【番外編】鮮烈な影響を受けている
メイジーは鮮烈だった。
誰もが国王陛下に萎縮してエヴァと接していたから、はっきりとした口調で強気の物言いをするメイジーはとても新鮮だった。
護衛のエマにもそんなところがあるけれど、彼女はエヴァを守るべき主人として敬愛していたので、強くエヴァに意見しない。
彼女との強烈な邂逅と、ピーターと想いを通わせることになった夢のような時間。
本人は学生と言っていたけれど、学生ならばエヴァを知らないわけがない。明らかに部外者だった。
外からの侵入者なのに泣いている女の子を放っておけないお人好し。
エヴァは彼女が何か困っていたのなら力になりたいと思い、お礼が言いたいと兄に願った。
…まさか兄が、あっという間にメイジーを見つけ出して別宅まで連れてくるとは思わなかった。
別宅は、エヴァにとっての避難所だ。呪物を送ってくる父から逃れるための避難所。護衛のエマが傍を離れてから、エヴァは別宅で兄と過ごしていた。
そこにやって来たメイジーは、やっぱり鮮烈で。
俯いていたエヴァは、そんな彼女から目を離せなくなっていた。
(目を離したら何をするかわからないという緊張感もあったのだけれど…)
エヴァはハラハラさせられたが、兄のトリスタン…スタンはわくわくしたらしい。
ちょくちょく顔を出してはメイジーをつついて、その反応を楽しんでいた。だからメイジーには嫌がられていたけれど、いつの間にかお互いの思考を読み取り合うほど仲良くなっていた。
彼女が過ごした田舎町にはたくさんの大人がいて、彼女はその大人達に真摯に育てられた。彼女は大人の言葉をしっかり吸収して、それを実践しようとしている。
手紙のやりとりも難しい秘密の恋人。
初めての手料理。温かな食事。
怯えているだけだった自分が、拙いながらも誰かを喜ばせる料理が作れる…。
エヴァは、イヴァンジェリン王女は、本来ならば厨房に足を踏み入れる必要のない存在だ。
必要はない。
必要はないけれど、禁止されているわけでもない。
(やってみたいことを、我慢する必要はなかったのだわ)
やってみたいと思ったこともなかった。
料理に限らず、きっとエヴァはたくさんのチャンスを見逃している。
(将来的に必要じゃない…でも、わたくしが、趣味として、娯楽として嗜むのは、許されていた)
習い事ばかりで時間がなかったこともある。だけどエヴァは今まで、言われたことしかしていなかった。
父に怯えて、母の挙動を恐れ、兄の背中に隠れて。
エヴァはずっと受け身だった。
『受け身じゃ、だめよ!』
メイジーは強引だ。
だけどその力強さが、エヴァには必要だった。
ずっと逃げていた父と、向かい合うためにも。
(…そのお父様が今、向き合うには可哀想なお姿になっているわけですが…)
檻の中でぷぎぴぎ泣いている豚はとても憐れだ。
真横に肉を焼いている鉄板があるので、豚の将来を示唆するようでとても憐れ。あれは鳴いているのではなく泣いている…。
あんな姿を見せられては、父を恐れていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。
(そうです。強くならなくては。お父様が人の姿に戻った後も、ちゃんとお話ができるように)
エヴァは手渡された肉の載った皿を見下ろした。まだ湯気の登る、焼きたてのお肉。
ドキドキしながらフォークで刺して大きく口を開け、あぐっと口の中に放り込む。
一口だ。
ナイフで切られていない大きなお肉を一口。
頬がパンパンになって、上手く噛めない。それどころか思ったより熱くてびっくりした。もごもご口を動かして、火傷しないように気を付けながら噛み締める。
塩と胡椒のみの味付けで、お好みでタレを付けて食べるシンプルな味付け。
味も見た目も拘る繊細な調理法など放り投げ、ただ焼くだけのシンプルな料理。
だけどメイジーは焼き具合に真剣だし、スタンはとても楽しそうだし、モーリスは黙々と麺を焼いている。
(…美味しい)
騒がしい人の声を聞きながら食べた焼き肉は、とても美味しかった。
一生懸命口を動かして咀嚼して。
少しずつ飲み干していたエヴァはふと顔を上げ。
こっちを見ているピーターの姿を認め、口の中の肉を一気に飲み干した。
「あ、来たわね義弟」
「ピ――――――――ッ!!」
「どうしたのエヴァ! 薬缶みたいな音を出して!」
座ったまま飛び跳ねたエヴァにメイジーが驚いた声を上げるがそれどころではない。
(み、見られた!? 見られましたか!? おっきなお口でお肉を食べたところ見られ…ほっぺにお肉を詰めながら食べている姿を見られました!)
