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第5話 自由都市エレミアへの到着

マグナス帝国の関所を抜けた後、俺とアーシャは難民キャラバンと別れた。リーダーの男は「達者でな」とぶっきらぼうに言い、他の難民たちも名残惜しそうに手を振ってくれた。短い間だったけど、彼らとの旅は異世界の厳しさと、その中にある人の温かさを教えてくれた気がする。


「行くぞ。ここから先は、また別の危険がある」


アーシャは感傷に浸る間もなく、前を向いて歩き出した。俺も頷き、彼女の後に続く。目指すは、七王国の中立地帯にあるという「自由都市エレミア」。アーシャによれば、そこなら帝国の目も届きにくく、情報を集めたり、今後の体制を整えたりするのに都合がいいらしい。


関所を越えてから、道は少しずつ整備され、行き交う人の数も増えてきた。様々な荷物を運ぶ商人、武装した冒険者風の一団、そして俺たちと同じように、どこかへ向かう旅人たち。世界の中心に近づいている、そんな予感がした。


そして数日後、ついに俺たちの目の前に、巨大な都市が現れた。


「あれが……エレミア……」


思わず息を呑む。地平線まで続くかのような、巨大な灰色の城壁。その高さは、現代日本の高層ビルに匹敵するかもしれない。壁の上には等間隔に監視塔が並び、巨大ないしゆみのような兵器も見える。圧倒的な威容だ。城壁に守られた都市は、まるで独立した王国のようだった。


俺たちは、他の旅人たちに混じって、巨大な正門へと向かう。門の前では武装した衛兵たちが簡単な身分確認を行っていたが、国境関所のような厳しさはない。アーシャが慣れた様子で衛兵と二言三言交わし、俺たちはあっさりと門を通過できた。


門をくぐった瞬間、俺は言葉を失った。


目の前に広がっていたのは、想像を絶する光景だった。活気、熱気、そして混沌。石畳の広い道には、信じられないほど多くの人々が行き交っている。人間だけじゃない。ピンと立った猫のような耳を持つ少女、屈強な体つきで犬のような顔立ちの男、背が低くがっしりとした体格の髭面の男たち、逆にすらりと背が高く尖った耳を持つ美しい女性……。様々な種族が、当たり前のように肩を並べて歩いている。彼らの服装も様々で、質素な旅装束から、きらびやかな貴族風のドレス、異国の民族衣装のようなものまで、色とりどりだ。


道の両脇には、高い石造りの建物がひしめき合い、壁には見たこともない文字で書かれた看板や、奇妙な絵が描かれた旗がいくつも掲げられている。空気は様々な匂いで満ちていた。焼いた肉の香ばしい匂い、嗅いだことのないスパイスの刺激的な香り、甘い果物の匂い、そして大勢の人が発する汗と土埃の匂い……。


耳に飛び込んでくるのは、怒涛のような喧騒だ。様々な言語が飛び交い、意味は全く分からないけれど、その音の洪水だけで街のエネルギーが伝わってくる。物売りの威勢のいい呼び声、楽器の陽気な音色、荷馬車の車輪が石畳を叩く音、そして……何だあれは?


 空を見上げると、レールのない空中を、流線型の乗り物が滑るように移動している。

 さらに驚いたことに、いくつかの露店が、ふわりと宙に浮いたまま商品を並べていた。

 看板の文字も、時折きらきらと光ったり、形を変えたりしている。


 これが、この世界の「魔力技術」なのか……?

 まるでSF映画かファンタジー映画の世界に迷い込んだみたいだ。


「すごい……」


 俺が呆然と呟くと、隣を歩いていたアーシャが、少しだけ口元を緩めたように見えた。


「驚くのも無理はない。ここは七王国の中でも特別な場所だからな。自由都市エレミア。どの国にも属さない中立地帯だ」


 彼女は周囲を警戒しながら説明してくれた。


「帝国の目も比較的届きにくい。だから、お尋ね者、難民、変わり者の学者、一攫千金を狙う商人……あらゆる連中が流れ着く。良くも悪くも、自由で、混沌とした街だ」


 自由で、混沌とした街……。

 アーシャの言葉通り、この街には単純な善悪では割り切れない、複雑なエネルギーが渦巻いている気がした。

 華やかな表通りもあれば、薄暗い裏路地もある。

 笑顔で歩く人もいれば、警戒心に満ちた目つきの人もいる。


 これまで見てきた村や辺境とは全く違う、世界の縮図のような光景。

 俺が持っていた「異世界」のイメージも、「ヒーロー」のイメージも、ここで一度、全部壊して考え直さなきゃいけないのかもしれない。


 これからここで、俺はどう生きていくんだろう?

