【番外編】だからこそ容赦しない!
メイジー視点。
「なんか呪われてる気がする」
私がふと気付いたときには、呪い特有の気持ち悪い靄が私の肩にくっついていた。
手で払っても消えないし、むしろ触れることすらできない。だけど視認できる靄に苛立っていた私は、背後に立ったスタンに気付かなかった。
「どこ? このあたりかな」
そう言って私の肩を包んで、確かめるように撫でる。
靄に対する不快感とは違う刺激に、私は飛び上がって距離をとろうとした。しかし腰に手を回されて逃げられなかった。いつの間にか、背後からしっかり抱き込まれている。
こいついつの間に! 気配なかったわよ!?
「力が抜けるとか、痛みがあるとか、異変はある? 急に心拍数が上がったのは僕の所為だと思うけど、他に自覚症状は?」
「質が悪いこいつ…!」
なによさらっと心拍数は自分の所為とか! そうよ!
顔を真っ赤にして怒る私に、スタンが真剣な顔で問いかけた。
「キスしていい?」
「よくないけど!?」
真剣な顔でなんてこと聞いてくるんだこいつ!
「僕は君を愛しているから、呪いは解けるよ。言っただろう? 愛し合っていなくても、片方が愛していれば呪いは解けるんだ。自覚症状が出る前に、消してしまおう」
「いたたまれなくなるからやめなさいよ!」
「…ああ、もしかして、唇に期待しているのかな」
「はあー!?」
「キスなら、唇である必要はないよ」
そう言って背後にいるスタンは、私の耳元に触れた。
…その瞬間溶けるように消えた靄…つまり…。
「ね? 消えたでしょう?」
スタンには靄が見えない。
だというのにこの自信。
しかも耳に触れた柔らかいものとリップ音は…。
「――――っ!」
「いたいいたい。いたいよメイジー」
振り返った私は歯を食いしばりながらスタンの肩に拳を何回も叩き付けた。
よくないって言ったでしょうが!!
「なんだこのバカップル…」
モーリス煩い!
怒りが収まるまでぽかぽかしていた私だが、落ち着いてすぐ対策を考え出した。
いずれ来るとは思っていたけど早かったわね呪い。貴族って呪い呪われているって聞くもの。いずれ呪われると思っていたわ。
相手を害する呪いもあるけれど、守るための呪いもある。基本的にどの貴族も守る呪いを得ているが、私はそんな物知らない。
田舎町の呪い師ケビンが守っていてくれたけど、今彼とは距離がある。だから私は自分で身を守る必要があった。
「メイジーは視認できるからすぐわかるけど、他の人はそうじゃないからね。習慣として繰り返し身を守る呪いをしているよ。恐らくそうと知らず繰り返している貴族もいるだろうね」
「それでいいのか貴族の危機感」
「何故か自分は大丈夫って思う人が多いんだよね」
たいした自信ね。慢心よ。
「ちなみに夜会とか、人が集まるときは大がかりな呪いをする。もしくはロドニーを設置する」
「ロドニーを設置する」
「アイツは呪いを吸い出すからね。そこにいるだけで、横から呪いを吸い取るから重宝されるんだ」
「そういえばそんなこと言っていたわね。アイツが生き永らえている理由」
「うん。夜会に出ては女性を口説くから、場合によっては出禁になるけれど」
「アイツ本当に重宝していいの?」
笠に着て好き勝手しているじゃない。お母さんに横恋慕しているのにそれだから節操なしだわ。
「定期的に思いっきり痛い目を見せているから許されているよ」
「制裁受けてるじゃない」
重宝とは。
大事に大事にできないだけのことをしているのね。やっぱり何が何でもお母さんにはあわせられないわ。
「メイジーは福音が高い。身を守る術はすぐ身につくだろうけど…すぐそれを習わなかったのは考えがあったんだよね?」
そう。
この話、公爵令嬢として夜会に出る前にしっかり聞いていた。
それでも身につけなかったのは、理由がある。
「誰が私を真っ先に呪うのか、ちゃんと知っておこうと思って」
「それで、誰か分かったかな」
「ええ、ひそひそ令嬢ね」
青いドレスでワインを被った令嬢の顔が過る。
羞恥に顔を歪めて、私を睨み付けていた。
「私を呪ったらどうなるか、しっかり教え込まないといけないわ」
臙脂色の目をギラつかせて笑う私。
スタンは楽しそうに微笑んで、モーリスはドン引きした目で私を見ていた。
「公開処刑の生贄を選ぶために敢えて呪われるとか、度胸がありすぎる…」
モーリス煩い! 生贄じゃないわ!