乙女としてそれはとっても恥ずかしい。
というかそもそも。
「めめめめめいじー!? ピーター様にもお声を…!?」
「勿論よ。仲間はずれよくないでしょ」
「そもそもここは王宮ですメイジー!」
彼は公爵家へ養子入りしたが、まだ顔見せ段階ではない。公爵家で教育を受けているところ。
元子爵家なので、王宮に来る機会だってなかったはずだ。
まさかの初めての王宮への呼び出しが、焼き肉。
「一体どこまで人をお呼びしているのです!?」
「安心しなさい身内だけよ。後は文官達が食べ来るくらいね。武官は食べる量が追いつかないから呼んでないわ」
「ここお店じゃないですメイジー!」
気軽に人を呼べる場所ではない。
慌てて顔を上げれば、汗をかきながら肉を焼いているスタンが爽やかな笑顔を浮かべていた。
汗の所為か、爽やかさが三割増しになっている。
「王宮の高級感をぶち壊す所業、流石だよね。僕は思いつかなかったな」
「ぶち壊しちゃだめなところですお兄様!」
「勿論今回だけだよ。そう、食材があるときだけ」
食材って言いながら檻の中を見るので、お父様は更に震え上がっている。
間違いない。メイジーが人を呼ぶのを止めなかったのはお父様に対する嫌がらせだ。特別を好むお父様に、王宮はいつだって無法地帯にできるぞという脅しだ。
王宮警備の関係もあって、人の出入りは厳しくなっている。今回限りだとしても破格だ。
文官は流石に王宮勤めの文官達だが、まさかピーターまで呼んでいたなんて。
メイジーは素知らぬ顔でピーターを手招いている。恐らく何も聞かされていないピーターは、目を回しながらもメイジーに近付いた。
「義弟。お肉を食べて力を付けて頂戴。今のうちにこれを偉い人だと思って味わえばこれからどんな緊張する場面でも余裕よ。何故なら偉い人を鉄板で焼いて食った経験ができるから」
「ちょっと意味が分かりません義姉様…」
(ピーター様はお父様が今、豚さんだって知りませんよメイジー!)
一応、王宮に勤める一部の人間しか知らない秘密だ。世間一般的には療養中になっている。
しかし戸惑いながら肉の載った皿を受け取るあたり、ピーターは既にメイジーの思い切りのよい奇行に慣れていた。柔軟性が高い。
「気にせずたくさんお食べ」
「あ、ありがとうございます。あの、代わりますか?」
「いいえここの鉄板は私の領地。いくら義弟でも明け渡さないわよ。侵略するならスタンの鉄板にしなさい」
「いいよ。受けて立とう。今楽しいところだからいつも以上に力が出せそうだ」
「厚意で交代を申し出ている相手に喧嘩腰になるな」
まるで子供のようなやりとりに、ピーターの緊張していた口元が緩んだ。
「お楽しみのところ無粋でした。申し訳ございません。たくさん頂きます」
「「たくさんお食べ」」
満足そうなメイジーとスタンは、せっせと食材を焼きながら鉄板と向き合った。
ピーターはエヴァの隣に座る。
「こんにちはエヴァ様。お誘い頂きありがとうございます。美味しそうなお肉ですね」
「こんにちはピーター様。ええ、お兄様たちが張り切りましたの。どうぞお召し上がり下さい」
二人はチャンル学園の同級生なので、親しげな挨拶をしても不自然ではない。エヴァとピーターは恋人同士だが、まだ秘密の恋人なのだ。
だから同級生として当たり障りのない挨拶が当たり前で…挨拶をしながら、エヴァは笑顔のままぷるぷる震えた。
(お、お隣に座って下さったのは嬉しいけれど…わたくし今、煙臭くありません!?)
