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短編:陽だまり亭のふしぎな一杯

朝の光が木漏れ日に砕け、森の外れの喫茶店〈陽だまり亭〉は、今日も静かに開店した。


扉を押し開けると、かすかに甘い香りとほのあかるい陽射しが迎えてくれる。


カウンターの向こうで、店主リュシアは銀髪をゆるく結い、黒革のコルセットをきゅっと締める。銀色の髪を指先で整えながら、磨き上げたカップを棚に並べていく。


彼女の動きは、どこか迷いがなくて、けれどその瞳の奥には時折ふっと翳りが浮かぶ。


「おはよう」と声をかければ、リュシアは柔らかく微笑む。その笑顔の奥に、客たちはなぜか自分でも知らなかった"何か"を感じるのだった。

―ラテの泡に揺れる未来図―


 扉がきい、と静かに鳴り、春の光を背負って吟遊詩人フィンが店に入ってきた。


 肩を落とし、ギターケースを引きずるようにカウンター席へ腰かける。


 リュシアは手を止めずに微笑んだ。


「おはよう、フィン。今日はどんな曲を連れてきたの?」


「同じ失恋バラードしか浮かばなくてさ」とフィンは顔を伏せる。


「どうして人は、同じことばかり繰り返すんだろう」


 リュシアはカップを磨きながら答える。


「それはきっと、まだ心が"飲み干せていない"からよ」


「飲み干す?」


「甘いメロディに苦い言葉を混ぜると、味わいが深くなるの。ココアにエスプレッソを垂らすみたいにね」


 フィンは苦笑し、「苦味は怖くて避けてたよ」と呟く。


「怖い味は、舌が覚えてくれるわ。だから次に甘さを歌った時、人は二度驚くの」


 差し出された〈勇気の粉添えカカオラテ〉の泡に、小さな音符が浮かぶ。


 フィンは一口飲み、「……美味しい」と目を細めた。


「ありがとう、リュシア。今日は少し、違う歌を歌ってみるよ」


「フィン、次はどんな歌?」


「少し苦い、でも希望の残る歌。君の店にもう一度帰ってこられるような――」


 フィンが扉を閉めて外の世界に戻ると、カウンター越しのリュシアはそっと息をつき、カップの底に残るわずかな泡を見つめていた。


---


―未完の定理―


 開店から一時間ほど経った頃、ドアベルが控えめに鳴った。


 本の山を抱えた学士カリーナが、少しだけ疲れた表情で入ってくる。


 店内の静けさに安堵したように、いつもの窓辺の席へ腰を下ろす。


 リュシアはカウンター越しに目を合わせる。


「いつも通り、ひらめきの雫を?」


 カリーナは苦笑いを浮かべてうなずく。


「今日こそ研究を投げ出そうと思ったの」


 リュシアは静かにハーブティーを煮出しながら尋ねる。


「あなたが解きたい謎は何?」


「世界の法則。でも、次々と新しい疑問が出てくる」


「終わらない謎は厄介だけど、終わらない旅にも似てる。歩き続けるうち、道は必ず別の景色になるわ」


「でも終わりが見えないのは、やっぱり怖い」


 リュシアはそっと微笑む。


「未完の定理は未完だから尊いの。完成したら、きっと誰かが次の謎を探しに行くわ」


 カリーナはしばし沈黙し、ふう、と湯気に顔をうずめた。


「終わらない旅は、終わらない物語。研究者の幸福は"次の疑問"を失わないことよ」


「……それも、ありかもね」


 〈ひらめきの雫入りハーブティー〉の湯気が渦を巻き、カリーナはノートの余白に新しい数式を書き留める。


 彼女は出ていく間際、ふと振り返った。


「リュシア、あなたは、何か終わらせたことはある?」


 リュシアは少し間を置いて答える。


「私はまだ、終わらせられていないの。けれど――」


 一瞬だけ、その瞳に決意の色が宿る。


「いつか、その時が来たら。私自身の"未完"も、誰かのために役立つ気がしているの」


 カリーナが店を出たあと、席に残る温もりを感じながら、リュシアは窓の外の雲をじっと見つめていた。


---


―背伸びの約束―


 昼下がりの静けさを破るように、バタバタと小さな足音が響いた。


 ドワーフの少年ポックが、店の大きな扉を両手で押し開け、息を切らしながらカウンターに顔をのぞかせる。


「リュシア姉ちゃん、どうしたら背が伸びる?」


「すぐに大きくなる魔法はないけれど、違う魔法ならあるわ」


「どんな魔法?」


「視点を変える魔法よ。椅子に立ってみて」


 ポックは椅子に立ち、見下ろす景色に目を輝かせる。


「世界が広がった!」


 リュシアは笑みを浮かべる。


「そうでしょう?大きくなるのは身体だけじゃない。心の視点が広がれば、世界はもっと面白くなるわ」


「ぼく、もっと高いところからも見てみたい!」


 〈成長のきざしコーヒー〉を飲み干し、椅子から元気に飛び降りるポック。


 彼が扉を駆け抜けて出ていくと、リュシアはひとつ溜息をつき、少年の残した空気をいつまでも感じていた。

夜、店内の灯りが一つ、また一つと落ちてゆく。


リュシアは一人、薄い茶を自分のために淹れる。


カウンターに肘をつき、静けさに耳をすませる。


「甘味も、苦味も、酸味も……一杯に共存するから後味が残る。会話も同じ。言葉を少し混ぜるだけで、人の背中はふわりと動く――」


棚の奥、埃をかぶった古い箱が視界に入る。


彼女はそっと手を伸ばし、箱の蓋に触れるも、今夜はゆっくりと蓋を開けた。


箱の中には、色あせた一冊のノートと、古い魔導ブレスレット。それに、幼い少女の笑顔が写った写真。


リュシアはノートのページをめくる。


「――陽だまり亭の最初のレシピ」


見覚えのある手書きの文字。"迷った誰かをそっと導くための一杯"。


写真の少女は、かつてのリュシア自身。


「私も、迷い子だった」


ブレスレットを手首に巻き直す。


「まだ"私の一杯"は見つけられていないけれど、きっといつか――」


琥珀色の茶の中に、ほんの一瞬、小さな光が揺れた。


---


"また明日も、言葉で世界にひと匙の光を"

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