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第1話 特撮ヒーローと孤独な日常

 ジリ、と空気を焦がすような半田ごての匂いが、俺の六畳一間のアパートに充満している。

 もう何時間こうしているだろうか。

 

 細かい電子部品と格闘する指先は微かに痺れ、肩もバキバキに凝り固まっている。

 でも、やめられない。

 もう少しで、俺の理想が、この手で形になるのだから。


「……よし、これで最後」


 ピンセットで掴んだ極小のチップ抵抗を基板の所定の位置に慎重に乗せ、半田ごてを当てる。

 銀色の金属が溶け、キラリと光って固まる瞬間、俺は息を詰めて見守った。

 ふぅ、と息を吐き、ルーペを目から外す。


 目の前には、鈍い銀色の光沢を放つバックルと、黒いベルト部分が横たわっている。

 長年憧れ続けた、あのヒーローの変身ベルト。

 もちろん本物じゃない。

 

 俺――高槻一翔たかつき かずと、21歳。

 

 しがない映像学科の大学生が、けなげにも授業で学んだ知識と独学の技術、そしてなけなしのバイト代をつぎ込んで作り上げた、魂のレプリカだ。


 俺は椅子から立ち上がり、部屋を見渡した。

 壁という壁は、子供の頃から集め続けた特撮ヒーローのポスターやフィギュアで埋め尽くされている。

 

 棚には歴代ヒーローの変身アイテムのレプリカ(これも多くは自作だ)が並び、クローゼットの中には、これまた自作のヒーロースーツが数着、窮屈そうに収まっている。

 人が見たらドン引きするような光景だろうけど、これが俺の世界の全てだ。

 

 幼い頃に両親を亡くし、親戚の家をたらい回しにされてきた俺にとって、唯一変わらずにそばにいてくれたのが、テレビの中のヒーローたちだった。

 彼らの輝きだけが、灰色だった俺の日常を彩ってくれた。


 だから、作る。

 憧れのヒーローたちの装備を、この手で再現する。

 それは現実から逃げるための城壁であり、同時に、俺が唯一「自分には価値がある」と思える瞬間だった。

 映像学科で学ぶ特殊メイクや小道具製作の技術も、結局はこの趣味のために役立てているようなものだ。


 完成したばかりの変身ベルトを手に取る。

 ひんやりとした金属の感触。

 中央のクリアパーツの奥には、複雑な電子回路が覗いている。

 完璧じゃないかもしれない。

 でも、今の俺が出せる全力は注ぎ込んだ。


「変身!」


 誰に聞かせるでもなく、呟きながらベルトを腰に当てる。

 カチリ、とバックルが嵌まる音が、やけに大きく部屋に響いた。

 鏡の前に立ち、深呼吸一つ。

 そして――俺は、鏡の中の自分に向かって、あのヒーローの決めポーズを、完璧な角度で繰り出した。


 鏡に映るのは、くたびれたTシャツとジーンズ姿の、どこにでもいる大学生だ。

 身長は178cmとそこそこあるが、痩せ型で、少し猫背気味。

 寝不足で目の下にうっすらクマができている。

 お世辞にもヒーローには見えない。

 不器用な笑顔が貼りついているだけだ。


 でも、このベルトを着けている瞬間だけは、違う。

 鏡の中の俺は、少しだけ胸を張っているように見えた。


「はは……やっぱ、カッコいいよな」


 自画自賛だと分かっていても、口から笑みがこぼれる。

 もし、これが本物だったら。

 もし、俺が本当にヒーローになれたら。

 そしたら、誰かに必要とされて、誰かに認めてもらえるんだろうか。

 こんな空っぽな自分じゃなくて、もっと価値のある存在になれるんだろうか……。


 そんなありえない空想が、すぐに虚しさを連れてくる。

 俺はベルトを外し、作業机の上にそっと置いた。

 クリアパーツが部屋の蛍光灯を反射して、一瞬だけ眩しく光った。


 俺はベッドに倒れ込み、壁一面のヒーローたちに見守られながら、明日の出会いに胸を膨らませて、ゆっくりと目を閉じた。

 これが、俺、高槻一翔の、どこにでもあるようで、どこか歪んだ日常。


 まさかこの夜が、俺の人生を根底から変えることになるなんて、この時の俺は知る由もなかった。


 ◇


 あの日のことを、時々夢に見る。

 ヒーローに憧れるようになった、全ての始まり。

 俺がまだ、高槻一翔という名前だけの、ただの8歳の子供だった頃のことだ。


 親戚の家を転々とする生活にも少し慣れてきた、そんなある日の放課後だった。

 ランドセルを揺らしながら、いつもより少し遠回りになる道を歩いていた。

 