――――敵よ!
この先、私の敵がどうなるか。
しっかり知らしめる必要があるんだから。
だから私は油断しない。
再び呪いがかけられて、それがどんな種類なのかスタンに調べて貰って、私にかけられた呪いが【落下物で怪我をする呪い】であることを突き止めて。
効果が出るだろう、相手が一番恨み辛みを募らせる舞台を整えて。
物理的な護りの効果があるという呪いのかかった宝石を複数身につけて。
仕掛け人気取りのスタンとホールの真ん中で堂々とダンスをしながら。
「来るわ」
私の肩から天井に伸びる靄を見て、その先を睨み付けた。
ホールを彩る大きなシャンデリア。それとはまた違う、小さい複数のランプ。
その一つが私めがけて落ちてくる。
私はそれを睨み付けながら飛び退こうとして――――掬い上げるようにスタンに抱き上げられて、その場から後退した。
耳を劈く破壊音。
周囲から上がる甲高い悲鳴。
軽い浮遊感。大事に大事に抱えられた私は、スタンの逞しい腕に包まれた。
「…予想通りとはいえ、肝が冷えるね」
護りの呪いをかけた宝石をたくさん身につけているのに、スタンは壊れ物のように私を下ろす。そしてそっと、私の額に口付けた。
視界の端で蠢いていた靄が消える。
「君に怪我がなくてよかった」
なんて、安心したように微笑んだ。
(…こいつこの野郎本当にここぞというときは外さない…!)
心から安心しているのはわかる。心配してくれたのもわかる。わかるが。
(いまここで、やめろ!)
ランプ落下という事故現場にホール中が注目している中でそれは、本当にやめなさいよ!
おかげさまで犯人もより怒りを募らせているけど!!
私は一瞬沸騰しそうになった頭を深呼吸でなんとか落ち着かせて、目的の人物へ視線を向けた。
目を見開いて震えている令嬢…侯爵令嬢は、思わぬ事故に驚いたようだが、私がそれを避けて怪我一つないことに驚いている。
そんな彼女から漏れ出る、黒い靄。
それが見えるのは私だけらしい。
だけど…。
「――――これが事故なのか呪いなのか、調査が必要ね」
騒然としたホールに、私の声はよく響いた。
「呪いと判断された暁には…覚悟はよろしくて?」
侯爵令嬢を見ながら発言した私に令嬢は、びくりと肩を揺らす。周囲の人々がざわめいた。
「な…わ、わたくしが呪ったというの? 冤罪よ!」
「私、とっても福音が高いのよ。見えないはずの呪いが見える位、高いの」
「え?」
「私を呪ったのと同じ靄が、あなたから滲み出ているわよ」
「で、出鱈目を…っ そんな出鱈目、すぐ証明されるわ。謝るなら今のうちよ」
「あら、知らないの? 私以外にもね、呪いの痕跡を辿る方法なんていくつもあるのよ」
堂々と言いながら、いくつもあるのかどうか実は知らない。
だけど国が抱える魔女は、確実にできる。実績だってあるはずだ。
そう…事故か、呪いか、判断するために。
「だから、調べたらすぐわかるの。謝るのが今のうちなのは、あなたの方よ」
「…わたくしが謝ることなど何もないわ!」
私からしてみれば一目瞭然だけど、わかるわけがないと高をくくっているのか方法があると言っているのに信じない。認めない。
反応からして、心当たりがありそうなのに絶対認めようとしない。
――――そう、認めないと思っていたわ。
私はにっこり笑った。
対面していた相手がたじろぐほどにこやかに笑った。
周囲が一歩引くほどにこやかに…ちょっと、なんで引くのよ。
予想通りの反応で嬉しかっただけなのに。
「認めないなら、裁判ね」
「えっ」
私の発言に、侯爵令嬢が気の抜けた声を上げた。見守っていた貴族達も同じ顔をしている。
何を驚いているのかしら。ねえ?
