第15話:氷の礫と騎士の背中
王都の歓楽街。そこは、昼間だというのに背徳の匂いが満ちる、法の光が届きにくい場所だった。
私は、顔を深く隠せるフード付きの地味なドレスをまとい、酒場の裏路地の物陰から、目的の賭場の入り口をじっと見つめていた。カイン卿との打ち合わせ通り、彼がヘイワードをここへ追い込んでくる手はずだ。
やがて、賭場の扉が荒々しく開き、二人の男がもつれ合うように転がり出てきた。
一人は、顔面蒼白で、脂汗を流している小太りの男。元宮廷魔術師ヘイワード。
もう一人は、普段の彼からは想像もつかない、チンピラ風の革鎧を身につけた男。顔には凄みを増すための傷の化粧まで施している。借金取りに変装した、カイン卿その人だ。
「よう、ヘイワード先生。ツケが溜まってるじゃねえか。そろそろ、きっちり払ってもらおうか?」
カイン卿のドスの利いた声が、裏路地に響く。彼の完璧な演技力に、私は内心で舌を巻いた。
「ま、待ってくれ! 金なら、必ず返す! 今、勝負の真っ最中だったんだ! あれが当たれば、全部……!」
ヘイワードが見苦しい言い訳を並べるが、カイン卿は容赦なく彼の胸倉を掴み、壁に叩きつけた。
「金がねえなら、テメェのその体で払ってもらうしかねえなあ? あんたほどの魔術師の魔力回路なら、闇市場で高く売れるぜ」
その脅し文句は、ヘイワードの最後の理性を断ち切るのに、十分すぎた。
「ふ、ふざけるなあっ!」
完全に追い詰められたヘイワードが、獣のような叫び声を上げた。彼は懐から、鈍く光る小さな水晶――魔術触媒を握りしめる。
「これ以上、俺をコケにするな、チンピラがぁっ!」
まずい、と私が身構えた瞬間、彼は詠唱を完了させた。
「凍てつけ、氷の礫ッ!」
ヘイワードの掌から、数発の鋭く尖った氷の塊が、無差別に周囲へと放たれた!
そのうちの一発が、一直線に、私が隠れる物陰の方へと向かってくる。避けられない――!
「危ない、令嬢!」
絶叫が響いた。
次の瞬間、私の視界を覆ったのは、大きな背中だった。
カイン卿が、借金取りの演技も、計算も、全てをかなぐり捨て、騎士としての驚異的な瞬発力で私の前に飛び出していたのだ。
ガギンッ!
肉を抉る音ではなく、硬い金属音。彼がとっさに掲げた腕の籠手と、その屈強な肩が、氷の礫を弾き、受け止めていた。衝撃で彼の体勢がわずかに揺らぐ。だが、私の身体には、指一本触れさせなかった。
時間が、止まったようだった。
目の前にある、自分を守ってくれた騎士の背中。普段の皮肉な態度からは想像もつかない、真剣そのものの眼差し。
ドクン、と心臓が、これまで聞いたことのない大きな音を立てた。
「……大したことありませんよ」
カイン卿は、体勢を立て直すと、何事もなかったかのように呟いた。だが、彼の腕の籠手は砕け散り、その隙間から、鮮血がじわりと滲んでいる。
「魔法の威力が低い、ただの脅しです。あなたに怪我は?」
「わ、私は……大丈夫です。それより、あなたの腕が……!」
思わず駆け寄り、彼の傷に触れようとした私の手を、彼はそっと制した。
「今は、それどころじゃないでしょう」
彼の視線の先では、ヘイワードが、なけなしの魔力を使ったことで力尽き、その場にへたり込んでいた。
そうだ。作戦の途中だった。
私は、胸の内の激しい動揺を、検事としての冷静な仮面の下に押し殺す。
「……ええ。そうでしたわね」
私は、カイン卿の傷口から目を逸らし、ゆっくりとフードを深く被り直した。
「では、始めましょうか。第二幕を」
謎の貴婦人として、絶望の淵にいる哀れな元魔術師に、救いの(あるいは、さらなる地獄への)手を差し伸べるために。
私は、震えを隠した足で、一歩、前へと踏み出した。
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