  期待と、それ以上の大きな不安が、ごちゃ混ぜになって胸の中に広がっていくのを感じていた。


 ◇


 俺とアーシャはまず、今夜の寝床を確保するために動き出した。

 表通りは宿代も高そうだし、何より目立ちすぎる。

 俺たちは人混みを避け、迷路のように入り組んだ裏通りへと足を踏み入れた。


 石畳はひび割れ、建物は古びて煤けている。

 表通りの華やかさとは打って変わって、どこか薄暗く、怪しげな雰囲気が漂っていた。

 時折すれ違う人々の目つきも鋭い。

 アーシャは常に周囲を警戒し、俺も自然と身構えてしまう。


「安い宿、見つかるといいんだけど……」

「焦るな。こういう場所は、慌てると足元を見られる」


 アーシャの言う通り、いくつか見つけた宿は、見るからに治安が悪そうだったり、法外な値段を吹っ掛けてきたりと、ろくなものがない。

 そんな時だった。


「おやおや、旅のお方ですかい?  お困りのご様子。ちょうどいい、安くて清潔な宿を知ってるんですがねぇ、へへへ」


 角からぬっと現れた、痩せぎすで目のギラついた男が、馴れ馴れしく声をかけてきた。

 見るからに胡散臭い。


「いや、俺たちは……」

「まあまあ、そう言わずに!  こっちですよ、案内しやすぜ!」


 俺が断ろうとするのをさえぎり、男は強引に俺たちの腕を掴もうとしてくる。

 アーシャが素早くその手を振り払い、警戒心を露わにした。


「結構だ。他を当たる」

「そんなこと言わずに!  今なら特別料金で……」


 男がしつこく食い下がってきた、その時だった。


「ちょっとそこのおっさん! また悪さしようとしてるのかい?」


 どこからともなく、甲高い、しかしよく通る少年のような声が響いた。

 声のした方を見ると、近くの建物の屋根の上から、ひょいと身軽に飛び降りてくる人影があった。


 現れたのは小柄な少年だった。

 くすんだ茶色の髪はあちこち跳ねていて、そばかすの散った顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。

 服装は継ぎ接ぎだらけの古着だが、動きやすそうで、腰や肩にはたくさんの小さなポーチや袋がぶら下がっている。

 頭には少し大きめの、くたびれた革の帽子を目深にかぶっていた。

 その瞳は、年の割に驚くほど利口そうで、好奇心にキラキラと輝いている。


「ルークか!  大人の商売の邪魔すんじゃねえ!」


 客引きの男は、少年をルークと呼び、忌々しげに怒鳴った。


「商売じゃなくて詐欺だろ、それ!  その宿、昨日も寝てる間に荷物盗まれたって騒ぎがあったじゃないか!  それに、あんたが紹介料ふんだくってるのも、みんな知ってるんだぜ!」


 ルークと呼ばれた少年は、全く怯むことなく、立て板に水で客引きの悪事をまくし立てた。

 その情報量と度胸に、客引きの男は顔を真っ赤にして反論しようとするが、周りにいた他の裏通りの住人らしき人々も囃し立て始める。

 男はバツが悪そうに「ちっ、覚えてろよ!」と捨て台詞を吐いて逃げていった。


「ふぅ、やれやれ。あの手の輩には気をつけないとね!」


 少年――ルークは、悪びれる様子もなく、人懐っこい笑顔を俺たちに向けた。


「俺はルーク!  この辺りのことなら、大抵のことは知ってるよ。あんたたち、宿を探してるんだろ?  あんなボッタクリ宿じゃなくてさ、もっと安くて安全な、いい宿を知ってるぜ!」


 あまりの展開に呆気に取られていた俺とアーシャだったが、彼の悪意のない笑顔と機転の良さに、少し警戒心が和らいだ。

 アーシャも、さっきまで氷のようだった表情をわずかに緩めている。


「助かった。礼を言う」


 アーシャが短く言うと、ルークは「へへん、お安い御用さ!」と得意げに胸を張った。


「で、どうする?  俺についてくる?」


 俺とアーシャは顔を見合わせ、頷いた。

 この少年に賭けてみるしかなさそうだ。


 ルークは「よしきた!」と言うと、迷路のような裏通りを、慣れた様子ですいすいと案内し始めた。

 

 ルークの話によれば、彼は孤児で、物心ついた時からこのエレミアの裏通りで生きてきたらしい。

 商人や職人、時には怪しげな情報屋など、様々な大人たちから仕事を手伝いながら、生き抜く術を学んできたという。

 その口ぶりは明るく軽快だったが、時折見せる寂しそうな目に、彼のこれまでの苦労が滲んでいる気がした。


 やがてルークが案内してくれたのは、少し古びてはいるが、掃除が行き届いていて清潔そうな小さな宿屋だった。

 頑固そうだが、どこか人の良さそうな老婆が一人で切り盛りしているらしい。

 値段も手頃で、何より安全そうだ。

 俺たちはようやく安心して息をつき、部屋を借りることにした。


 部屋に荷物を置くと、ルークは「じゃあ、俺はこれで!」と帰ろうとしたが、俺は思わず呼び止めていた。


「なあ、ルーク。よかったら、少し街を案内してくれないか?  もちろん、礼はするから」

「え、いいの?  やった! 任せとけって、カズトのアニキ!」


 ルークは目を輝かせ、俺のことを勝手に「アニキ」と呼び始めた。

 なんだか、急に弟ができたみたいで、悪い気はしない。

 むしろ、この異世界で初めてできた、頼りになる(?)仲間かもしれない。


 アーシャは少し呆れたような顔をしていたが、反対はしなかった。

 彼女もルークの有能さは認めているのだろう。


 こうして俺たちのエレミアでの生活は、ルークという予想外の案内人を得て本格的に始まることになったのだった。

 

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