第三話:誇りを胸に─その二
久々に見た二階建ての教会は相変わらずその堂々たる威容を通りに見せつけていた。シーラは路地裏から教会の上階に登り、木戸をこっそりずらして中を見る。厳かな雰囲気の下、信徒が長椅子に腰掛け、立像の前ではヒポリタス司祭が説教をしている。流石に大勢の前に身を晒すわけにはいかない。彼女は集会が終わるまで屋根の上から周囲を眺める。月もなく、陽が沈んだばかりの夜の都市では方々で松明が灯されている。都市の運営の中枢ともいえる円形議事場は人っ子一人おらず、反対側の兵舎も門の傍に立つ衛兵以外は暗闇に溶け込んでいる。しかし丁度彼女のいる教会が面している道沿いには数軒の酒場や社交場が賑わいを見せており、日ごろの鬱憤のはけ口として機能しているようだ。通りを見下ろすのも飽きてきた頃、教会の扉が開き、信徒が異様な静けさと共に夜のコルストヴァへと消えていく。どこへ帰っていくのか興味もあったが、数十人もの人の跡をつけるのは現実的に考えて不可能なことである上にそんな時間もないため諦めた。彼女は木戸をもう一度持ち上げて中に誰もいないことを確認する。そのまま入り込み、二階の吹き抜けの手すりに近づこうとした瞬間、首筋に悪寒が走る。振り向きざまに左手で裏拳を叩きこみ、右手で相手の勢いを借りてその腕を捩じ上げる。
「いでてて! 関節が悲鳴を上げてますわ!」
相手は見たことのない女性だった。年は同じくらいだろうか。なぜか楽し気な声を上げている。
「あなたは誰?」
「あら、ずいぶんなご挨拶をしておきながらワタクシから名乗らなければならないの? それはレディとしての礼節に欠きませんこと?」
身動きが取れないのに余裕があるようだ。シーラは少し苛立ちを感じ、右手をもう少しだけ捻る。
「あいででで! 調子乗ってすみません! ワタクシ、レイア・カーランドと申しますの! ヒポリタス司祭からご依頼を承っておりますの。貴方様はどなたですの!?」
すぐに音を上げた相手をつまらなく感じ、シーラはパッと手を離した。レイアは前へつんのめるようによろけ、地面に倒れこむ。ふと先ほどまで彼女の腕を掴んでいた手を見るとなぜか真っ赤になっていた。レイアの体温が思いのほか高いのだろうか? 首をかしげていると、起き上がった彼女が
「もう、それでどなたかしら? 名前くらい教えてくださらないかしら?」
ご立腹の様子で腕組みをしている。忙しい人だな、と感じながらも答える。
「私はハスバウスです。同じく司祭様から依頼を受けています。今日は報告に参りました」
「あら、そうでしたの! それならそうと初めから言ってくださればよかったのに。あとワタクシに敬語なんていりませんわよ」
彼女は同僚というべきだろうか。しかし司祭はどのような目的で雇ったのだろうか?
「突っかかってきたのはそちらじゃない」
「そうかしら。ふふ、それは失礼しましたわ。それにしてもハスバウスさんって貴方だったのね。てっきり男の人かと思ってたけど……お若くて可愛らしい方だわ。ふふふ」
本当に感情が忙しい人だ。心の中でひっそりと思う。それにしても司祭は何を依頼したのだろうか。
「挨拶は終わりかしら?」
「もう、つれない返事ねえ。ま、でも楽しそうなことになりそうで嬉しいわ。これからよろしくお願いしますわ」
レイアはシーラの手をとって握手をする。シーラは困惑気味に返す。手の甲に伝わった体温は特段高いわけでもなかったし、その部分が赤くなったということもない。気のせいだと思いながら階下に降りる。
「司祭様、ただいま戻りました」
ヒポリタスは今日もゆったりとしたローブに身を包み、説教台に置かれた経典を眺めている。
「ハスバウスよ、ご苦労であった。そなたの報告を聞けることを何より嬉しく思う。ぜひ聞かせてくれ」
彼女は現地に出向いたことを交えて報告をした。ジャックのことやジギオン司祭、そして遺跡を超えた先の集落のことは除いた。その代わり現地調査をしていた司祭は見当たらなかったと報告。そして最後に現地で回収した遺物を差し出す。司祭は二個のうち一個を選ぶ。慎重に布を解き、やがて現れた細い鎖付きの六芒星の金細工を蝋燭の炎にかざす。彼が顔を近づけるとそれは数回瞬くように光る。その様子を見ながら考えを巡らせる。依頼者が偽名まで用いて自分の正体を隠したがっている以上、彼の依頼を達成することで生じる結果を見極める必要が出てきた。もちろんジギオンが本当に司教から直接命令を受けて遺跡に赴いたのかは別で調査しなければならない。いずれにせよどちらが市民のためになるのかを今すぐに判断するには情報が足らない。そこまで考えて笑みを漏らしそうになる。なんだかんだで私は父から引き継いだこの仕事が好きなのだろう。
「これが……聖域の奇蹟か。なんと神々しい。これこそが神の御業と言えよう」
彼はご満悦のようでペンダントを懐にしまい込む。そして何やら深刻そうな面持ちをみせた。
「しかし太陽を象った紋章。どことなくアポタイト教徒が用いる円環のシンボルを彷彿とさせる。やはり異端の魔の手が既に伸びているようだ。聖域を教会で管理するようになれば、まずは探索者と異端の痕跡を遺跡から根絶することから始める必要があるな」
ジッと聞いていた彼女は可笑しさで吹き出しそうになった。彼は執拗に南方遺跡を聖域にしたがっているが、実態はアポタイト教徒が建設した都市の廃墟だと知ればどう思うだろうか。
いずれにせよ目の前の男は自分の妄執に囚われている。
彼女ははっきりと思い知った。“市民と共に生きること”、ハスバウスの掟のひとつだ。だがこの司祭は果たしてそのような視点をもっているだろうか。こんなとき父ならどう行動しただろうか。
私はこの男からの依頼をこなすことに抵抗感を覚えてしまっている。
彼女は立ち上がり、彼に一礼した。
「司祭様、父の墓参りのため、数日お暇をいただきたいと考えております。ご用向きのある時はいま一度遣いをだしていただきますようお願いいたします」
司祭は意外そうな表情を見せたが、しばらく後にうなずく。
「よかろう。必要な時はまた私に力を貸してくれ。頼りにしているぞ」
シーラは「御免」とだけ言うとその場を辞した。二階に戻ると、まだレイアがいた。
「あら、もう帰っちゃうの? 折角だからお話していきませんこと?」
「すみません、遠出から帰ってきたばかりなので今日はもう休ませてください」
引き留める彼女に断りを入れる。「もう、ちょっとくらい構ってくださらないかしら」と背後から聞こえるが、どうせもう会うことのない人物だ。木戸を開け、教会を後にする。まずは自分の家に帰ってハバロフスクの論文を取ってこなくてはならない。今のジャックなら論文の提出くらい請け負ってくれるだろう。