「だってあなた、認めないのでしょう? 自分以外の呪いか事故だと思うのでしょう? だけど私はあなただと確信しているの。それが信じられないのでしょう? ――――なら、どちらが事実か証明する必要があるわよね?」
「そうだね。冤罪があってはいけない」
私のそばで、スタンもしっかり頷いた。
そうよね。冤罪があってはいけないわ。
そう、そのための、裁判所。
呪法裁判所。
呪いか、事故か、故意か、うっかりか――――それを判断してくれる、国に雇われた者たちが公平に調査し、判断する裁判所。
その存在を示唆されてやっと…侯爵令嬢は、さあっと血の気を無くした顔色になった。
貴族だから、侯爵家の人間だから、そんな大がかりな調査が行われないと思った? 行われたとしても賄賂でどうにかなるとでも?
裁判にかけられるとしたら、それは一切通用しない。
だって裁判所は、国が管理しているのだから。
私を呪うというのなら、人を害する呪いが禁じられていると忘れているのなら、教えてあげるわ!
公平に、厳格に、容赦なく!
公の場でね!
「――――次に会うときは法廷よ!」
「――――わたくしが呪いました!」
自信満々に言い放った私に、侯爵令嬢はその場で土下座して罪を認めた。涙混じりの謝罪の声は、思ったより大きくホールに響く。
令嬢が過ちを認めたことから裁判持ち込みはなかったことになり、示談ですませる運びとなったのだった。
…ちょっと違うけど田舎町を飛び出したときの目的、呪法裁判はやってみたかったわ。
スタンも初回ぐらいやっとく? って勧めてくれたから、やれるならやっておきたかった。
公爵のお金で。
公爵のお金でね!
それからどうなったのか。
侯爵令嬢は禁じられた呪いを行ったということで処分を受けて身分を剥奪。平民として修道院へと送られた。低いとはいえ福音を持ち、人を呪った実績があるので呪い封じのアイテム付きで。
親である侯爵は自主的に私に対して謝罪に来て、娘の管理不届きを詫びた。
令嬢個人の私怨だと、念のため調査した魔女(国仕え)も認めたし、侯爵家自体にお咎めはない。そもそも家の娘を失ったことが痛手になる。これから他家との交渉やりづらいだろうけれど、教育不足が否めないから謝罪されたからって擁護はしない。
慰謝料と王太子に対する変わらぬ支持を約束して帰って行ったけれど、私に対して王太子への支持がどうとか言われても困る。
私がスンッと遠くを眺める狐みたいな顔をしていたことに侯爵は最後まで気付かなかった。
でもって社交界では、呪いに対する意識改革が起きたらしい。
呪法裁判所の存在を知っていても深く考える者はおらず、私が呪いの痕跡を辿る方法がある、と発言したことから我が身を振り返って慎重に行動する者が増えた。
そう、うっかりもあり得るから厄介よね呪いって。
何より、公爵令嬢を呪おうものならすぐ気付かれて、笑顔で裁判にかけられる…そんな噂が広まっていた。
うん、次回があったら裁判するわ。
公爵のお金で。裁判するわ!
