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海の女王  作者: 和泉 兎
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流れ着いたもの

 あの夜、ひどい嵐がやってきた。

 風は大きく暴れ、波は荒れ狂い、海中深くまでとても激しいうねりを起こした。


 嵐自体はこの楽園には直撃しなかったものの、この辺りにも多大な影響を及ぼし、激流が襲っていた。

 私の枝からは、例年よりも速いペースで葉が舞い散っていった。


 私のまわりに棲むみんなは、それぞれ岩陰や巣穴に身を隠した様だ。

 そして一部のものは、私の枝の隙間や幹に空いた穴に身を隠した。


 私はそのものたちをそっと抱いて、激しい流れから守る。


 海底にしっかり根を張っているから大丈夫。

 安心して眠ってと心の中で語りかけながら、優しく包み込んだ。


 どれだけの時間そうしていたのかはわからない。

 未だ強い海流を受け流しながら嵐の過ぎ去る気配を感じていると、なんだろう。

 不意に、心が騒いだ。


 私は激しい流れをしなやかに受け流しながら、初めての感覚に戸惑っていた。

 懐かしいような、切ないような、嬉しいような。

 そんな感情が突如として押し寄せてきた。


 私は戸惑いながらも、嵐の気配を探る。

 何かが私の遥か向こうを過ぎていった。

 硬く冷たいものでできた、何かの残骸だった。


 それらは激しい流れに流されて、どんどん楽園の外に押し出されていった。

 それを見送りながらも、ざわざわと心が落ち着かない。


 そんな様子を感じ取りながら、海中広くに意識を向けていると、私は小さな小さなその気配を感じた。


 それは、自分の欠片の気配。

 かつて、私の一部だったものの気配だった。


 いつか、遥か遠くの海まで旅立った私の葉が、帰ってきた。

 たった一枚、奇跡的に形を残した、それが。


 私は、私の一部が帰ってきたことに、喜びを感じた。

 嬉しくて嬉しくて、ひたすらに呼び続けた。


 おいで。

 おいで。

 こっちよ。

 こっち。

 おいで。


 その気配を探りながら、何度も呼んだ。

 でも、嵐によって起こった激しい流れに飲まれたのか、気配は離れていく。


 ああ、流れてしまう。

 行かないで。

 待って。

 待って。


 行ってしまう。


 そう思ったとき、私ははっと気がついた。

 ほんの僅かではあったけれど、海流が動きを変えていた。


 時間をかけてだんだんと激流が緩やかになっていく。

 私は永く生きたけれど、こんな海は知らなかった。


 何が起こったのかよくわからない。

 私は混乱しながらも、注意深く辺りの気配を探っていた。


 すると、一度は離れかけた欠片が留まっていることに気がついた。

 その内に、私の方へと緩やかに流れ出す。


 初めは真っ直ぐ私に向かって。

 そして次第に、海面から降りてくるような流れに変わっていった。


 私に隠れるものたちが、ざわざわと騒ぎだした。

 みんなにとっても初めてのことだから、仕方がない。


 ほとんどのものは、恐怖を感じているようだった。

 でも私は全く怖くなかった。

 むしろ、優しさを全身に感じながら、その流れを大きく広げた全ての枝で受け止めた。


 それは空気の粒をたくさん含んで白く輝く光の柱となって私に降り注ぐ。

 しばらくの時間、ただただその流れを全身に感じていた。


 その光の柱の中を、何かが降りてきた。

 紛れもなく、いつかの私の葉の気配がする。


 ああ、おかえり。

 おかえり。


 遠い海面から、私の枝先を目指してゆっくりゆっくりと沈んで来る。

 私は喜びに震える心のまま、それが帰ってくるのを待っていた。


 でもそれは、それだけではなかった。

 私の枝の間を縫うように降りてきた私の一部は、何かと共にあった。


 さっき遠くを流れていった残骸と比べて、とても小さくて柔らかい、何か。

 それは紛れもなく、生きものだった。


 私は枝を伸ばして空気の塊ごと、それを包み込んだ。

