88 武者震い
今夜の夜会は「塔」に所属する侯爵にお願いして開いて貰った所詮前夜祭に近い催しらしい。
これから大きな事業があり、その成功を願っての集まりだ。事業に参加する貴族は勿論、興味関心を抱いて貰おうとあちこちに招待状を送っている。その中には、今夜のメインターゲットである公爵も含まれていた。
今回の第一目標は、その公爵と私の顔合わせ。
私はとうとう、公爵の顔を拝むことになる。
(今までずっと呪ってやるーって気持ちだったけど顔も知らなかったのよね…これで、うっかり冤罪で他の人を呪ったりしなくてすみそう)
母の事件に公爵が関わっていなければそれこそ冤罪になるが、その可能性はほぼ考えていない。
(今夜であっちが私に興味を持つよう誘導できればいいわけよね。ほぼぶっつけ本番だけどなんとかなるでしょ。顔を合わせたら向こうから釣れるって太鼓判貰っているわけだし)
それだけメイジーが公爵夫人に似ているということだが、似ているからって釣れるものだろうかとちょっと疑問だ。
ガラガラと車輪の回る音を聞きながら、正面に座ったスタンをじっと眺めた。
馬車は意外と広くて、四人乗っても多少余裕がある。それでも上背のある二人は狭そうだったが、私とエヴァは余裕だ。
余裕だけど…。
「どうかした? メイジー」
「なにも?」
正面のスタンが首を傾げる。私はつんっとそっぽを向いた。「そう?」と笑って深い追いしてこなかったけど、私は強く拳を握りしめていた。
(…緊張してきた…!)
心臓が駆け足。冷や汗が酷い。
何せほぼぶっつけ本番だ。失敗しても笑われるだけだが、エヴァ達も笑われるとわかっていて失敗できるものか。
(付け焼き刃ながらも基礎はできてるって言われたから、そこから逸脱せず応用せず忠実に基礎を守って…基礎…き、基礎ってなんだっけ…)
テンパってきた。
(一に笑顔! 二に構え! 三四がなくて五に拳…じゃなかった。一に笑顔。二に傍から離れず。三四がなくて五に沈黙…とにかく喋るなって言われたんだった)
危ない。うっかり出会い頭に誰か殴るところだった。
貴族の集まる場所に向かうのも緊張するが、これで何事もなく終わる方が辛い。何かしらの反応が欲しい。
(これといってすることがないってのも苦痛…!)
今更ながら、本当にこれでいいのか焦燥感が胸を焼く。
ここまで来たからにはやるしかないが、緊張と焦燥で叫びたくなってきた。指先が酷く冷えている気がする。色々誤魔化すように窓の外をに目を向けて、ひょいと窓の外で何か揺れたような気がした。
…いや今なんかいた?
「メイジー」
呼ばれて、顔を上げる。
正面に座っているスタンが、身を乗り出すようにして私を覗き込んでいた。
空色の瞳がキラめいて、にこりと笑う。
「今夜は君に触れていい?」
「聞き方いやらしくない?」
「いいって言って?」
スタンの手がダンスに誘うときのように差し出される。
…一応、スタンは紳士だ。不用意にベタベタ触るようなことはしない。
だけど今日はエスコートやダンスのパートナーだから、多分そのことを言っているんだろう。
だとしても、他の女の子にそんな言い方をしたら変な勘違いをされるに違いない。この愉快犯はこっちがやきもきするのを面白がっているので、絶対わざとだろうけど。
「しょうがないわね、私だけにしときなさいよ!?」
「すごい殺し文句だ」
軽く乗せるだけだと手の震えがばれそうで、私は力強く握手の要領でスタンの手を握った。そんな私の勢いに、相変わらずスタンが楽しそうに笑う。なんとなくイラッときて腕相撲を始めるかのように拳に力を込めたが、笑顔で封殺されてしまった。おのれ…!
緊張している私の横で、そわそわしているエヴァには気付いていなかった。
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