 早く家に帰りたくて、つい出来心で近道をしようと、薄暗い路地裏に足を踏み入れたんだ。

 ひんやりとした壁に囲まれ、ゴミの嫌な匂いが鼻をつく、子供心にも「入っちゃいけない場所」だと分かるような、そんな場所だった。


 その時だった。


「おい、ガキ。金持ってんだろ?」


 背後から突然、ドスの利いた声がかかった。

 振り返ると、そこには背の高い、ひどく痩せた男が立っていた。

 薄汚れた作業着を着て、無精髭を生やし、濁った目で俺を睨みつけている。

 タバコと安酒が混じったような、嫌な匂いがした。


「ひっ……!」


 声にならない悲鳴が喉の奥で凍りつく。

 足がすくんで、一歩も動けない。

 男はニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 ランドセルを掴まれ、壁に強く押し付けられた。


「いい子にしてりゃあ、痛い目は見ねえぞ。財布出せや」


 恐怖で全身が震え、涙が溢れてきた。

 助けを呼びたくても声が出ない。

 もうダメだ、と思った瞬間――。


「そこまでだ!」


 凛とした、それでいて力強い声が路地に響き渡った。


 ハッと顔を上げると、路地の入り口に、逆光を背負って立つ人影があった。

 夕陽を受けてシルエットになっているが、その姿は俺がテレビで何度も見た、憧れのヒーローそのものだった。

 鮮やかな赤と銀の、未来的なデザインのボディスーツ。

 胸には不死鳥を模したエンブレムが輝き、顔はシャープなデザインのヘルメットで覆われている。


 男は「あぁ? なんだテメェ……コスプレか?」と悪態をついたが、その声には明らかに動揺が混じっていた。

 ヒーロー――いや、その衣装を着た男は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

 その堂々とした歩き方、一切の迷いがない動きは、テレビで見るヒーローの動きそのものだった。


「子供相手にみっともない真似はやめろ。去れ」


 ヘルメットの奥から響く声は、決して大きくはないのに、有無を言わせぬ迫力があった。

 暴漢は一瞬ためらった後、「ちっ、覚えてやがれ!」と捨て台詞を吐いて、慌てて路地の奥へと逃げていった。


 後に残されたのは、恐怖でへたり込んだ俺と、目の前に立つヒーローの姿。

 彼はゆっくりとヘルメットを脱いだ。

 現れたのは、驚くほど整った顔立ちの、まだ若い男性だった。

 少し汗ばんだ額に黒髪が張り付き、その瞳は夕陽を受けて不思議な、吸い込まれるような深い光を宿していた。


「大丈夫か?」


 彼は俺の前にしゃがみ込み、優しい声でそう言った。

 その声の温かさに、堰を切ったように涙が溢れ出した。

 彼は何も言わず、俺が泣き止むまで、そばにいてくれた。


 後で分かったことだが、彼は近くで特撮ヒーロー番組の撮影をしていた俳優さんで、休憩中に偶然この路地を通りかかったらしかった。

 「ロケの合間だから」と彼は言ったけれど、結局、俺を心配して親戚の家まで送り届けてくれたんだ。

 道すがら、彼は俺が特撮ヒーローが大好きだと知ると、嬉しそうに撮影の裏話なんかをしてくれた。


 家の前で別れる時、彼はもう一度俺の目を見て、こう言った。


「君も、誰かを守れる強い人になれるよ」


 その言葉と、彼の目に宿っていたあの不思議な光を、俺は一生忘れないだろう。


 この日を境に、俺のヒーローへの憧れは、ただの「好き」から、「なりたい」という強い願いに変わった。

 救われたから、今度は自分が誰かを救うんだって。


 あの俳優さんの目が、ただの夕陽の反射じゃなかったかもしれないなんて、当時の俺は思いもしなかったけれど。


 ◇


 翌朝、俺はアラームが鳴るより早く目を覚ました。窓の外はまだ薄明るい。

 昨夜完成させたばかりの変身ベルトが、机の上で静かに存在感を放っている。

 はやる気持ちを抑えきれず、俺はそれを慎重にタオルで包み、普段使っているリュックサックの奥底に忍ばせた。

 今日のためだ。


 今日の目的地は、隣町の大きな公園。

 そこで現在放送中の人気特撮番組『ギャラクシーセイバー』のロケが行われるという情報を、昨夜ネットで掴んでいた。

 ひょっとしたら主演俳優に会えるかもしれない。

 あわよくば、このベルトを見て……いや、それはさすがに痛いか。

 でも、同じ空気を吸えるだけでも価値がある。


 家を出ると、ひんやりとした早朝の空気が心地よかった。

 軽い足取りで駅に向かい、電車に乗り込む。

