第7話 英雄の科学
教授にクロノスベルトを預けてから、三日が過ぎた。
俺とアーシャ、そしてルークは、教授の工房の奥にある隠し部屋のような研究室で、調査結果が出るのを待っていた。
工房の雑然とした雰囲気とは打って変わって、この研究室は驚くほど整理整頓されていた。
壁一面の本棚には羊皮紙の巻物や分厚い古書がぎっしりと並び、机の上には水晶や歯車、ガラス管が組み合わさった奇妙な計測機器が置かれている。
魔法的な光を放つ装置と、油臭い機械部品が同居する、まさに「魔法と科学の融合」を体現したような空間だ。
時折、装置から発せられる低い駆動音や、薬品のツンとした匂いが漂ってくる。
アーシャは壁際で腕を組み、相変わらず警戒を解いていない様子で部屋全体に視線を走らせている。
ルークは珍しい機械や道具に興味津々で、教授の助手に質問攻めをしていたが、今は少し飽きてきたのか、床でうとうとし始めている。
俺はといえば、落ち着かない気持ちで資料の山を眺めていた。
ベルトは大丈夫だろうか?
分解なんてして、元に戻らなかったら……。
「できたぞぉぉぉっ!!」
突然、研究室の奥から教授の甲高い声が響き渡った。
俺たちは驚いてそちらを見る。
教授は目をギラギラさせ、興奮で顔を紅潮させながら、ベルトを接続した解析装置の前から飛び出してきた。
その手には、何枚もの図解が描かれた羊皮紙が握られている。
「驚くべき発見じゃ! このベルトは……まさに奇跡の融合体じゃ!」
教授は俺の肩を掴み、早口でまくし立てる。
「さあ、こっちへ来たまえ! この素晴らしい『英雄の科学』について、君に教えてやろう!」
俺たちは教授に促され、解析装置の前に集まった。
装置に繋がれたベルトは、内部構造を示す立体映像のようなものを空中に投影している。
複雑な回路と、魔力の流れを示す光の線が絡み合っている。
「まず、このクロノスベルトの核心は、大きく分けて三つの要素から成り立っておる!」
教授は杖で図解を指しながら、熱弁を始めた。
「一つ目は『魔力変換』! 周囲に存在するマナ――いわゆる魔力じゃな、それを吸収し、ベルトを動かすための高密度エネルギーに変換する炉心部じゃ! これがあるから、外部からのエネルギー供給なしに活動できる」
「二つ目は『身体強化』! 変換したエネルギーを使って、装着者の筋力、敏捷性、耐久力を飛躍的に向上させる! 君が変身した時に感じた、力の奔流はこれによるものじゃ。装甲の形成も、この機能の一部と言える」
「そして三つ目……これが最も重要かつ、謎多き技術――『時間歪曲』じゃ!」
教授の声に、ひときわ熱がこもる。
「これは文字通り、装着者の周囲の時間の流れを歪ませる能力じゃ! 君が『世界がゆっくり見える』と感じたのは、君自身の認識が加速しているのではなく、周囲の時間を相対的に遅くしているからなのじゃよ! これこそが『クロノス』――時の名を冠する所以じゃ!」
魔力変換、身体強化、時間歪曲……。
まるでSFか特撮ヒーローの設定そのものだ。
俺がポカンとしていると、教授はさらに続けた。
「古代の英雄たちも、これら三つの基本技術を応用して、様々な能力を発揮していたのじゃ。炎を操る者、風を操る者……その根幹には、このベルトの技術がある!」
その説明を聞いて、俺の頭の中で何かが繋がった。
「それって……俺が知ってるヒーローにも似たような設定が……! 例えば、『超光戦士スターブレード』の『エーテル・ドライブ』は周囲のエネルギー変換だし、『機動刑事ガンアーム』の『オーバードライブ・モード』は身体強化、『時空パトローラー・クロノ』はまさに時間操作能力を……!」
俺が興奮してまくし立てると、今度は教授が目を丸くし、そして確信を得たように叫んだ。
「やはりそうか! スターブレード、ガンアーム、クロノ……聞いたこともない名じゃが、その概念は驚くほどこのベルトの機能と一致する! 君は、やはり別の世界から来たのじゃな!? なんという……これは世紀の大発見じゃ! 素晴らしい!」
「えっ!? な、なんでそれを……!?」
その俺たちのやり取りに、それまで壁際で様子を窺っていたアーシャが鋭い視線を向けてきた。
「別の世界だと……? 教授、それはどういう意味だ? この男は……一翔は何者なんだ?」
氷のように冷たい声が、興奮する教授と動揺する俺に突き刺さる。
うとうとしていたルークも、ただならぬ雰囲気に目を覚まし、状況が飲み込めずにキョトンとしていた。
「え……? 別の……世界? カズトのアニキが……?」
教授はアーシャの詰問にも構わず、なおも興奮冷めやらぬ様子で続けた。
「まあ細かいことは追々じゃ! それより今は、このベルトの融合構造と不安定さの原因についてじゃ!」
半ば強引に話を戻す教授。
俺も、今はアーシャの追求にどう答えるべきか分からず、黙ってしまった。
アーシャは納得いかない顔で俺たちを睨んでいたが、ひとまずは教授の話を聞くことにしたようだ。
その様子を見ながら、俺は改めて腰のベルト――今は解析装置に繋がれているが――に畏敬の念を抱いていた。
これは、単なる「変身ごっこ」の道具じゃない。
俺が憧れたヒーローたちの力が、空想や設定だけじゃなく、この異世界では科学と魔法によって現実に存在しているんだ。
そして俺は、そのとんでもないテクノロジーの結晶を、今まさに身に着けている……。
思考に耽っていた俺に、教授が再び声をかけた。