「ここまで来たら、表立ってメイジーに突っかかってくる者はいなくなるだろうね。呪えば術者を把握されると知って、悪戯でも試す者はいないだろう。裁判にかけられるなんて、貴族にとっては屈辱でしかないし」
「でしょうね」
体面とか体裁とかすごく気にするのが貴族だし。
だからあの令嬢も、裁判をちらつかせたら認めると思ったのよ。
…それでも諦めないなら本当に、裁判してみたかったわ。
侯爵家の騒動が終わって、ゆっくり過ごす公爵家での午後。
ふらっと現われたスタンと一緒にお菓子をつまみながら、私は満足げに頷いた。
これで色々と静かになる。お茶会とか、夜会に出るたびに煩かったのよね。
満足そうにしていた私は、スタンがニコニコしているのに気付いて訝しんだ。
…なんとなく、よからぬことを考えているニコニコだったから。
よからぬことだとわかるけど、正確に何を考えているのかはわからない。
「…何がそんなにおかしいわけ?」
「メイジーが社交界を掌握したのが嬉しくて」
「なんでアンタが喜ぶのよ」
「令嬢としてお淑やかなメイジーは想像できなかったけど、そのままのメイジーが受け入れられる状態になったのが嬉しいんだ」
本当に嬉しそうに笑うから…騙されそうになる。
「それだけじゃないでしょ」
「ふふ」
キッと睨み付ければ、声を出して笑う。目を細めて、ちょっと悪い顔で。
「令嬢として逆らう者がいないほどの地位を確立する必要があるのは、誰だと思う?」
「…え?」
「生まれながらの王族。王女。もしくは…王妃だね?」
自然に伸びたスタンの手が、私の口元に伸びた。
呆然とする私の口元を指先でなぞり…口端に付着していた焼き菓子の欠片を拭って、笑みを称えた自分の口元へと運ぶ。
赤い舌先でそれを舐めとり、緩やかに首を傾げる。
さらりと肩を金糸が滑り落ちた。
「君が自らの意思で順調に、王妃への階段を上っていて、とても嬉しい」
…あれ?
そうよね、私、別に少し顔を出して引っ込めばよかっただけで。
社交で過ごしやすいように敵を撃退するとかする必要はなくて。
だけど敵って放っておけないからついつい…あれ?
「あっれぇ!?」
「…っは、あははははは!」
「ああああああああああああ!」
腹を抱えて大爆笑のスタンと、別に誰に言われたわけでもないのに行動してしまった自分に気付いて頭を抱える私。
そんな私の叫びを聞いて心配そうに扉から顔を覗かせる義弟と、逢瀬を重ねていたエヴァ。
そんな二人に気にするなと首を振るモーリス。
遠い部屋で叫び声を聞いた公爵がびくついて、ご褒美の面会中だったお母さんは冷静に、公爵の背中を撫でた。
「うちの子が今日も元気でお母さん嬉しいわ」
なんて笑いながら、お母さんは私が気付いていない無意識の思考に気付いていた。
(そうよね。社交界でのあり方を見たら、隣に居ても恥ずかしくない自分でありたいと思うわよね)
馴染む必要のなかった場所に、面倒だと思いながら繰り返し向かったのは。
その場所で、誰の隣で相応しくあろうとしたのか。
娘自身が自覚していない心境を、お母さんはお見通しなのであった。
番外編、一旦完結です。
さらっと真実の愛の口付けで呪いが解けている事実。
全然特別じゃない、当たり前みたいにキスで呪いを解いたスタン。メイジーの反応から確信して内心大喜び。あっさりしすぎて本当に呪われていたのか懐疑的なモーリス。重要性がすっぽ抜けているメイジー。
愛しているのは特別なことじゃなくて、当たり前のように受けいられている。受け入れていたことに気付いたメイジーは暫くしてから爆発します。
お付き合い頂きありがとうございました!