 隙間をあまりあけないように枝を組み込んで、その中にしっかり収めると、私に緩やかに降り注いでいた流れがだんだんとやんでいく。

 そして、流れが完全に止まった。


 海が、凪いだ。


 私はそれには構わずに、意識を集中する。

 枝のまわりにわずかに残っていた葉を一箇所に集めて、丸ごと包み込んだ。

 そして、閉じ込めた空気を逃がさないように覆って、私はやっと安堵した。


 枝に閉じ込めたその命に、意識を向けてみる。

 気の遠くなるような月日を生きたから、すぐにわかった。

 それは、私の周りに生きるものたちが、もっとも恐れるもの。


 人間だった。


 その人間は、かつて私の葉だった欠片をしっかりと手に握り締めていた。

 意識を失っていても決して手放さないように、大事そうに持っていた。


 枝を伸ばして、人間にそっと触れてみる。

 鼓動を感じた。


 まだ生きている。

 そう思ったら、私はその人間をそっと抱きしめていた。

 他のみんなにするのと同じように、優しい気持ちで包み込んでいた。


 とてもとても長く生きた私には、たくさんの知識と情報が蓄積されている。

 この海中で人は僅かな時間も生きられない事は知っていた。


 人間は水中では呼吸ができないこと。

 常に新鮮な空気が必要なこと。

 空気とは別に、食事が必要なこと。

 それらを私は知っていた。


 どうしよう。

 どうしたら、助けられるだろう。


 私は嵐の夜に流れ着いたその命を、どうにかして助けたかった。


 けれど、海底に根を張った私は魚たちのように自由に動くことができないので、空気をとってこれない。

 食べ物も捕れない。

 いくら考えてもどうしようもないという結論しかなく、途方にくれた。


 そんな時、海が助けてくれた。


 新しい流れを作って、私のもとに海面から空気の粒を送ってくれたのだった。


 私は自分の枝を組んでそれを集めると、空気の塊を作って人間の眠るスペースへ入れた。

 それと入れ替わりに、ごぼっと音がして古い空気が気泡となって飛び出していった。


 そんな音がしても、深く眠る人間はピクリとも動かない。

 大きな傷を負って、消耗している様だった。


 でも、温かさを感じる。

 息づかいを感じる。

 鼓動が伝わってくる。

 しっかりと生きているのがわかった。


 私は嬉しくて、ずっとその人間を見つめてた。

 見つめる、ということができていた。


 いつの間にか、私に目があった。

 これまで感じることしかできなかった楽園の様子が、初めて〝見えた〟。


 永い永い年月を生きた私は、いつしか枝の一本を人間の上半身ようなかたちに進化させることができるようになっていた。


 自分でも気付かないうちに、進化したようだった。


 一晩経つと、人間は一瞬だけうっすらと意識を回復した。

 まどろんでいる人間に、届くところに流れ着いていたアオサを少しだけ採って、口に運んでみた。


 私は食事なんて必要ないけど、他の生きものはそうじゃない。

 これでいいのか分からないけど、とりあえず人間はそれを無意識ながらもちゃんと呑み込んだようだった。


 その人間は、アオサを運ぶためにしなやかにうねる私の枝の様子を不思議そうに見ていた。

 そしてその奥に広がる葉に視線を向けると、ぽろりと言葉を零した。


「青い……、フィオラ……?」


 どうやらまだ意識が混乱しているみたいで、それだけ呟くとまた眠りについてしまった。

 でも、その寝顔は穏やかで、私は安心した。

 弱まっていた命の力も、少しだけ元気を取り戻した様だった。


 それでも、まだたくさんの怪我をしている。

 回復には時間がかかりそうだった。


 私は枝をしっかりと組んで、人間がゆっくりと休めるように囲い込んだ。

 頑張って、と願いをかけながら優しく包み込めば、人間は穏やかな表情を見せて、深い眠りに落ちた。


 私は空気を入れ替えたり、時折アオサを与えたりしながら、考えた。


 とりあえず、よかった。

 身体の問題は、時が解決してくれる。

 あとは……


 私は私の気持ちに従って、決めたのだった。

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