「だがな、君のベルトが不安定な理由も、やはりこの融合にある。古代の部品と、君が持ち込んだ異世界の部品……おそらく君が『自作』した部分じゃな、それが完全には調和しておらん。特に、最も繊細な『時間歪曲』機能は、装着者の精神状態に極めて強く影響される。君の焦りや恐怖が、暴走を引き起こした可能性が高い」
教授は真剣な目で俺を見据えた。
「この力を完全に制御するには、技術的な調整だけでは足りん。君自身の精神的な成長と、ベルトとのより深い『共鳴』……いわば、ベルトと心を一つにする訓練が必要じゃ」
ベルトと心を一つに……。
特撮番組でよく聞くセリフだけど、それがこの世界ではリアルな課題として存在するのか。
俺はゴクリと唾を飲んだ。
このベルトの奥深さと、それを使いこなすことの難しさ。
でも、同時にワクワクするような気持ちも湧き上がってくる。
「教授……俺、もっとこのベルトのこと、そして英雄の技術について知りたいです。教えてください!」
俺の言葉に、教授は満足そうに頷いた。
「よかろう! このわしが、君を本物の『英雄』へと導いてやろう!」
アーシャは相変わらず少し離れた場所から、俺たちを疑いの目で見ていた。
しかし、その表情は以前より少しだけ和らいでいる……気がした。
ルークはいつの間にか完全に寝入っていた。
こうして、俺の「英雄の科学」への目覚めと、教授との奇妙な師弟関係(?)が始まることになったのだった。
◇
教授の研究室に通い始めて数日が経った。
ベルトの仕組みや「英雄の科学」について学ぶのは、正直めちゃくちゃ面白かった。
俺の特撮知識が意外な形で役立つこともあり、教授との議論は時間を忘れるほど白熱することもあった。
とはいえ、四六時中研究室に籠っているわけにもいかない。
気分転換と情報収集も兼ねて、俺たちは時々エレミアの街へ繰り出していた。
その日、俺とアーシャ、そしてルークは、少し埃っぽいが活気のある酒場で作戦会議(という名の休憩)をとっていた。
硬いパンと塩辛い干し肉を齧りながら、今後の動きについて話し合っていた時だった。
「聞いたか? また『影』が出たらしいぜ」
「ああ、昨日の夜、西地区の商人が一人……跡形もなく消えたって話だ」
「まったく、シャドウナイツの連中ときたら……いつになったら俺たちも安心して眠れるんだか」
隣のテーブルに座っていた、商人風の男たちが声を潜めてそんな会話をしているのが耳に入った。
『影』? シャドウナイツ……?
聞き慣れない単語に、俺はルークに視線を送った。
「ルーク、シャドウナイツって……?」
俺が尋ねると、ルークは少し顔を青くして、周りを気にするように声を潜めた。
「カズトのアニキ、その名前はあんまり大きな声で言わない方がいいぜ……。シャドウナイツは、この街で一番恐れられてる連中さ。噂じゃ、マグナス帝国の秘密部隊で、邪魔者を消すための暗殺集団だって……」
ルークの説明に、俺は息を呑んだ。
暗殺集団だって……?
「なんでも、黒い英雄みたいな姿をしてるらしいんだ。夜中に現れて、あっという間に標的を始末して、朝にはもう影も形もないって……。逆らったら家族ごと消されるって話もあるから、みんな怖がってるんだ」
黒い英雄……。
その言葉に、俺は嫌な予感を覚えた。
「そいつら、どうやってそんな……」
「偽物の英雄ベルトを使ってるって噂だよ」
別のテーブルにいた、フードを目深にかぶった男が、ぼそりと呟いた。
「本物の英雄ベルトの技術を悪用して、帝国が作り出した『影のベルト』……。それを使って英雄に変身して人を殺すためだけに力を使う……英雄の名を騙る、ただの殺人鬼どもさ」
偽物のベルト……?
英雄の力を、悪のために……?
俺が信じてきたヒーローの世界観が、根底から揺さぶられるような感覚だった。
ヒーローは正義の味方で、悪と戦う存在のはずだ。
なのに、この世界では……。
「それだけじゃない……」
黙って会話を聞いていたアーシャが、苦々しい表情で口を開いた。
彼女の声は、普段よりもさらに低く、重い響きを帯びていた。
「シャドウナイツのメンバーは……その全員が、元は『英雄の血脈』を持つ者たちだ」
「えっ!?」
俺とルークは同時に声を上げた。
「帝国に捕らえられ、その力を悪用するために……おそらく、何らかの手段で無理やり従わされているのだろう。本人の意思とは関係なく……」
アーシャはそこまで言うと、唇を噛み締め、俯いてしまった。
彼女の横顔に浮かぶのは、深い悲しみと、抑えきれない怒りのようなものだった。
もしかしたら、彼女の過去にも、このシャドウナイツが関わっているのかもしれない……。
英雄の血脈を持つ者が、無理やり悪の尖兵にされている……?
なんてことだ。
それは、俺が知っているどんな悪の組織よりも、陰湿で、残酷じゃないか。
「悪のヒーロー」という存在。
そして、「正義の象徴」であるはずの英雄の力が、恐怖と支配のために使われているという現実。
俺の中で、何かがガラガラと崩れていく音がした。
力を持つことが、必ずしも正義に繋がるわけじゃないのか?
ヒーローって、一体何なんだ?
エレミアの喧騒の中、俺は初めて、自分が憧れてきた「ヒーロー」という存在そのものに対して、深い疑問を抱き始めていた。
シャドウナイツ……。
いつか、俺も対峙する時が来るのだろうか。
その時、俺は一体、何のために戦えばいいんだろう……。
酒場のざわめきが、やけに遠くに聞こえていた。