親衛隊解散騒動
羽生俊希は我が耳を疑った。
目の前にいる、耳にいくつもピアスを開け、頭を明るく染め、驚くほど制服を着崩した、輝くような美少年――進藤碧の言った言葉が、にわかには信じられなかったのである。
「え……、し、進藤さま……いま、なんて…………」
聞き間違いではないか、そうであってくれと願いながら震える声で尋ねる羽生に、へらへらと、進藤は言う。
「んー? だからぁ、きょうまでで、おれの親衛隊は、かいさんしてねって。たいちょ、いままでありがとねぇ」
いたずらっぽい可愛らしい笑顔から繰り出されたのは、やはり、先ほどと寸分たがわぬ残酷な言葉であった。
羽生は、くらりと眩暈を感じた。
しかし倒れるわけにはいかない。事の次第を確かめなければならない。なぜなら、そのいまにも解散されようとしている進藤碧親衛隊の隊長こそが、羽生だからである。
「…………な、なんで、急に……。……何が、その理由ですか……?」
羽生はぐらつく心境を落ち着かせるように胸元をぐっと握りしめ、進藤に問う。
羽生が進藤の親衛隊を結成して、2年になる。その可愛らしい顔の造りから、進藤は生まれてこのかた周囲に愛され――悪く言えば甘やかされて来たのだろう。自由気ままな彼は、突拍子も無いことを言ったりやったりしては、羽生たち親衛隊員を驚かせた。時には巻き込まれ振り回されることもあったが、そこは彼の親衛隊なんてものに入る者たちだ、「仕方ないなぁ」と苦笑いしつつ喜んで振り回されてきたのである。すると進藤は調子に乗ってさらに羽目を外し、また親衛隊は振り回される。それが、進藤碧とその親衛隊の在り方だった。
これまで、羽生は進藤からいろんなことを言われてきた。無茶な願いも、無茶苦茶な願いも言われてきた。
しかし、彼が親衛隊を解散するだなんて言いだしたことはなかった。
冷や汗を背中に伝わせる羽生の心境など欠片もわからないというような顔の進藤は、あっけらかんとして言う。
「だってー、茉莉がそーしろってゆーんだもーん」
羽生は目を瞬く。
「…まつり……?とは……?」
「茉莉は天宮茉莉だよぉ、一昨日この学校にてんにゅーしてきた一年生!見た目はモサモサしてるけどかわいくてねぇ、おれのこと、心配してくれたんだぁ。親衛隊の子とにゃんにゃんしてるって言ったらぁ、『そーゆーのは本気で好きな子としかしちゃだめだ』って怒ってくれたのー。でえ、『親衛隊がいるせいでまともな友達ができなくて、それでふしだらなかんけーばっかり作ってる』って茉莉がゆーから、とりあえず解散しよーかなって!」
いよいよ羽生の目の前は真っ暗になった。ふらついたところを、隣に立っていた副隊長に支えられ、なんとか踏ん張る。
羽生はその転入生のことを知らなかったし、進藤と接触があったことも感知していなかった。だからその天宮とかいう生徒がどんな人物なのかはわからない。
だがどんな人物であろうと、出会ったばかりの人間に言われたことが理由で「とりあえず」解散されてしまうとは、2年にわたり進藤と関係を持ってきた羽生にも、さすがに予測できなかった。
他に縛られない天真爛漫さは、進藤の魅力の一つである。だが、と羽生は思う。これは、天真爛漫というよりは、なんというか。余談だが、進藤は勉強ができるほうではない。
目の前で、本人曰くのおもしろいことを思いついたときのようなキラキラした笑みを浮かべる進藤。その見慣れた顔が、まるで見知らぬ人間のそれのように見える。今日、この進藤の寮部屋に副隊長共々呼ばれたとき、珍しいことに歓喜し、ファンサービスでもあるのかと期待していたのが、遠い昔のことのようである。
「……進藤さま、は、それで、いいんですね………?もう、俺たちは、……いなくとも」
「うん!みんなにもつたえてねぇ~」
未練たっぷりに言い募っても、進藤はバッサリ、笑顔で切り捨てる。
自分は、自分たちは、進藤にとってその程度の存在だったのか――!
