58 レッスン開始!
「ちょっとスタン、なんでこんなこと…」
「必要だからさ。大丈夫、僕に身を任せて」
大きな手が腰に回り、温かな手の平が添えられる。
思ったより背中に体温を感じて、身体が震えた。
「必要ないわ、いらないったら」
「そんなこと言って…もう無理だって泣きついてきたのは君だろう? 大丈夫、僕は君より経験があるから」
忍び笑う声が、揶揄するように聞こえて唸るように反論した。
「未経験で悪かったわね…っ!」
「まさか。君の初体験になれるなんて光栄だよ。きっと忘れられない夜になるね」
「そんなわけないでしょ…ひっ」
かなり近いと思っていたのに、それ以上引き寄せられて思わず喉が引きつる。縮こまっていた手を絡めて、ゆっくり引き上げられた。
「さあ、もっと僕とくっついて。爪先ばかり見ないで背筋を伸ばして…」
耳元にかかる吐息が擽ったい。歯を食いしばり、漏れそうになる声を抑えた。
「大丈夫。すぐ、楽になる」
「嘘よ…っ」
この男はとんでもない嘘つきだ。
私にはわかる。だって、だって。
「はい、ワンツースリー。ワンルースリー」
「そんなすぐ身につくわけがないでしょぉお~!」
どんどんステップが複雑になって訳がわからないのよ…!
私とスタンは屋敷のレッスンルームで、ひたすらステップの練習をしていた。
あの夜、結局言いくるめられた私は客室に戻された。
裁判の仕組みは知らなかったから助かったけど、その後の話が一切頭に入らない。スタンは何やら考えがあるようだったが、その説明は明るくなってからと部屋に帰されたのだ。
確かにあれ以上、年頃の男女が薄暗い部屋で密会するのはよくない。釈然としない思いを抱えながら部屋に戻り、柔らかな布団と再会した。
短い別れだったわね、布団。
(…あれ、結局保護ってどういう事だったのかしら…)
そんな疑問がふと湧いたけれど、暖かな布団に包まれた安堵からあっという間に夢の中だった。
そして今、何故かスタンとエヴァ、モーリス達とダンスレッスンに精を出している。
説明は受けたが、何故…という思いが拭えない。
明るくなって朝食を終えてからスタンが私に発案したのは、囮作戦。
公爵夫人に瓜二つなメイジーを着飾って、公爵の出席する夜会に出て公爵の反応を確認する。
とてもシンプルな作戦だった。
「メイジーの母親はメイジーと似ている。それなら公爵夫人とも似ているはずだ。もしメイジーの母親の失踪が顔の類似と関係あるなら、若かりし日の公爵夫人にそっくりなメイジーを放っておく訳がない」
「そうかしら? 妻がいるのに似ているだけの小娘を気にする?」
「公爵は夜会にも一人で参加するし…約二十年間粘着し続けているロドニーが瓜二つだと断定するくらい似ているなら、公爵も気にせずにはいられないだろう。必ずあちらから、君に接触してくるはずだ」
まさか私自身に囮効果があるとは思ってもみなかった。
「公爵の反応が読めないから、危険がないとは言えない。だけど公爵と言葉を交わすなら、向こうから来て貰わないと」
庶民のメイジーが公爵様に声を掛けるのは不敬だが、公爵様が平民に声を掛ける分には何の問題もない。
一度声を掛けられたら此方の物だ。引っ掴んで引きずり込んでシャキシャキ吐かせてしまえばいい。
直接的な暴力は問題だが、休憩室に誘導してお話することは可能だとスタンはいう。
そのあたり、夜会のこととか全然わからない私はスタンの言葉を信じるしかないけれど、彼はやけに確信を抱いていた。成功すると確信している。
公爵が、私の顔に引っかかるって確信していた。
「…多少の危険が何よ。問題ないわ。受けて立とうじゃない…!」
「それでこそメイジーだ」
「決闘じゃないぞ」
モーリス煩い! 昨夜どこに居たのよ! スタンを一人で解き放つんじゃないわよ!