第二話:影を追い、エルドに揺られ─その四
ジャックと戦士が交代で見張りをしたが、その夜は不気味なほど静かだった。陽が昇る直前に行動を始め、件の遺跡群には昼頃。陽が頭上を通り過ぎるかのタイミングでたどり着いた。翌日の陽が沈むころに再び合流することを約束し、ジギオンたちとは別れることになった。
「それで、お嬢様は何をお探しなんだ?」
ジャックがいつもの調子で尋ねる。見当は付けていなかったが、やることははっきりと決まっていた。
「遺物を探したいの。多く見つかる場所はないのかしら。それと……」
ふとエルの顔が思い浮かぶ。彼はこの遺跡から来たと言ってなかったか。
「この辺りで隠れ里のようなものを発見しなかった? 知り合いにここから来た人がいるの」
彼の表情が一瞬だけ険しくなったような気がした。しかし、その言葉を聞かなかったかのように彼女に背を向けて歩き始めた。
「遺物か。そういえば言ってたな。残ってるかわからないが、前回通りに回ってみよう」
遺跡には家々が整然と立ち並び、思ったよりも文明を感じるものだった。家の中の造りはコルストヴァの貧民街のものとほとんど変わりはないように思えた。扉を開けると狭いキッチンと最低限の広さのリビングが客人を出迎え、そこから三方に扉がついている。その先は大抵、寝室か物置のようだ。周囲より高く、大きめの家には浴室らしき空間やトイレを備えていることもあり、彼女にも理解できる社会的な営みがあったことが窺える。彼が言うには数千人は居住していたと推測されているらしい。そして探索者の発掘が進むにつれて遺跡も徐々に広がっているという。彼らが到着した出入り口付近の通称“文明通り”の一角は数百軒のアパートや大きめの建造物が立ち並ぶが、更に奥に行くと雰囲気が怪しくなってくる。遺物は文明通りより奥にしかなく、そこでは未知の怪物が跋扈している。ふたりは周囲を警戒しながら廃墟を進んでいく。聞いたことのない甲高い音が聞こえてくることもあれば、枯れ草が風で擦り合わさる微かな音の時もある。
「あの“教会”で休憩しよう。他の探索者や情報屋がよく屯している」
コルストヴァの教会のような石造りの建物だ。違いがあるとすれば尖塔街と呼称される彼の地の教会のような天まで聳え立つ塔はない。代わりに丸みを帯びた窓や装飾的な外廊下と軒を支える白く真っ直ぐな柱が印象に残る。中に入ると焚火の跡や白骨が散らばっているが、まばらに人がいる。壁には木炭で書いたらしき落書きが目立つ。装飾として施されたらしい模様として、入口の真向かいにある壁には棘がまばらについた二重の円環が刻まれている。太陽を模したものだろうか。
「ジャック、あれは何?」
「あれか。ここに住んでいた人々の信仰の証だということはわかっている。アポタイトやデュルガウムと関連があるとか言われているけど真相はわからないんだ。個人的にはばあちゃんの家で似たようなマークを見た覚えがあるんだけどな」
彼は座って休憩していた男に声をかける。
「やあ、旦那。今日はサムクチルは出てるか」
「運がいいな、アンタ。今日はすこぶる静かだぜ」
「そうか、ありがとさん。旦那も用心しなよ」
ふたりはその場を離れ、“教会”を後にする。
「ジャック、そのサムナントカって何?」
「サムクチル、さ。誰が言い始めたのはわからないがこの辺に出てくる見慣れない生物をひとまとめにしてそう呼んでる」
「へえ、どんなのが出てくるの?」
「たくさんいるけど、羽音を立てて低空飛行をしてくる“シザーコック”や天井からぶら下がって真下を通りかかる獲物を捕まえる“シリングアントリオン”をよく見かけるね。運が悪ければ出会えるさ。あまり見ていて気持ちのいい物じゃないし、見つかっても厄介なヤツばかりだ」
彼は口をへの字に曲げ目を細める。軽口をすぐ叩く印象の彼が本当に嫌がっているのを見ると彼女としては俄然興味がわいてしまう。
「じゃあ、今日はアンラッキーグッズを探しながら歩こうかしら」
「そうまでして会いたいのかよ。そもそもアンラッキーグッズってなんだよ。そんなもん聞いたことねえぞ」
他愛もない会話をしながら道を進んでいく。“教会”から離れるごとに土で作られた家が少なくなり、がっちりとした石造りの建物が多くなっていく。しかし壁が崩壊した箇所や溶けた形跡があり、過去に災害か激しい戦闘が起きたことを物語っている。
「どのくらい奥まで進むの?」
「丁度入ってきたところから反対側、歩いてちょうど陽が沈む前だ」
「もう少し涼しくなってからにしない?」
「行動するならこの時間帯がいいんだ。追いはぎの類も少ないし、涼しくなったころには目的地にたどり着くから」
昼から時間が経ち、一日で一番暑い時間帯だ。できる限り建物の影を選んで歩くしかない。
