第三話:誇りを胸に─その六
強敵を討ち取った感慨もなく、眩暈に堪えかねてしばらく屋根の上で寝転ぶ。深く息を吸っても収まる様子がなく、仕方なく剣を杖に立ち上がる。近くの家の屋根で鞘を見つけ、久しぶりに杖として使えるようになった。ナイフも一本は見つかったが、もう一本は投げたせいなのか行方が知れない。
教会の木の扉を体重をかけて押し開ける。中ではヒポリタス司祭が信者の座る椅子で熱心にも祈りを捧げている。その姿は皮肉にも神に仕える敬虔な聖職者に映った。
「ハスバウスよ。どうしたのだ。顔色も頗る悪い。レイアに医者を呼びに行かせようか」
彼は困惑した声色で彼女を迎える。慌てて立ち上がろうとする彼に掌を向けて制止する。しばらく沈黙が流れたが、ようやくシーラが肩で息を繰り返しながらも言葉を紡ぐ。
「ヒポリタス司祭……ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
彼女のただならぬ気迫を感じ取り、頷く。
「本当に大切な人が死んでしまったとき、あなたはその人の信じる神のことを考えたりしますか?」
「……非常に難しい質問だ」
彼は立ち上がり、ゆっくりと講堂の奥へ歩む。
「見知らぬ神を信じるその人の遺体を放置できますか?」
蝋燭に火を灯す。立像の下に所狭しと並べられた蝋燭立てに差し、振り返る。
「人は必ずしも合理的な選択を取れるわけではない。認めよう。私は目の前で人生を全うした者に唾を吐きかけるほど自分の信念に忠実ではない。しかし、こうは考えられないだろうか」
ヒポリタスは大仰に手を広げ、声高らかに宣言する。
「そのような葛藤が生まれる状況こそが人に不幸をもたらす。皆が同じ神を信じるようになれば平穏と共に人々に幸福が訪れることだろう。ゆえに私は愛すべき砂漠の宝石を磨き上げる召命を自覚し、実行に移す義務がある!」
「だから、あなたは市民を抹殺するのですね。そのような信念のために……。異端者を消していけば……やがて軍神教徒だけになる、と」
フードの奥深くで目が光る。
「ハスバウスよ。デュルガウムは至上の神だ。この世から異教徒と邪神を滅する救世主そのもの。ただの兵士や貴族のための教えではない」
「教えは人を守り、人に豊かさをもたらすもの。父は生前そう言っておりました。市民から信じることへの誇りを奪うものでも、ましてや生命を脅かすものでもない。その行動は万死に値する」
杖から剣を引き抜き、上段に構える。立つのがやっとの状況だ。後がないことなどわかっている。だからこそ一撃に全てをかける必要がある。雄叫びをあげ、身体の動くまま長椅子の間を駆ける。地面を蹴り、宙高くより体重を乗せて剣を振り下ろす。そして。
「効かぬ!」
彼の身体が大きく膨らんだかと思うと、何本もの分厚い触腕が刃を阻む。数本が切れたのみで彼の頭蓋骨を粉砕することはおろか、そのつるりとした皮膚に傷をつけることすら叶わない。攻撃が完全に止められた直後、シーラは腹部に衝撃と共に祭壇から真っ直ぐ飛び、教会の扉に叩きつけられた。それで勢いがやむことはなく、彼女は通りに転がってようやく視界を落ち着かせるに至った。しかし、直後に訪れたのは意識が飛ぶほどの全身の激痛だ。危機的な状況から脱するために信じられないほど冴えわたった頭によって辛うじて踏みとどまれている。間違いなく彼女は本日二回目の絶体絶命の状況に直面している。剣を握る右腕も情けないほど震えており、構えることはできそうにない。
「ハスバウスよ。これを支えに立ちなさい」
剣の鞘が投げつけられ、踏み固められた土の地面に少しバウンドする。重い木質特有の鈍くどこか澄んだ音が静かな夜の街にそっと響く。どこからか、数人の大人の声がする。誰かが周囲での異様な音に気が付いたに違いない。じきに到着するであろう自警団は今夜の忙しさに愚痴をこぼすかもしれない。
「裏切り者とはいえ、同じ神を信じる同胞を風に晒して打ち捨てるわけにはいかない。明日正式な裁きを下す。本日は地下牢に入ってもらおう」
定まらない視界を懸命に上げ、彼を見る。元の倍ほどに膨れ上がった肉体は歴戦の兵士と見まがうほど筋骨隆々だ。顔から首、肩にかけて滑り気のある触手が腰の高さまで垂れ下がり、胸元には六芒星と円を組み合わせたペンダントが光っている。
「その遺物……」
「これかね。君がもたらしてくれた、神の奇蹟だ。信じる者に訪れる恩寵。全てを変化させる全なる主のご意志そのものである」
初めて見た、血の気のない白い顔に勝ち誇った表情を浮かべ、彼が教会から街道へ出る。立ち上がれない彼女を無理やりにでも引きずり込もうというのだろうか。
「そこまでだよ」
朦朧とする意識の中、少年の声が聞こえる。その気配は彼女と司祭の間に立ちふさがるように現れた。その声はどことなく聞き覚えがある。
「誰だお前は」
司祭が誰何するが、聞かれた方は何も答えずシーラの手から剣を引きはがす。抜き身の白刃は近くに落ちていた鞘にしまい込まれ、いつものごとく人を支える無害な道具に擬態する。
「待て、その少女は神に捧げる大事な贈り物だ」
少年がシーラの身体を背負い、その場を去ろうとすると司祭が珍しく怒りをにじませて制する。しかしその言葉を聞いた少年は可笑しそうに笑う。
「はは、これは傑作だね。捧げるのは言葉だけにしなよ」
「神職の者に説教とは生意気なガキめ! そこに直れ!」
触腕が数本伸びる。しかし、その全てが杖によって叩き落とされてしまった。
「えへへ、僕これ得意なんだよね。おじさんに褒められたことあるし」
「貴様! もう許さん!」
先ほどの倍の本数がうなりをあげて彼に迫るが、彼はシーラを背負っていながらも最小限の動きと杖での打撃で迎撃し、無傷で逃げ切ることに成功した。背中で揺れる彼女の意識は既になかったが、胸を通じて伝わる心臓の鼓動は確かなものだった。
第三話、完です。
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