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恋と化粧  作者: 今日の空
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初恋と化粧

これから私は好きな人に会いに行く。






初めて彼と出会ったのは、社会に出たばかりの頃。私はまだ慣れない化粧を先輩に揶揄われつつ、とある企業の受付嬢をしていた。


「こんにちは。先日ご連絡をさせて頂いた、大賀商事の高瀬と申します。営業課の成田さんはいらっしゃいますか」


まだ女性が大手企業で働くことが一般的ではなく、受付が女性と言うだけで失礼な態度をとる方も珍しくない中で、彼の丁寧な口調は非常に印象的だった。


「営業課の成田ですね。お取次いたします」

「お願い致します」


彼は待っている間も紳士的で、まだ社会に出たばかりの私の目には「かっこいい大人の男性」そのものに映った。






我が社の取引先に勤める彼は、その後も何度も我が社に足を運び入れていた。取次の合間に彼と雑談を交わすようになったのは、慣れなかった化粧も様になって来た頃。


「最近、暑くなってきましたね」

「ええ、こんなに暑いと頭から水を被りたくなってしまいます」


そう言って彼はハンカチでひたいの汗を拭う。その仕草がやけに色っぽく見えてしまう私はすでに恋心を抱いていた。






彼に対する恋心が先輩にバレて揶揄われるようになった。意外にも彼の方から食事に誘ってくれたのは、自分なりの化粧が板についてきた頃。


「君の仕事に対する真剣な姿勢や、その人柄に惹かれていました。どうか僕とお付き合いしてください」

「そ、そ、そんな。私の方こそ、えっと、なんというかその、ずっと好きですっ!」


彼の真っ直ぐな言葉にドギマギしながら、返答としてはどこかズレている返事をしてしまった。今にも顔から火が出そうな中、彼をチラリと見るととても優しく微笑んでいた。






彼と交際を始めてから結婚の話が出るようになったのは、年上の彼に少しでも近づく事ができるように力を入れて化粧をするようになった頃。


「娘さんを幸せにします。どうか結婚を認めてください」

「いや、許さん。聞けば君は地方の出というじゃないか。あそこの土地の血筋は駄目だ。帰った帰った」


私の父は頭が硬く結婚の挨拶も門前払い。私が何と言おうと、彼が何を言おうと「許さん」の一点張り。別れなければ家族の縁を切ると言われ、ついに頭に来た私は彼の家に転がり込んだ。






家を出てからすぐに父が亡くなったという便りが母から送られてきた。私は母に呼ばれて父の葬式へ出るために控えめな化粧をした。


「受け取ってちょうだい。父が貴女に残した手紙よ」


複雑な気持ちになりながら手紙を開くと、そこには私の体調や将来をただひたすらに安ずるという、頑固で古臭い考えばかり押し付けるような父らしくない内容が綴られていた。また、手紙の最後には「書斎の机の裏に隠してある金を結婚資金に当てるといい」と、遠回しに結婚を認める内容が綴られていた。


「馬鹿…。謝罪もできないじゃない…」


化粧が涙に流されて行く中、私の方をそっと支えてくれたのはやはり彼だった。






喪に服す期間が明けしばらくたった頃、私は寿退社をしていた。今日は本職の手によって人生で最も美しく化粧をされた。


「とても…とても、綺麗です。」


心のこもった彼の言葉に、思わず出会ったばかりのようなトキメキと照れ臭さを感じ顔が赤くなった。


「ま、全く。変な意地を張らなければ、父も結婚式を見ることが出来たのに」

「そうですね。でも、きっとお父様も天国から貴女の晴れ姿を見守っていると思いますよ」


そう言って彼は優しく微笑んだ。お父さん、私は今日この人と一緒になります。






長女が産まれ、慣れない育児に翻弄される幸せな日々。忙しさのあまり、化粧をしなくなった頃、旦那の職場から電話が入った。


「もしもし。高瀬さんの奥様でしょうか?」

「はい」

「えっと、その、ご主人が職場で倒れてしまって…」


頭が真っ白になる。隣の家に長女を預けて病院へ向かうと、そこに待っていたのは医者からの余命宣告。






聞いていた余命より遥かに早い真夜中に、旦那が危篤と知らされた。化粧どころか寝巻きから着替えることもせずに病院へ向かった。

病室に入ると旦那がうっすらと意識を取り戻した。


「あゝ、来てくださったのですね」

「…もちろんです…」


旦那は娘の顔を見て「父さんは遠いところに行くけれど、ずっと見守っているよ」と言った。そしてその瞳は私を映す。


「貴女は出会った時から、ずっと綺麗ですね」

「寝巻き姿でも?」

「もちろん」


彼は残酷なほど優しく微笑む。


「2人のこの先をずっと見守ります」

「見守るだけじゃなくて、私がそちらに行くまで絶対に待っていてください。じゃないと、地獄まで祟りに行きます」

「…ええ。その時までお待ちしています」


強がりでさえも見通すような瞳が光を失うのを私は見届けた。






娘が化粧をするようになった。好きな人が出来たという。最近は娘の参観日に、眉を描いたりシミを隠したりするなど最低限のマナー程度の化粧しかしていなかった私は、娘の行動で彼と出会った頃を思い出す。


「お母さんがメイクするなんて珍しいね」

「たまには、ね」


私は仏壇に飾った彼の写真へ向かった。


「娘も好きな人が出来るお年頃になりました。私もあの頃のようにお化粧をしてみたのだけれど、どうかしら?」






あなたが亡くなってから、女出ひとりで必死に育てた娘が嫁に行くことになりました。娘もあの頃の私のように美しい化粧をし、衣装を身に纏っています。私も母として恥ずかしくないように化粧をしています。


「あなた、娘の晴れ姿はちゃんと見ているでしょうね?」


写真のあなたは優しく微笑むばかり。






あれからどれだけ経ったでしょう。酷いくらい優しいあなたは、身体が何処もかしこも痛むようになってもまだ私の元へは来てくれない。そんな所が嫌いです。私は今日もおぼつかない手で化粧をする。


「早く迎えに来て下さい」


いつでもあなたに逢えるよう、私は身支度を済ませています。







_ふと、頭が冴えて身体の痛みが引いた。私は布団から起き上がり、鏡の前で化粧箱を取り出した。


化粧水を馴染ませる。

下地を塗る。

粉をはたく。

眉を描く。

お気に入りの色で目元を飾る。

頬を染める。

口元に紅を引く。


「うん。これでいい。」






これから私は好きな人に会いに行く。

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