瞬間、心の奥底からせり上がってきた叫びは、ひどく傲慢なものに羽生には感じられ、愕然とした。
たかが親衛隊が思い上がりも甚だしい、と己を落ち着かせようにも、しかしそれが紛れもなく本心であることもわかっている。口からうっかり飛び出す前に咬み殺すと、その代わりか、羽生の眼に涙が込み上げてきた。
するとそのとき、羽生の肩を支えていた副隊長の手に、ぐっと力が込められた。
「オイ、待てよこのクソ野郎」
「……え?」と、羽生の目の前で、進藤が珍しいぽかん顔を披露している。
羽生もぽかんとして、隣を見やった。
そこにはもちろん、進藤碧親衛隊の副隊長である少年が立っていた。
平均ほどの背丈に短めの黒髪、悪くはないが特徴の無い凡庸な顔立ち。進藤に気に入られようと容姿に気を遣う隊員たちの中で、まったく目立たぬ存在でありながら、その事務処理能力の高さから結成以来ずっと副隊長を務めてきた男、有馬慎である。
有馬は平凡な顔立ちを怒りに歪めていた。眉間に深く寄ったしわの一つ一つに憤りが挟まっているようだ。常日頃無表情である彼には珍しい、と余所事のように羽生は思う。
「え、い、いま、クソ野郎って言った? おれに?」
「今の場面でテメェ以外誰に言うんだよ。バカかおまえは」
「ええ?? き、きみ、おれの親衛隊なんでしょ? なにその口の聞き方!」
「親衛隊はたった今おまえが解散とかぬかしたんじゃねえかもう忘れたのかこのニワトリ頭。第一俺はテメェとタメだから口の聞き方もクソもねぇんだよ。いい加減にしねーとぶん殴るぞ」
「ちょ、ちょっと、有馬!」
慌てて羽生が仲裁に入る。
苛立った様子で早口ぎみに紡がれる有馬の言葉に、親衛隊員らしい思慕や愛情は皆無である。有馬は、たしかにもともと「なぜこの隊にいるんだろう」というほど進藤に媚びないし、進藤曰くの「にゃんにゃん」当番に入ったこともないし、それどころか進藤の挙動に頬を染めるようなところも一度たりとも見せたことのない男ではあった。
その上、この物言い。まるで、進藤をいっそ嫌っているようではないか。
有馬は止まらない。
「口の聞き方を直すのはテメェだろクソが。『ふしだらな関係』だぁ? 《歩く下半身》なんて不名誉なアダ名付けられてたカスみたいなテメェが、いつかマズい奴と関係持ってトラブル起こさねえようにっつって、親衛隊が性欲処理してやってたんだろうが。『まともな友達ができない』? そりゃテメェみてーな顔しか取り柄が無くて常識も頭も無ぇカスと付き合いたい奴はいねぇだろうよ。第一なんだよそのピアスに頭の色に服装は。校則って言葉知ってっか? まともな人間にしか『まともな友達』はできねぇんだよ当然だろうが考えろクソ。昨日今日知り合った人間に言いくるめられる前にバカなりに頭使ってから発言しろ。
いいか、俺はおまえのことなんかなんとも思ってねぇしどっちかっつーと反吐が出るほど嫌いだが、親衛隊の奴らはおまえのことが好きで、おまえみたいなクソ野郎のために相当な時間を割いて来てんだよ。テメェで許可した親衛隊だろうが、散々世話んなっといて、人の気持ちも考えず簡単に『解散する』とか言いだしてんじゃねえよ。俺の言ってることも理解できねーほどバカならもう生きてても仕方ねえから潔く死ね。わかったかクソバカ野郎」
今度は、羽生は仲裁に入れなかった。
それどころか、隣にいて一切身動きがとれなかった。少しでも動いたら、自分も撃たれるような気がしたのだ。もし言葉に質量があったならば、有馬の言葉はさながら散弾銃のように羽生を貫いたに違いない。
そして、真正面から蜂の巣にされた進藤は、おそろしく情けない表情で、目に涙を浮かべながら顔面蒼白になっていた。何か言おうと口が震えているが、何の言葉も生み出してはこない。
有馬は羽生の腕を掴むと、「解散は認めねぇ。羽生への謝罪の言葉を考えつくまで死んでもそのツラ見せんな」と言い捨て、進藤の部屋を後にした。
ずんずんずんずんと寮の廊下を歩く有馬に手を引かれ、羽生は混乱しながらその後をついていく。
2年間も隣にいたのに、こんなに喋る有馬を見たのは今日が初めてである。いつも冷静沈着で、隊の会議を言葉少なでありながら見事に取り仕切って、任せた仕事は抜かりなく遂行する、そんな有馬しか見たことがなかった。
そしてふだん態度には出ないけれど、親衛隊業務を完璧に実行していることが、この男の進藤に対する秘めたる好意の表れなのだろうと思っていた。ーー思っていたんだけどなぁ、と羽生は思う。
やがて有馬と羽生がやって来たのは、寮の談話室であった。
有馬は、備え付けの自販機に小銭を入れ、ボタンを押すと、出てきた飲み物を羽生に差し出した。
「え?」
コーラである。なぜ奢られているのかわからず、羽生は有馬を見返す。
有馬は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「……やる。悪かったな」
「え、え?な、なにが?」
「………おまえ、あいつのこと、好きだろうが。なのに、悪く言って、悪かった」
「いや、えっと……びっくりはしたけど、大丈夫だよ」
むしろ思い返してみれば、すっきりしたような気がする。有馬は羽生のために、親衛隊のために怒ってくれたのだ。あそこまで言いたかったわけではないが、訴えたかったことを代弁してくれ、解散と言われたときの悲しみや虚しさは、いまはもう霧散していた。
「……それより、有馬って、進藤さまのこと、嫌いだったんだね。……なのにどうして、親衛隊に入ったの?」
「……」
有馬はまた苦い顔をした。今日はこの2年間で一番いろんな表情を見せてくれるな、と羽生は思う。
有馬はまた自販機に小銭を入れると、今度は500ミリリットルのアクエリアスを買った。
蓋を開け、口をつけると、顎を垂直に上げて瞬く間に一気に飲み干す。
呆気にとられる羽生の前で、ぷはあと息をついた有馬は、空のペットボトルを捨てると、つぶやくように言った。
「……好きな奴が、隊長やるって言ってたから」
羽生は身動きがとれなかった。
その答えが予想外すぎたせいか、ちらりとこちらを向いた有馬の熱い眼差しのせいか、短い言葉の中に込められた2年分の想いのせいか。有馬の頬に見間違いようもなく差していた赤みのせいか。
ただ、有馬が立ち去ったあとも談話室に立ち尽くしていた羽生の中には、確かに、「何か」が芽生えていた。
余談だが、翌日以降、
「あんなにちゃんとおれのこと叱ってくれたのは君が初めて!おれ目が覚めたよ!おれと付き合ってください!」
と、黒髪に戻し服装をまあ整えただの美少年になった進藤が有馬に付いて回るようになり、羽生はそれを見るたび自らに芽生えた「何か」を凄まじい勢いで成長させていくことになるのだった。