当たり障りのない挨拶より、自分の匂いが気になった。
バーベキュー会場、思った以上に煙が出る。
それに、お肉を頬張っていたところも見られているのでとても恥ずかしい。
(淑女として…してはいけない顔だったと思います…!)
ちょっとした意気込みのつもりで、はしたないと思いつつ頑張った一口を見られていたと思うと恥ずかしい。
エヴァがぷるぷる震える隣で、ピーターはメイジーに手渡された皿を見た。たっぷりこんもり載せられた焼き肉。
ちょっと考えて、彼も肉を一口で頬張った。
目撃したエヴァはぎょっとする。
ピーターのふっくらした頬が更に丸みを増して、もぐもぐと咀嚼する度に頬が揺れた。彼はあっさり肉を噛みきって、ゴクリと嚥下する。
そして、照れたように笑った。
「義姉様たちはお肉を焼くのが上手ですね。美味しくて、いつもよりたくさん食べられそうです」
「そ、そうですねっ」
「思わず一口で食べてしまいましたが、秘密にしてくださいね」
照れくさそうにしながら添えられた一言に、エヴァは宵の瞳を潤ませた。
ピーターはわざとエヴァと同じことをしてみせたのだ。エヴァが恥ずかしくないように、秘密にしようなんて言葉も添えて。
しかもしっかり、主催者である義姉とスタンを立てた物言い。
(す、好き…っ!)
エヴァの胸がぎゅうっと締め付けられた。
それから二人は積み上がる肉、時々野菜を消費しながら、小声でこっそり会話を続けた。幸い肉の焼ける音と入れ替わり立ち替わりやってくる文官達の話し声で、何を話しているのか周囲に聞こえない。
食事とは、静かに摂るものだった。音を立てないように気を付けながらナイフとフォークを動かしていた。
しかしメイジーと逢って、ピーターと昼食を共にして…音のない食事はマナーとして正しくとも、寂しかった。
「…こうやって、皆で騒ぎながら食べる昼食もいいけれど」
こっそりと、隣だからこそ聞こえるくらいの音量で、ピーターが呟いた。
「僕は学園の昼休みに、エヴァ様が作ったお弁当を二人で食べる方が、好きです」
ピーターは照れたようにそう言って、焼き肉を頬張る。
しっかり耳に届いたエヴァは、白い肌を桃色に染め上げた。
(…好きぃ!!)
叫びたくなったのを堪える。まだ関係が公表されていないので、人の多い場所で叫ぶことはできない。
だけど、想いは口に出さないと伝わらないとメイジーに言われていたから。
「…わ、わたくしも…わたくしも、すきです」
頑張って、正直に。
エヴァは小さな声で、自分の気持ちを口にした。
ちゃんと届いたかどうかはわからない。だけど、彼の耳が赤く染まったから。
きっと届いたのだろうと、エヴァは照れ隠しにちまちまお肉を頬張った。
「いい? 邪魔しちゃだめよ? あそこだけ【桃色空間春全開花見の花はお前たちだ】になっているけど邪魔しちゃだめよ。邪魔した瞬間焼きたての肉が飛ぶわ」
「あれ全然隠せてないな…」
「邪魔しないよ。お膳立てしたのは僕なのに、なんで邪魔すると思うの?」
「妹が何より可愛い兄の目で二人を見ているからよ」
「…うーん、じゃあメイジーをずっと見ているね」
「鉄板を見ろ! 肉の焼け具合を!」
「あ、焼きたてが飛んだ」
「二人に近付こうとした文官の顔面に当てる猪女のコントロールはどうなってんだ…」
騒がしい保護者たちの会話は、世界に二人だけになっているエヴァたちにはまったく届いていなかった。
メイジーの影響で、言いたいことを言えるようになってきているエヴァ。
でもまだ振り回され気味。そのあたりはピーター様の方が先に受け流しスキルを磨いていく。
この二人はこれからもだもだしながら、純愛のまま婚約し、結婚します。
次の日から豚が人間になりますが、精神を折られ恐怖を植え付けられたので余計なことはもうしません。




