34 歩くご禁制
謝る前に、この距離までの接近に気付かなかった事実に息を呑む。
目に映るのは白。上等な布地で作られた白いローブ。私の鼻先がぶつかったのは、見知らぬ男性の胸元。その胸元をゆるやかに流れる日に透けて輝く金髪。
見事な美髪でも、ぶつかった体格から女性には思えない。広い肩幅からも男性だと判断した。判断して、数歩下がる。下がって相手の全貌が見えた。
足下まで隠れる白いローブ。腰までゆるやかに流れる見事な金髪。日焼けを知らない白い肌に、愁いを帯びて垂れた碧の目元。神聖で禁欲的な真っ白い出で立ちでありながら、肉欲的で婀娜っぽい唇が全てを裏切り男に淫靡で不埒な色気を纏わせていた。
…お日様の下にいるのに、そこだけ夜の空気になる歩くご禁制がいるんだけど!?
似合わない! ちょっとファンシーな小物のある庭に似合わない男がいるわ!
似合わないしエヴァに会わせちゃ駄目なタイプの男が庭にいるんだけど! そのあたりの警備はどうなっているのスタン!
とにかく、はだけた胸元を隠すようにリスを抱え直した。リスはきょとんと首を傾げている。そのまま大人しくしていなさい。
一気に警戒心を上げた私。しかし男はどこか呆然とした様子で、私を見ている。
なによ。
そもそもどこから見てたのこいつ。後ろからだからセーフかしら。
「あなたは…」
「うわ話しかけられた」
「酷い」
「あ、ごめんなさいつい」
本音が。
相手はしょんぼりしたけど…というか声が、なにこれ。おかしいわ。
耳に、二重に聞こえるような。不思議な響きをしている。
…ざわざわする。
不思議で落ち着かない感覚に後退した。私の逃げ腰を察したのか、相手は更にしょんぼり眉を下げる。
可哀想という感想よりも、落ち込んだ顔が快楽に悶えているように見える男から距離を置きたい感情の方が勝った。
何こいつ、相手の嗜虐心掻き立てる表情するわね。そのくせ近付いたらぱくっと食べられそうな危機感も覚えるわ。
――――多分だけどこいつ、獲物を色香で誘い込んで喉元齧るタイプ。花屋のマージ四十一歳に教えて貰った食虫植物を思い出すわ。
本気でエヴァに近寄らせちゃ駄目な男。
じりじり後退する私に、しょんぼりしていた男が声を掛けてくる。
「そんなに怯えないでください。私は何もしません」
「いえ私はこの家の人間ではないのでお客様と遭遇した時の対処法に悩んだだけですぶつかってごめんなさいさようなら」
「逃げないでください」
さっと身を翻そうとしたらさっと進行方向に身体を捻じ込まれた。
く、回り込まれてしまった! 逃げられない!
ゆったりした白いローブから動きがゆっくりかと思いきや機敏じゃない!
しかも相手はその勢いのまま、ずいっと私の顔を覗き込んで来る。私は直進の勢いを殺せず、つんのめるように踏ん張るしかなかった。じゃないと相手の胸に飛び込む形になっちゃう。
憂いを宿した碧色が、わざわざ屈んで下から覗き込んでくる。
「お客様…この屋敷にお客様が来られたのは初めてのことですね。私のような訪問客は珍しくありませんが、そのような服を着たお客様は初めてでは?」
庶民の服って言いたいの? 喧嘩売っているの? 買うわよ。
それとあまり見ないで欲しい。今私の胸元大変なことになっているから。
リスに第二ボタンまで齧られて、いつもより胸元が開いている。リスを抱えて誤魔化しているつもりだけど誤魔化せていないでしょこれ。
っていうか察しなさいよリスは小動物だから完全に隠れていないでしょ。女性のはだけた胸元を含めじっくり眺めんじゃないわよ。脛を蹴飛ばすわよ。それともそのお綺麗な顔に一発食らわせてあげましょうか。伝説の平手を。コマのように回転させてあげるわ。
…いえ、スタンの客なら貴族よね。自分で訪問客って言っているし、客よね。
つまり、貴族。
…流石に駄目ね。色々許容しているスタン達と違って、こいつはよく知らない貴族。庶民の私が反抗して許される存在じゃない。
とにかく会話を打ち切って逃げなくちゃ。
「申し訳ございません。私も最近お世話になっている身なので、客層については存じ上げておりません」
「それもそうですね。ではあなたの所属は」
「所属?」
所属って何の?
「ああ、失礼しました。私は「塔」に勤める研究所の者です」
「「塔」?」
なんだそれ。
田舎町の愉快な住人達
花屋のマージ四十一歳
~問題です。私は男? それとも女?~
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