 まだ空いている車内で、俺はスマホを取り出し、ギャラクシーセイバーの情報をチェックする。

 今日の撮影は、怪人との戦闘シーンらしい。

 どんなアクションが見られるのか、想像するだけで胸が高鳴った。


 目的地の駅に着き、公園へと急ぐ。

 近づくにつれて、それらしい人だかりが見えてきた。

 機材を運ぶスタッフさん、見物に来たファンらしき人々。

 独特の熱気が漂っている。

 俺も人垣の後ろの方に加わり、撮影が始まるのを待った。


 しばらくすると、スタッフの指示が飛び交い始め、現場に緊張感が走る。

 カメラが回り始めたようだ。

 遠目だが、ギャラクシーセイバーのスーツアクターが、怪人役のスタントマンとアクションの打ち合わせをしているのが見える。

 すげぇ、本物だ……。


 その時、ふと視線を感じて横を向いた。

 スタッフエリアの端の方に、見覚えのある顔があった。

 あれは……?


 間違いない。

 8歳の俺を助けてくれた、あの俳優さんだ。

 少し年は取ったように見えるけど、あの優しい目元、間違いない。

 彼はスタッフと何か話しているようだったが、ふとこちらに視線を向け、俺と目が合った気がした。

 そして、微かに微笑んだ……ように見えた。


「あの……!」


 気がついたら、俺は人垣を抜け出し、彼に向かって駆け出していた。

 声をかけたい。

 あの時のお礼を言いたい。

 ただ、それだけだった。


 公園と道路を隔てる低い柵を飛び越え、車道に足を踏み出した、その瞬間。


 キィィィィィッ――!!


 けたたましいブレーキ音とクラクションが耳をつんざいた。

 横を見ると、大型トラックの巨大なフロントグリルが、すぐ目の前に迫っていた。


「え……?」


 時間が、スローモーションのように引き伸ばされる。

 避けなきゃ、と思うのに、体は金縛りにあったように動かない。

 トラックのヘッドライトが、やけに眩しかった。


 ドンッ!!!!


 全身を襲う、凄まじい衝撃。

 骨が軋む音。

 内臓が破裂するような感覚。

 熱いものが喉の奥からこみ上げてくる。

 視界が急速に赤黒く染まっていく。


 (あ……れ……?  おれ……しぬ、のか……?)


 薄れゆく意識の中、誰かが俺に駆け寄ってくる気配がした。

 見上げると、逆光の中に、あの俳優さんの顔があった。

 彼の唇が何かを囁いている。

 何を言っているのか聞き取れない。

 ただ、彼の目に宿る、あの不思議な、深い光だけが、やけに強く焼き付いた。


 そして、俺の意識は完全にブラックアウトした―――。


 …………。

 ………………。


(……ん……?)


 最初に感じたのは、土と草いきれの匂いだった。

 それから、頬を撫でる生暖かい風と、遠くで聞こえる知らない鳥の鳴き声。


 重い瞼をゆっくりと持ち上げる。

 視界に飛び込んできたのは、鬱蒼と茂る木々の緑と、その隙間から差し込む木漏れ日だった。


(ここ……どこだ……?)


 体を起こそうとして、驚いた。

 あれだけの衝撃を受けたはずなのに、痛みがない。

 それどころか、体が妙に軽い。

 まるで羽毛にでもなったみたいだ。

 手足に力を込めると、以前よりもずっと力強く動く気がする。


 慌てて自分の体を見下ろす。

 服装は事故に遭った時と同じ、Tシャツとジーンズのまま。

 でも、腰には見慣れないものが巻かれていた。


「これ……俺のベルト……?」


 リュックに入れていたはずの、自作の変身ベルト。

 それがなぜか、寸分の狂いもなく俺の腰に装着されている。

 しかも、昨日完成させた時とは、微妙にデザインが変わっている気がする。

 バックルの中央部分が、まるで生きているかのように微かに光を明滅させていた。


 混乱した頭で周囲を見渡す。

 見たこともない巨大なシダ植物。

 人の背丈ほどもある奇妙なキノコ。

 空を飛ぶ、トカゲのような生き物。空気の匂いも、湿度も、何もかもが違う。


(まさか……これって……)


 いわゆる、異世界転生ってやつか……?


 トラックにはねられたはずの俺が、なぜか五体満足で、見知らぬ森の中にいる。

 そして腰には、謎の変化を遂げた自作の変身ベルト。


 あまりに非現実的な状況に、俺はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


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