第11話 情報商人カリナとの出会い
アーシャとの厳しい修行が始まり、俺は文字通り泥にまみれる日々を送っていた。
基礎体力作りから始まり、剣術の基本、そして何より、変身に頼らない状況での戦闘術。
彼女の指導は容赦なかったが、その的確さには舌を巻くばかりだった。
少しずつだけど、自分が強くなっている実感はあった。
しかし、それと同時にシャドウナイツの脅威は常に頭の中にあった。
奴らに対抗するには、もっと情報が必要だ。
奴らの目的は? 規模は? 弱点はないのか?
「シャドウナイツの情報ねぇ……それなら、エレミアで右に出る者はいないって言われてる情報屋がいるぜ、アニキ!」
アジトで作戦を練っていると、ルークがまた得意げに耳寄りな情報を提供してくれた。
「ただ、ちょっと……いや、かなりクセが強いけど。お代も高いし」
「クセが強くても構わない。情報が手に入るなら行く価値はあるだろ」
俺の言葉に、アーシャも「……まあ、背に腹は代えられんか」と珍しく同意してくれた。
ルークの案内で向かったのは、エレミアの中でも特に怪しげな雰囲気が漂う、迷宮のような裏路地の一角だった。
香辛料の匂いや、得体の知れない薬品の匂いが混じり合い、薄暗い路地には奇妙な装飾が施された扉が並んでいる。
その中でもひときわ異彩を放つ、黒塗りの扉の前でルークは立ち止まった。
看板には、蛇が絡みついたような奇妙な紋様が描かれているだけだ。
「ここが、情報屋カリナの店だよ。俺も世話になってるけど、あの姉ちゃん、マジで何でも知ってるからさ」
ルークが扉を軽くノックすると、内側から「……どーぞ」と、少し気だるげな女性の声が聞こえた。
俺たちは顔を見合わせ、意を決して扉を開けた。
店の中は、外観以上に混沌としていた。
薄暗い空間には、所狭しと様々なガラクタ――いや、もしかしたら価値のある骨董品なのかもしれないが――が積み上げられている。
怪しげな薬草の束、動物の頭蓋骨、用途不明の機械部品、古びた巻物……。
独特のお香のような匂いが鼻をつき、どこか異国の、ミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
店の奥にはカウンターがあり、その向こうに一人の女性が座っていた。
年の頃は二十代半ばくらいだろうか。
艶やかな黒髪を複雑に結い上げ、簪のようなもので留めている。
服装は、この世界の一般的なものとは少し違い、深い紫色のローブのような上着に、足元は動きやすそうな袴のようなものを合わせている。
どことなく和風なテイストを感じさせる、独特な着こなしだ。
手には、閉じた状態の赤い和傘を弄んでいる。
切れ長の目元には、計算高そうな、それでいて全てを見透かすような不思議な光が宿っていた。
「あらあら、珍しいお客さんだねぇ。ルーク坊やのお友達かい?」
彼女は、俺たちを見ると、面白そうに口元に笑みを浮かべた。
「カリナの姉ちゃん! こっちのアニキたちが、シャドウナイツのこと知りたがってるんだ!」
「へぇ、シャドウナイツ……ね。また物騒な話だねぇ」
カリナと名乗った女性は、値踏みするように俺とアーシャを見た。
「ま、情報がないわけじゃないけど……タダじゃないよ? お代はきっちり貰うからね」
彼女は商売人らしい顔で言った。
俺たちは頷き、手持ちの銀貨をいくつかカウンターに置く。
カリナはそれを指先で器用に弾きながら確認すると、「まあ、これくらいなら、最近の噂話くらいは教えてあげてもいいかな」と前置きして、いくつかの情報を話し始めた。
シャドウナイツが最近、貴族街で暗躍していること、新しい幹部らしき人物が現れたこと……。
彼女の情報は、確かに正確で、詳細だった。
この情報網は、並大抵のものではない。
一通り話し終えた後、カリナはふと、俺の顔をじっと見つめてきた。
そして、悪戯っぽく笑いながら、信じられない言葉を発したんだ。
「でさ……あんた、もしかして……向こうの人間?」
その言葉は、流暢な、完璧な日本語だった。
「なっ……!? に、日本語……!? なんで……!?」
俺は心臓が飛び出るかと思うほど驚き、思わず日本語で返してしまった。
異世界に来て初めて聞く、懐かしい母国語。
混乱と、説明のつかない感情が頭の中を駆け巡る。
カリナは、俺の反応を見てケラケラと笑った。
「あはは! やっぱりね! その反応、懐かしいわぁ。私も昔はそうだったから」
「昔って……まさか、カリナさんも……!?」
「そうよ。しがない情報屋やってるけど、この私、カリナ・レイスも、あんたと同じ、しがないニッポンからの転生者ってわけ」
転生者……!