歩き進めるにしたがって道の両脇の家の高さが心なしか低くなっているように感じた。砂が積もっているせいだと気がついたころにはふたりはずいぶん奥まで進んでいた。
「伏せろ」
彼の鋭い一言に反応し、地面に腹ばいになる。ぼろぼろの布のマントは砂の色と同化し、目立つことはない。現に丘の上、大きめの家に数人が入っていくのが見えたが、向こうからこちらの存在は悟られなかった。
「さっきのは?」
「さあね。ただこの彷徨街で親切な人はごく僅かだな」
「なら彼らが親切な人たちの可能性は」
「もちろん、ほぼゼロ」
「そっか。あそこを避けて通ることはどうかしら?」
「そうしたいけど俺はこの道以外は知らねえ。冒険するのはせめて嬢ちゃんがいないときにしたい」
結局、例の家のそばを通るほかないようだ。ふたりは物音を立てないよう近づく。幸いにも窓や開放部は少なく、気取られることはなかった。しかし、すぐそこから男たちの話す声がはっきりときこえる。道に面した場所は壁が崩れていることがわかる。
「おい、このリュックの中を調べてくれ。俺はこいつの集めたやつを吟味する」
「お前そういってまた高いやつをこっそり自分のものにするつもりだろ」
「おいおい人聞きわるいぜ。この前はお前の好みの女を融通してやっただろ」
「そんなんで足りるかよアホ。あとそれじゃあいつもちょろまかしてますって言ってるようなもんだぜ」
「うっせぇな。お前は自分の仕事すればいいんだよ。で、先生。こいつの武器はどうだい?」
「鉄棒は普通だが、こっちの短剣は相手によっては高く売れそうだ。武器としての価値は低いが、装飾が凝ってる」
会話の内容からどうやら盗賊の類だ。探索者を襲ってその戦利品の品定めをしているらしい。この辺りに人はいないのだろうが、あまりに無防備に思えた。
「嬢ちゃん。少し力を貸してくれるか」
「ええ、もちろん」
「よし、俺はすぐそこの壁の割れ目から侵入して一人倒す。アンタはあそこに登って上から奇襲。一人やってくれ」
「分かった」
袖にいつも使っているナイフがあることを確認し、頷く。彼が彼女の足を両手で持ち上げ、その勢いを借りて屋根に静かに着地する。しかし僅かな物音にも彼らは敏感なようだった。
「何か聞こえなかったか?」
そう誰かがつぶやいたと同時に階下で「誰だお前は!」と怒号が響いた。屋根の端から見下ろすと、ジャックがひとりを勢いよく杖で突き倒している。そして彼を挟み込むように二人が得物を取り出して仲間を助けようと動いている。アーツを発動すると、視界内の盗賊たちのベールが一瞬で彼を包み込む様子が見える。彼と事前に決めた手筈通り、シーラは空に身を投げ出し、露出している梁に掴まり方向を調整。ジャックの背後から襲い掛かる、髪を几帳面に整えた男の背中に飛び乗った。「ぐえ」と苦しそうな声を上げて倒れこむ男の喉笛に刃を走らせる。鮮血が飛び散り、口から声にならない声と血を出しながらもがく。シーラはすかさず二回ほど首筋にナイフを突き刺す。地面の血だまりは勢いを増し、彼は数秒で力を失った。顔を上げると、ジャックも細身の剣をどこからか取り出し、鎖骨から腹まで袈裟斬り。追加で腹部を水平に切り、致命傷を与えたところだった。殴り倒された男はいつの間にか左胸に斜め一直線の深紅の染みを作っている。
「へえ、それ武器だったのね」
彼が血糊をマントの端で拭き、剣を鞘に納めると見かけ上は元の杖に戻ってしまった。コルストヴァでは平民の武器は制限されている。犯罪対策はもちろんだが、反乱に利用される恐れもあるからだ。槍、剣の類は基本的に所持が禁止されている。そのため、シーラはもちろん、都市民は護身用に服の下に隠せるナイフや短剣、鉄棒を持ち歩くことが多い。
「まあな、特注だ。しかし嬢ちゃんもそんな短いのでよくやるな」
「ええ。こういうのは思い切りが重要なの」
感心したように彼女を見るジャックに向かって胸を張る。
「そういえばこれ遺物だな。持っていくといい」
彼らが漁っていた探索者の鞄から鎖のついたペンダントをふたつ差し出す。片方は三角形を二つと円を組み合わせた奇妙な図形が象られている。もう片方は閉じかけた眼のような形だ。
「なにこれ?」
ごく自然に疑問が口をついて出てくる。
「さあな。遺物ってのは精神世界で作動する物が多いが、解析してみなきゃわからない。役に立つ物だとわかれば貴族が高値を付けてでも買いたがる。しかし残念ながら肝心の解析技術を俺は知らない」
「だからみんなあつめてるのね。まさに一攫千金の大博打ってことかしら」
彼女は盗賊の服を切り取り、ペンダントを包みこむ。自分の精神世界に干渉されては面倒だと判断したからだった。