添えを」
彼は、わざとらしい賛辞と共に、私が用意した偽の「国家機密書類」を受け取る芝居をする。
その、瞬間だった。
「そこまでだ、裏切り者め!」
物陰から、宮廷魔術師ロデリックが、数人の兵士を伴って現れた。彼の顔には、獲物を追い詰めた狩人のような、卑しい笑みが浮かんでいる。二年前と、全く同じ構図。
彼は、勝ち誇った表情で、私とベルガルド男爵を指さした。
「ルクレツィア・バルテルス公爵令嬢! 貴様が隣国の者に国家機密を漏洩している現場、確かに押さえさせてもらった!」
しかし、彼の勝ち誇った表情が、次の瞬間、驚愕と混乱に変わった。
私が、少しも動揺せず、むしろ憐れむような笑みを彼に向けていたからだ。
「残念でしたわね、ロデリック卿」
私が静かに告げる。
「あなたがかかったのは、蜘蛛の巣の方でしたのよ」
私のその言葉を合図に、事態は急変した。
ロデリックの背後や周囲の物陰から、カイン卿と彼の部下たち、そしてユリウスの護衛たちが、音もなく一斉に姿を現し、ロデリックと彼の兵士たちを完全に包囲していた。
「ば、馬鹿な……! なぜだ……!? この計画は、完璧だったはず……!」
自分が罠にはめられたことを悟り、ロデリックは顔面蒼白になる。
抵抗する間もなく、彼は屈強な騎士たちに取り押さえられた。
私たちの仕掛けた、完璧なおとり捜査は、一滴の血も流れることなく、鮮やかな成功を収めたのだ。
全てが終わり、捕縛されたロデリックが、悔しさと恐怖に震えながら、私を睨みつけた。
そして、彼は、まるで最後の呪いを吐き捨てるかのように、不気味な笑みを浮かべた。
「……ククク。俺を捕らえたところで、無駄だ。もう、誰にも止められんよ」
「何を言っているのです?」
私が問い返すと、彼は狂気に満ちた目で、予言のように囁いた。
「グランヴィル公爵閣下の本当の狙いは、そんな陳腐な玉座などではない……。あの方の目的は、ただ一つ。忘れ去られた、この国の真の支配者を呼び覚ますこと……」
「**『古の盟約』**が、その真の力を解放する時は、もう近いのだ……!」
意味深な言葉を残し、彼は高笑いと共に口を閉ざしてしまった。
計画は成功した。だが、私の心には、安堵と共に、黒幕の目的が自分たちの想定を遥かに超えた、より壮大で、不気味なものであるという、新たな戦慄が刻み込まれていた。