第17話:夜の取引と招かれざる客
その夜、月は雲に隠れ、王都はいつもより深い闇に包まれていた。
私とカイン卿は、約束の場所である西の広場へ向かうため、人通りの少ない裏路地を歩いていた。先ほどの手当て以来、私たちの間には、どこかぎこちない、それでいて落ち着かない空気が流れていた。
「……その、腕の傷は、もう大丈夫ですの?」
沈黙に耐えかねて口を開いたのは、私の方だった。
「ええ、これくらい、かすり傷です」
カイン卿はぶっきらぼうに答える。だが、すぐに私に向き直り、真剣な声で続けた。
「それより、令嬢こそ本当に大丈夫ですか。これから始まるのは、極めて危険な取引ですよ」
彼の瞳が、私を案じているのが分かってしまう。その眼差しから逃れるように、私は少しだけ早足になった。
「あなたがいてくだされば、大丈夫ですわ」
思わず、心の声がそのまま口から滑り出た。
言ってしまってから、はっとする。自分の言葉のあまりの素直さに、顔に熱が集まるのが分かった。カイン卿の方を見ると、彼も一瞬驚いたように目を見開き、そして気まずそうに視線を逸らした。
彼の耳が、少しだけ赤く染まっているように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
約束の場所である噴水前に着くと、ほどなくして、一人の男が怯えた様子で闇の中から姿を現した。ヘイワードだ。彼は、異常なほど周囲を警戒している。
「や、約束のものは持ってきたぞ。これで、金と、逃走用の馬車を……!」
彼が震える手で差し出したのは、通信記録用の小さな魔法水晶だった。
私がそれを受け取り、微量の魔力を通す。すると、水晶が淡い光を放ち、二人の男の会話が、音声として再生され始めた。
『――リリアーナ嬢は、必ず指定の場所へ来る。お前は、この手紙を渡すだけでいい』
それは、間違いなく王弟グランヴィル公爵の声だった。
『褒賞金は弾む。事が済んだら、速やかに宮廷から姿を消せ。いいな、ヘイワード』
『は、はい! お任せください、公爵閣下!』
犯行計画の全てが記録された、動かぬ証拠。
私は、歓喜を押し殺して頷いた。
「確かに。約束のものは、あちらに停めてある馬車に積んであります。さあ、行きなさい。二度と、この王都に顔を見せては……」
私の言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
ヒュッ、と。
闇を切り裂く、鋭い風の音。
次の瞬間、ヘイワードの胸の中央に、一本の黒い矢が、音もなく深々と突き刺さっていた。矢には、禍々しい魔力が込められており、彼は悲鳴一つ上げることなく、目を見開いたまま、噴水の縁に崩れ落ちた。
口封じ。
黒幕が放った、非情の凶刃。
「伏せろ、令嬢!」
カイン卿が絶叫し、私を地面に押し倒す。その直後、私たちがいた場所に、第二、第三の矢が突き刺さった。
見上げると、広場を囲む建物の屋根の上に、複数の黒装束の人影が立っていた。その動きは、騎士団のそれとは明らかに違う。音もなく、獣のようにしなやかな、影に生きる者たちの動き。
「こいつら、ただの兵士じゃない……公爵の私兵か、あるいは専門の暗殺者か!」
カイン卿が剣を抜き、私を背中に庇いながら応戦する。だが、敵は少なくとも五人以上。圧倒的に数が不利だ。
彼は、降り注ぐ矢を剣で弾き、迫りくる敵の一人を切り伏せる。その強さは、まさに王国騎士団の精鋭そのものだった。
だが、彼が一人の相手に集中した、その一瞬の隙。
別の暗殺者が、音もなく私の背後に回り込んでいた。
カイン卿が、絶望の声を上げる。
「しまっ……! 令嬢、後ろだ!」
振り返った私の目に映ったのは、無慈悲に振り下ろされる、煌めく刃。
もう、避けられない。
死を覚悟し、私が固く目を閉じた、その瞬間だった。
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