俺以外にも、この世界に日本人が……!?
衝撃的な事実に、俺は言葉を失った。
「まあ、驚くのも無理ないか」
カリナは肩をすくめる。
「あんたみたいなのが、他にも何人かいるのよ、この世界にはね。みんな、色々ワケありだけどさ」
他の転生者……。
その言葉に、俺は言いようのない感情を覚えた。
孤独だと思っていたこの世界に、同郷の人間がいる。
それは大きな驚きであると同時に、心のどこかで感じていた孤独感を和らげるような、不思議な安堵感と、新たな連帯感のようなものを感じさせてくれた。
懐かしい日本語の響きが、少しだけ涙腺を刺激する。
「ま、詳しい話はまた今度ね」
カリナは悪戯っぽく笑うと、カウンターに置かれた俺たちの銀貨を指さした。
「今日の情報料はこれで十分だけど……もっと面白い話、例えば他の『同胞』の話とか、この世界の『裏側』の話とか聞きたかったら、それなりのお代、弾んでくれないとね?」
彼女は意味深な笑みを浮かべ、赤い和傘をくるりと回した。
俺は、カリナという掴みどころのない同郷人の存在と、「他の転生者」という新たな事実に大きな衝撃を受けながら、複雑な思いで情報屋を後にした。
エレミアの街が、さっきまでとは少し違って見えた気がした。
◇
アジトに戻ってからも、俺たちはシャドウナイツへの対策や情報収集について話し合いを続けていた。
アーシャとの修行も本格化し、少しずつだけど、この世界の戦い方にも慣れてきた……つもりだ。
そんなある日、ひょっこりとカリナがアジトに顔を出した。
手には相変わらず赤い和傘を持っている。
「やっほー、一翔くん、元気してる? ちょっと面白いこと思いついちゃったんだけど、聞かない?」
彼女は飄々とした笑顔で、とんでもない提案をしてきた。
「ヒーローショー、やらない?」
「は……? ヒーローショー!?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
聞き間違いか?
「そう、ヒーローショー! あんた、英雄クロノスなんでしょ? 子供たち、最近元気ないみたいだしさ、あんたがカッコよく登場して、悪い怪人役でもやっつければ、きっと喜ぶと思うんだよねー」
カリナは軽い口調で言うが、その目には計算高い光が宿っている。
「それにさ……」
彼女は声を潜めた。
「派手にやれば、シャドウナイツの連中も興味を示すかもよ? うまくいけば、奴らの情報だって掴めるかもしれないし?」
子供たちを元気づける、そしてシャドウナイツをおびき出す……か。
確かに一理あるかもしれない。
俺自身、子供の頃ヒーローショーにどれだけ勇気づけられたか分からない。
「すげえ! ヒーローショー! 絶対見たいぜ、アニキ!」
ルークは目をキラキラさせて大賛成だ。
しかし……。
「馬鹿げている」
アーシャが冷たく言い放った。
「ただでさえ帝国に目をつけられているんだぞ? わざわざ自分から目立ってどうする」
アーシャの言葉は正論だ。
危険すぎるし、俺が目指すヒーロー像とも違う気がする。
でも……。
「ふむ、ヒーローショー、か。興味深いな」
意外にも、教授が顎に手を当てて考え込んでいる。
「観客の心理を誘導する演出効果、安全を確保した上での能力披露……魔力と科学を組み合わせれば、なかなか面白い見世物……いや、デモンストレーションができそうじゃわい。会場の手配や安全確保、演出の技術協力なら、わしに任せてもらってもよいぞ?」
教授まで乗り気になってしまった。
俺は迷った。
危険なのは分かっている。
