第二話:影を追い、エルドに揺られ─その一
明朝。家に帰って数時間の仮眠を取り、まだ日が昇る前に再び労働者街に足を踏み入れる。ボロボロの布で作ったマントを身に纏い、朝の冷気よけにフードで顔を覆えば誰も彼女のことなど気にしない。南の外壁から数ブロック、目の前にあるのは左右の家と同様に土と砂で作られた狭い家だ。特色といえば近くに冒険者、探索者と呼ばれるいわゆるなんでも屋がたむろする酒場や彼らに仕事を斡旋する互助会館が集積していることだろうか。ジャックの居場所はそうした場にいる人から容易に聞き出すことができた。最近仕事がなくて丁度手持無沙汰だろうという話だ。詳しく聞くと彼は学者ではなく、探索者らしい。シーラは彼がいるらしい部屋の扉を遠慮なく叩いた。
「誰だ?」
扉を少し開けた隙間から若い男がぶっきらぼうに問いかける。
「南方遺跡の探索依頼について話を」
男の対応は素早かった。有無を言わさず扉を締めようとしたのだ。しかしシーラもそれを予想していた。袖に潜り込ませていたナイフを扉の隙間に差し込み、辛うじて男の動きを止める。
「ヴァルギリウスが亡くなりました。あなたのことはハバロフス氏の論文で知ったのです」
「どちらも心当たりがない」
シーラは頭をフル回転させ、言葉を絞り出す。
「では、あなたに依頼をさせてくださいませ」
男は押し黙り、数秒の後に扉を少し開けた。ナイフが何かで弾かれたが、彼が扉を閉じる様子はない。
「依頼は会館を通してほしいんですけど」
「まあ、そこをなんとか」
「チッ、面倒臭えなあ……分かりました。朝飯を食べに行きましょう。少し待っててください」
数分後、羽飾りのついた派手な帽子を被った男が杖をついて出てきた。帽子の下から覗くくすんだ赤髪は一目で寝起きとわかるほど飛び跳ねている。長身瘦身の彼と連れ立って近くの広場へと行くことになった。数軒の屋台の周りは出勤する労働者や街を発つ探索者でごった返しており、誰もが変わらぬ日常を過ごしている。そのうちの一軒で簡単なミートパイを手に入れ、ベンチに並んで座る。
「今日のはトカゲのミンチか。ラッキーだな」
「おいしいですね」
少ししなびた生地に淡白な味わいの肉。塩とテツキュウオレンジの苦みと酸味が脂のうま味を引き立てている。特に酸味が朝の少しぼんやりとした頭をはっきりとさせてくれる。
「ジャック・オードリアはあなたのことですね」
まずは名前を確認する。ドア越しの攻防でほとんど確定したようなものだが、本題を始めるきっかけ。軽いジャブだ。
「さて、知り合いにそんな名前の奴がいた気がしますね」
警戒されているようで答えてくれない。しかしこちらの素性を全く明かしていない以上、当然の反応かもしれない。だが彼女としても迂闊に名前を名乗るわけにはいかない。
「ではヴァルギリウスという人の名前は聞き覚えは?」
「そうだな、知り合いにいたかもしれない。なにしろ取引先も仕事仲間も山ほどいる。だから依頼人の名前をいちいち覚えていられるほど暇じゃないんだ」
「それにしては私の話に食いついてきましたよね」
男は少し苛立ちをみせて口からパイを離した。
「で、依頼は何だ。ガキがいっちょ前に探り入れてんじゃねえぞ」
「南方遺跡への探索に同行してもらいたいのです」
シーラは実際の所、何も考えていなかったが案外口を開けば出てくるものである。正確には考えが全くないわけではない。彼は否定しているが、ハバロフスクの書いた論文の共著者だ。探索者ということは彼の調査に同行していた可能性が高い。当時の足跡を辿らせて学者についての話しやうまくいけば父の話を聞きだすことができるかもしれない。だが、彼の反応は芳しくなかった。
「おいおい、あそこにまた行けっていうのか……」
そこは何回も行きたいほどの場所ではないらしい。ぼそりと呟く彼の言葉を聞こえないふりをして畳みかけてみる。
「どのくらい出せば行ってくれますか?」
「いや、行くとはいってねえ」
「そうですか、では他の人を当たってみます」
丁度ミートパイを食べ終わり、ベンチから立ち上がる。このまま人混みに紛れ込んでしまえば二人は二度と会うことはないだろう。
「分かった、降参だ。俺を連れていけ。その代わり依頼料は言い値な」
マントの端を引っ張られる。彼女はニヤつきながら疲れた表情の彼を見下ろす。
「ふーん。そんな言い方するんですね。なら他の人に頼もうかな」
彼は唇を横一文字に結んで何かをこらえた後、立ち上がる。
「この通り、俺を使ってください!」
地面に額を擦り、大声を上げる。周囲の人はちらりと二人を見るが、すぐに自分の時間がないことに焦りを覚えるのか去ってしまう。たっぷり五秒は経っただろうか、シーラは彼の前にしゃがみ込むと声をかける。
「わかったから仕事についてお話しましょ」
二人は広場を離れ、彼の家にほど近い会館に向かう。互助会館は登録されている探索者への手紙なども取り扱っているため、数日間預かってほしい場合は受付で申請する必要がある。
「今日含めて五日間なんだけど、手紙なんてそんなに頻繁に来るものなの?」
受付から戻ってきた彼に聞く。少し疲れたような表情をしている。
「仕事仲間とのやり取りは探索者やっていく中で命の次に大事だぜ。伝手で仕事にありつけることもあるし」
「そうなんだ。個人とか数人のパーティー組んでやってるからあまり他人と関わらないかと思ってたわ」
「不安定な仕事だから助け合いが肝心なのさ。人に嫌われたら仕事回してもらえなくなるなんてザラにある」
「コルストヴァの外では仕事ないの?」
その言葉に彼は彼女から視線を外す。その目はどこか遠い場所を見ている。
「そんなものねえさ。あんな田舎に自分の仕事なんてねえ……おっと、この話はどうでもいいことさ」
「?」
一体どこのことを指しているのか、物心ついたころから都市で暮らしていた彼女には見当もつかなかった。そんな沈黙を埋めるように彼は彼女の肩を押し、外へ促す。