失恋に化粧
真っ赤な口紅は、私をスナックのママへと変えるおまじないのようなもの。今日も真っ赤な口紅を引き、店を開けた。
あのバカはどうしようもない女好き。私が経営するスナックに「恋人に振られた」と泣きついてきたと思ったら、翌週には新しい女がいる。
今日もそうだ。また女に振られたと酒を煽ってはさめざめ泣いている。
「あんた、いい加減にしな。恋人を大切にしないから振られるんだよ」
「ヒック…ズビッ…だいせつにぃ、してるよぉ…」
「どうせ翌週には新しい女がいるんだろ?」
「確かにぃ、グスっ、キープしてる子はいるけどぉさぁ?」
「あんたね…。いつか刺されるよ」
このどうしようもないバカは私の幼馴染でもある。とは言えいくら女好きといえども、おしめをしていた頃からの幼馴染は恋愛の対象にならないらしく、私に手を出してきたことはない。
「あーあ。誰かイイ女の子いないかねぇ…グスッ」
「あんたと付き合い続けるのはよっぽどの物好きだけだねぇ」
例えば私とか。そんな言葉を呑み込んで私はグラスを磨く。すると店のドアが開く音がした。
「いらっしゃい」
「ああ、酔っ払いの回収にきたよ」
「遅いじゃない悠里」
店に入ってきた大柄な男は、もう一人の幼馴染である悠里だった。このバカがいつまで経ってもカウンターでウダウダ営業妨害するものだから、いつも回収を頼んでいる。
「全く、ほら帰るぞ」
「悠里が言うならぁ、しょーがないなぁー?」
「もぅ、悠里の言うことだけはちゃんと聞くんだから…。ほら、さっさと帰った帰った」
あのバカはべったりと悠里に寄りかかりながら店を出る。全くもって分かりやすい男である。
長年幼馴染をやっているとよく分かる。あのバカはどうしようもない女好きだが、本命は悠里なのだ。
また2週間も経たずして、バカは私の元へ泣きつきにきた。今日はスナックが休みのため、わざわざ自宅に押しかけてきた。いい加減にして欲しいものである。
「あんたねぇ、毎度私のとこに来るのはなんなのよ」
「ヒック、そりゃ、おめぇ、嫌とか言いながら俺の話聞いてくれるからな…ズビッ」
ドキッと心臓が跳ねた。
「っ、あ、あんたね…」
「あぁ、もう女ってやつはわからねぇよ…グスッ」
「私にはあんたが分からん」
「もういっそ、おめぇと付き合っちまうか?」
聞き間違いか?
「おめぇくらいサバサバした女の方が…」
心臓の音が煩くて、よく聞き取れない。頭の中が、心がどんどん浮ついて行く感覚だけは確かにあった。
「俺と付き合うか?」
考えるより先に何かを口走りそうになったその時、玄関のチャイムが鳴った。
「あ、あいつを回収に来た…」
チャイムを鳴らしたのは息を切らした悠里だった。あのバカが急に変なことを言い出したのも、悠里がまだ連絡は入れていないにも関わらずあのバカを回収しにきたことで合点がいった。
「あんた、もう家に来るんじゃないよ。迷惑だ。それから、店にも一人で来るな」
「えぇ…」
「えーじゃない。私と悠里が迷惑だ。ほら、帰った帰った」
バカは口を尖らせつつも、悠里に寄りかかると素直に帰って行った。
「やっぱり、どうしようもないバカだね」
あんたも、私も。
鏡の前でどうしようもない私から、立派なスナックのママになる魔法をかける。
「さよなら、酷い人」
今日も私は真っ赤な口紅を引く。