でも、暗い顔をしているエレミアの子供たちに、少しでも笑顔を届けたい。
それに、シャドウナイツの情報は喉から手が出るほど欲しい。
「……やろう、ヒーローショー」
俺は決意した。
「アーシャの言うことも分かる。でも、俺はやりたい。子供たちに希望を見せたいんだ。それに、これはただのショーじゃない。シャドウナイツを探るための作戦でもあるんだ」
俺の真剣な目に、アーシャは深いため息をついた。
「……好きにしろ。ただし、絶対に無茶はするなよ」
こうして、前代未聞の「異世界ヒーローショー」の準備が始まった。
教授が手配してくれたのは、街はずれにある使われなくなった古い円形闘技場跡地。
ルークが魔法通信で「英雄クロノス、エレミアに現る! 正義のショーを見逃すな!」なんて感じの告知を流すと、街中の子供たちの間で瞬く間に話題になったらしい。
俺はショーの構成を考えた。
登場シーン、怪人(抵抗組織のメンバーに協力してもらった)との立ち回り、決めポーズと決めゼリフ……。
まさに、俺が子供の頃から憧れてきた、特撮ヒーローショーそのものだ。
そして、ショー当日。
会場となった闘技場跡地には、信じられないほど多くの観客が集まっていた。
そのほとんどが、目を輝かせた子供たちとその親たちだ。
その熱気に、俺は舞台袖で緊張と興奮が入り混じった複雑な気持ちになっていた。
「時間だ、一翔くん。準備はいいかね?」
教授が合図を送る。
俺は深呼吸し、ベルトに手をかけた。
「ああ。――変身!」
青と銀の光に包まれ、俺はクロノスとなる。
合図と共に、舞台中央に仕掛けられた煙幕が上がり、俺は特撮ヒーローさながらのポーズで飛び出した!
「待たせたな、エレミアの諸君! 愛と正義の使者、英雄クロノス、参上!」
うおおおおっ! と地鳴りのような歓声が上がる。
事前に打ち合わせた通り、「怪人役」の組織メンバーが襲いかかってくる。
俺は、アーシャに教わった実戦的な動きと、体に染み付いた特撮アクションを融合させ、観客を魅了するような立ち回りを意識して戦った。
変身能力――時間歪曲による高速移動や、エネルギー弾のようなものも、派手な効果音(これも教授の仕掛けだ)と共に披露する。
「クロノスがんばれー!」
「やっつけろー!」
子供たちの純粋な声援が、俺の力になる。
そうだ、俺はこの笑顔が見たかったんだ!
ショーはクライマックスを迎え、俺は必殺技(っぽく見せたエネルギー集中攻撃)で怪人役を吹き飛ばし、勝利の決めポーズ!
会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
俺は観客席に向かって手を振り、ヒーローとしての役割を演じきった。
舞台裏に戻り、変身を解くと、どっと疲労感が押し寄せてきた。
でも、それ以上に大きな達成感があった。
「お疲れ様、一翔くん。ショーは大成功だったねぇ」
カリナがいつの間にか現れて、にこやかに言った。
「観客も大喜びだったし、これでクロノスの人気も爆上がり間違いなしだよ……それと」
彼女は悪戯っぽく笑みを深め、俺に耳打ちした。
「案の定、お魚さん(シャドウナイツのスパイ)も何匹か、観客席に紛れ込んでたみたいよ。しっかり顔は覚えさせてもらったから」
ショーの成功。
子供たちの笑顔。
そして、確実に迫ってくるシャドウナイツの影。
俺は、ヒーローとして「見せる」ことの力と、それがもたらす影響の大きさを実感していた。
でも、これが本当に俺の目指す「英雄」の姿なんだろうか?
見世物になったことへの、一抹の戸惑いを覚えながら、俺は歓声の残響が響く会場を後にした。