35 証拠隠滅すればなかったことになる
私が疑問を口にすると、ふむ、と口を噤む。それだけでなく、肉厚な唇に指先を這わせてゆっくりなぞった。
なんだその意味深な動作は。シャキッとしろ! 勿体ぶるからイラッとしちゃったじゃない!
「「塔」を知らないということは…本当に一般のお客様」
一般以外に何があるのよ。自分は特別だっていいたいわけ? ちょっと残念なやつだったのかしら。かなり前からそう思っていたけど。
「この場所に、そんなお客様をお連れするとは…あの方は何を考えて…」
独り言激しいわね。
独り言ばかりなら私必要ないわよね。動いて良いかしら。
「いいや、もしかして…あなた」
「うわっ」
じりじり移動していたら一歩で詰め寄られた。相変わらず覗き込むように顔を近付けてくる。
避けるように仰け反れば、自然と足が一歩下がった。その踵が花壇の縁にぶつかる。
うわ危ない!
このままでは花壇に向かってひっくり返る。なんとか踏ん張ろうとしたけれど、相手との距離が近くて体勢が立て直せない。リスを抱えていたのでバランスも取りにくかった。
庭師のおじさんごめんなさい踏むわ…!
謝罪の覚悟を決めて倒れ込みそうになった所で、腰に腕が回される。
引き寄せるようにして、傾いた身体が真っ直ぐに正された。
目の前の男が引っ張ってくれたらしい。おかげで花壇の花は無事。
ほっとしたところで…そのまま、男の胸元に引き寄せられた。
は?
密着する身体。腰に添えられた見た目より大きな手。
はぁ?
片手が、私の頬を支える様に触れた。持ち上げられて、視線が触れ合う。
碧の目が、至近距離から私の顔をじっくり眺めた。
「…やっぱり似ている」
囁く声が、吐息が、私の鼻先をかすめた。
「ねえ、あなたはもしかして…」
腰を支えていた手が身体のラインを辿るように登り、両手で頬を包まれる。そのまま親指が、私の唇をなぞって…。
導火線に火が付いて即爆発した。
「触りすぎ!」
「ぎょっ」
――しまった! つい蹴りを!
名状しがたい悲鳴を上げて身体をくの字に曲げる男。
角度的に急所に当たってしまったようね。どことは言わないけど急所よ。声も出ないほど身悶えているわ。
…今がチャンス!
この男は多分恐らくきっと貴族。その貴族を足蹴にしたなんて知られたら流石に騎士団に突き出されること間違いなし。いいえ場合によっては私刑を受ける可能性もある。
呪い未遂、呪った後ならともかく、この件で騎士団のお世話になるわけにはいかない。
そうならないように…。
今ここで! こいつの記憶を消さなくちゃ!
ざっと周囲を見渡すけど手頃な石一つ落ちていない。庭師が優秀すぎる!
こうなったら小人の置物にお願いするしかない。願いを込めて庭を彩る小人の置物を片手で持ち上げた。
「それ、どうする気?」
小人を振り上げたところにスタンが来た。
シャツにベストとカーディガンを羽織ったゆったり寛ぎ衣服のスタンと、正装を所々着崩した柄の悪いモーリスが庭に来た。
気持ちよい日差しの下。よそ風に揺れる美しい花々の咲き誇る庭で、四人の男女が相対している。
片手でリスを抱え、片手で小人を振りかぶっている私。
身体を折り曲げ地面に転がる白いローブの男。
いつもの食えない笑顔のスタン。
その背後で引いた顔をしているモーリス。アンタそんな顔ばっかりね!
言い逃れのできない状況で、私は叫んだ。
「こいつの記憶を消してから話をさせてちょうだい! 今私がしたこと、なかったことにするから!」
「なかったことにはならねぇよ!?」
「あっはははははははは!」
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事故チューだったのに!
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