第四話:砂漠に抱かれる魂─その八
シーラは夜の作戦に備えてエルの待つ家に戻った。身支度を整えるためでもあるが、彼を再度ハスラの家に預けることも考えていた。
「姉ちゃん、今度はいつ帰ってくるの?」
「明日陽が昇るまでには解決するわ。それまでハスラおじさんの所で待っていてくれる?」
「はーい」
やや不服そうだが、それで彼の気が済むなら安いものだ。いつものごとく身体を清め、闇に紛れるための暗い服に着替える。武器はナイフが二本とハスラの家に預けている仕込み杖だ。彼も彼女に倣って黒いマントを纏っている。二人そろってコルストヴァの家々の屋根を走り抜けていくのも新鮮味があって楽しい。私を任務に連れていた父も同じような気持ちだったのだろうか。
当然扉を開けたハスラは面食らった表情を浮かべる。
「な、なんだお前ら」
二人を扉の隙間から困惑気味に覗き見る様子を苦笑をこらえながら誤解を解く。
「こんばんは、ハスラさん。シーラですよ。エルを預けに来ました」
帽子を脱ぎ、顔を見せる。彼は一気に安堵した様子で扉を大きく内側に開く。
「なんだ、アンタか。強盗に間違えられても文句言えない格好してるからな、ふたりとも」
その言葉に反して二人は快く迎え入れられる。エルは黒いマントを半ば強引に引きはがされ、寝室へ。シーラはハスラに頼んでおいた仕込み杖の整備状況を尋ねる。
「杖は使えそうですか?」
彼は難しい顔で首を横に振る。
「ダメだ。刃が曲がって鍛冶師に頼んで直してもらってる。あ、もちろん当然他言無用って釘を刺してるからな。俺の昔からの友人だから信用してくれ」
「ええ、私も無理を言ってすみません」
「ありがとな。というわけで間に合わなかった。ほんとにすまん」
ないのなら仕方がない。あの大鷲が飛び掛かるかのような触腕の鋭い打突を二本のナイフで凌ぎ切るほかない。
「大丈夫です。エルのおかげで体調も良くなりましたから」
「はは、そうだろう。あいつの飯は美味いからな」
実際に彼女はいつもより身体が軽く感じている。いつもの八割くらいの体力で今日に臨むことを覚悟していたが、今の彼女は気力共に十二分の状態だ。彼のおかげだということは否定しようがない。寝室を覗くとエルはまだ起きており、彼女に視線を向ける。初めて会った時の輝くような瞳を思い出した。あの時から少しでも家族に近づけただろうか。
「今度は自力で帰ってきてね」
「ええ。肝に銘じておくわ」
以前と変わらず生意気な言い草に笑みをもらす。ふと疑問が沸き上がった。彼はなぜあの日あの場所に来たのだろう。
「そういえばエルはどうしてあの教会に来れたの?」
「ああ、あれね。変な夢を見たんだ」
部屋で寝ていた彼は頬を撫でる風に気が付き、目が覚めたらしい。外に出ると、風上に赤く輝く光が見え、自分を呼ぶ声が聞こえたという。
「なんかすごく幻想的な話ね。誰がエルを呼んでいたの?」
「何となくだけど、ヴァリィおじさんだった気がする。ハバロフおじさんの家に遊びに来た時にかけてくれた声と同じ感じがしたから」
「そう。……ありがとね。お姉ちゃんはもう行くわ」
「うん。気を付けてね」
彼の声を背に受けながらハスラの家を後にする。
今度は負けない。勝ってこの手で未来を切り開く。
彼女は羽根つき帽子を目深に被り、地面を蹴った。
その少し前。コルス大聖堂では千人ほどの司祭が講堂でひしめき合っていた。数十人ほどはイエローグラス地方に設置された礼拝堂の管理者だが、それ以外はこの大都市コルストヴァで祭祀や慈善活動、教育に従事する司祭たちだ。彼らは各々の神学的探究の進捗や結果を報告し、数人の代表者から質問を受けていく。それに対する回答は再び代表者によって吟味され、その是非を判断される。
最後の発表を行うべくゲルハルトが講壇に登る。ひとつ前の発表者は今の教会の繁栄を肯定し、全市民がデュルガウム神教を信じるべきだとまで言った。会場は拍手が湧きおこり、半数の代表者によっておおいに称賛された。それでもごく一部の司祭が質問や指摘を述べたが、発表者ではなく代表者のひとり、ラネクメネス司祭によって反論されている。彼は北部に影響力を持つ古参の司祭で、古くからデュルガウム神教至上主義者として知られている。先ほどの発表者も北部の教会に派遣された司祭だ。面倒を見ると同時に発表の場においても成果を与えることで自身の派閥に加えたいという意図が見え隠れしている。
再び講壇から見える景色を眺め渡す。例の古参司祭を始め、彼の腹心のジギオンなど多くの司祭はトップたる彼が何を発言するのか注目していた。当然、同じことの繰り返しだろうと興味なさげに隣と話始める司祭もいる。彼らに見下ろされる位置にあるその一角からは彼らの様子が手に取るようにわかる。自身の言葉をこの場の全ての人に届けなければならない。そう決心した司教はあえて沈黙を選んだ。
何も話し始めない彼に対してざわめきが広がる。あるものは戸惑ったように隣の者に話かけ、亦たあるものは発言を求めて手を挙げる。しかし彼は落ち着き払って彼らを見渡すだけだった。数十秒かけて混乱が完全に収まり、講堂に沈黙が訪れる。そこでようやく彼は口を開いた。




