第四話:砂漠に抱かれる魂─その三
午後を回る頃には身体も軽くなっていた。とはいっても全身の筋肉は回復途中で内臓もダメージを負っている。医者はあくまでも安静にしておくべきだと注意したが、彼女には向かわなければならない場所がある。どうしても外せない用事があるのだと伝えると、彼はため息混じりに薬を渡してくる。
「本当は言うことを聴いてくれない患者なんてご免なんだけどね。しかしアンタの回復力が尋常でないことも確かだ。歩けないほどの痛みを感じたらそれを飲んですぐに私を呼んでくださいね。いいですか、すぐにですよ」
静かだが、恐ろしいほどの剣幕で念を押され、頷く。こうして彼女は陽が沈むころ、コルストヴァの街に足を踏み出した。タナメクス地区のパブ、 “マイティボアの鼻”亭。外壁に近く、周囲は監視塔の兵士や門番の詰め所、比較的裕福な市民の集合住宅が並ぶ。パブの中は奥行きがあり、店主の前のカウンターのほかにテーブルが雑多に置かれている。夜が始まったばかりの時間にもかかわらず、ほとんどのテーブルが埋まり、会話で賑わう。この周辺は治安は悪くはないが様々な勢力の間者の手が入り込んでいると父に教わったことがある。例えばパブの端っこにひとりで座っているのは行商人の一族であるハブアッスル家が雇っている男だ。他にも三人ほど司祭や騎士、商人の耳が周囲の会話を盗み聞きしている。教会関係者、ましてや司祭という高い身分の人物が面会を持つ場所にしてはリスクが高いように感じた。シーラはフードをしっかりと目深に被り、人の間を縫っていく。カウンターにたどり着くと、マスターがその小さな人影を認め、訝し気に声をかけてくる。
「どうした坊主。父親とはぐれたか」
「ええ、そのようなものです」
彼のからかうような口調にカウンターで飲んでいた男たちが笑う。
「ったくしょうがねえヤツだな。そいつの名前は?」
「ジギオンという名前です」
客たちは笑っているが、マスターの瞳の奥が一瞬だけ細くなった気がした。
「知らんな。裏口にでも行って吐いてるんじゃねえかな」
そう言ってカウンターの脇の出入り口を親指で指し示す。どうやら心当たりがあるらしい。シーラは小さくお辞儀をして彼の傍を通り過ぎる。
彼らの横を通り過ぎ、暗がりを進む。廊下が続き、部屋が何個か連なっている。どれに入ったものかと逡巡していると、どこからか人影が現れた。
「名は?」
「シーラ、です」
ごく短い問いに緊張しながらも答えた。すると人影は何も言わずに奥へ進んでいく。蝋燭の小さな光があるおかげで酒樽や保存食を置いておく保管庫であることがわかるが、夜目に慣れる訓練を受けていない人であれば先を急ぐ光のほかは闇に包まれた空間に感じるだろう。ふたりは酒樽の間を抜け、急勾配の階段を上がり、石造の一室に通された。
「ようやく来てくれましたか」
そこにいたのは紛れもなくジギオン司祭だ。約束は二日前のはずだったが、彼は辛抱強いらしい。
「すみません。少々トラブルがありまして。三日ほど寝込んでおりました」
「なに、および立てしたのはこちらの方ですから。それより歩きにくそうにしてらっしゃいますが大丈夫ですか?」
身体から痛みはなくなっていたが、まだ本調子でないことは見てわかるようだ。彼女は苦笑交じりに「大丈夫ですよ」と返し、席に着く。
「それでは本題に入りましょう」
彼は机の上の蝋燭に火をつける。暗闇の中で皺が刻まれた初老の男の顔が浮かぶ。遺跡での調査の時よりは少し疲労感が出ているように感じる。
「ヒポリタスと名乗る男、つまりレイキール・カイザスについて我々のほうでも調べました。彼はごく最近までただの若い司祭に過ぎなかった」
彼の勤める教会にはおかしな点がある。ひとつが割り当てられた予算に対して出ていく金が多すぎること。建物の改築工事や教会内の立像の修繕費用が特におかしい。彼が職工に支払った額は契約書通りだが、職工に実際に入ってきた額はそれよりはるかに多い。その分の費用は司祭が信者から非公式に寄進を集めているか、誰かが都市外からこっそり金貨を持ってきていると思われる。ふたつめは周辺で教会から悲鳴のようなものが聞こえた、という証言があったことだ。さらには数年前から周囲の住人が何かしらの事情で引っ越しを余儀なくされている。
「これは私の推測でしかありませんが、隠し部屋のようなものを講堂内に作っているのではないかと思います。そしてそれが外部にばれるリスクを減らすために周囲の人払いを進めている」
ヒポリタスの言葉が脳裏によぎる。意識が朦朧としていたが、たしかに地下牢という単語を発していたはずだ。
「地下が怪しいでしょう」
「やはり何かありそうですね」
「ええ。彼の話によれば地下に部屋があるらしいので」
「なるほど。姿を現さなくなったことと関係がありそうですね」
彼は何やら合点がいったようだった。しかしまだ彼女のことは信用しきってはいないらしい。それでも彼自身に危害を加えない以上、ヒポリタスの手の者だという考えは消したのだろう。ようやく彼は提案を始めた。
「あなたに依頼をしたい」
「私に、ですか? ご冗談を。私はただの市民です」
「ならエルドを放したときの手癖はなんでしょうか。溶けた鍵をみただけですが、ただのちんけな盗人とは思えない手法でしたよ」
「!」
錠前に薬をかけていたタイミングをみられていたのだろうか? 一瞬だけ息が詰まる。
「ははは。そう警戒しないでください。あなたの正体については推測が付いているのです」
「そんな大仰なものではないですよ」
「ええ、そうですね。実をいうと本来の依頼主は私のはずでした。”ゆうやけにすずむ”。このフレーズを聞いたことはありませんか」
父から託された使者との合言葉。昨日のように思い出せる。
「”あさやけはこない”」
「ええ、そうです。しかしどういうわけかあなたは私ではなく彼の元に向かってしまった」
「あなたは女性の方を向かわせましたか?」
あの時、司祭の元へと導いたのは女性の声だった。しかし彼は首を振る。ようやく頭の中で話がつながる。口調こそ違えど、彼女はレイアではなかっただろうか。拷問まがいの行為が得意かつ相手の血液から情報やアーツを読み取る彼女なら、使者を襲って合言葉を聞き出していても不思議ではない。
「ならば私が探索者の親戚なんかではなく闇に紛れる類の者であると見当がついているわけですね」
「ええ。あなたがハスバウスの後継者ということは今の話で確信できました。ならばお互い遠慮はいらないですね。彼は教会に対して反抗を計画している。それはあなたの力が必要不可欠だった」
「なるほど。父を殺し、私を騙して彼は自身の野望に利用する。ようやく話がつながりました……三日前に決着をつけきれなかったことが悔やまれます」
怒りが沸き上がる。自分は都市の影に踏み入ってから経験が浅い。彼にとって使いやすい駒だと判断されたのだろう。
「話を聞かせてください」
ようやく決心がついた。あの男を完膚なきまでに打ちのめすにはジギオンの協力が必要だろう。
「彼の動機についてはいくらか心当たりがあります」
「そういってくれると信じておりました。ぜひ協力をお願いしたい」
彼はようやく心からの安堵を表情に浮かべる。




