【番外編】イヴァンジェリン・フォークテイルは
エヴァ視点のお話です。
あれから一年。
陛下にかけられた呪いが自然と解ける年月が過ぎた。
その前日、メイジーは。
「バーベキューの時間よ!」
王宮の庭の景観をぶち壊しながらバーベキューを始めていた。
(いつの間に準備したのメイジー…!)
エヴァはメイジーの暴挙っぷりに慄いていた。
王宮なのに、気軽に来てねと言われて訝しんではいた…いたが、まさか王宮の庭園でバーベキューの準備をしていただなんて!
慄いたがそれ以上に驚かされたのは。
「やあエヴァ、お腹は空いているかい? 肉以外も焼くから待っていてね」
(お兄様も焼いている…!?)
うきうき楽しそうにメイジーとは別の鉄板の前に立つ兄の姿だった。
上着を脱いで腕まくりをして、長い金髪を後ろに纏めてとても生き生きとした顔をしている。兄、スタンのそんな姿、初めて見た。
「お、お兄様もお料理を…!?」
「メイジーとエヴァが時々料理をしているのが羨ましくて。以前キッチンが爆発したけど、バーベキューならできるんじゃないかってメイジーが用意してくれたんだ」
「焼くだけさせるなら問題ないはずよ」
それ以上手を出すんじゃないわよと目を光らせるメイジーだが、スタンはトングを持って楽しそうにいろいろな食材を焼いている。肉を置いてすぐ上がる焼ける音に嬉しそうに目を細めた。
わかる。
わかるけど。
「な、何故王宮の庭で…」
「執務の合間だからね」
「王宮の外に行く時間がなかっただけよ」
「時間がないからって王宮の庭でやるなよ」
「モーリス煩い」
苦言を呈するモーリスだが、彼もまた別の鉄板で何か焼いていた。麺類で、ソースの香ばしい香りが強烈に漂っている。
「鉄板は危ないからエヴァは手を出しちゃだめよ。さあ座って。その内文官とかが昼食に来るから」
「ほ、本当にここでお食事をするのですね」
「焼きたてを食べるのが一番よ。ここで焼くんだから毒なんて仕込みようもないでしょ。安心しなさいソースだって自家製なんだから」
胸を張って得意げなメイジーは、公爵令嬢になってスタンとエヴァが何故出来たての料理を物珍しく感じていたのか知った。王侯貴族は、毒の存在にことさら気を付けなくてはいけなかった。
だから出される食事も毒味を終えた冷えたもの。
いや冷えた料理って場合によっては不味いわ! と叫んだメイジーは、気を付けながらこうやって出来たて料理を食べさせようと画策している。
しているのだがまさかこうなるとは思わなかった。
呆然と肉の焼ける音を聞いていたエヴァは、ふとメイジーの後ろに小さな檻があるのを見つけた。
王宮の庭園に、鉄板と同じくまったくそぐわない檻がある。
何故そんなものがあるのだろうかと目を凝らし…。
「ぴぎー!」
(お、お父様ぁああああああ!?)
豚にされた父が豚肉を焼く鉄板の隣の檻に入れられていた。
「メイジー、この豚肉はどれくらい焼くべきだろうか」
「ちょっと分厚かったわね。しっかりきっちり焼きましょう。火力を上げるわ」
「捌きたての新鮮なお肉は美味しいね」
「そうね、やっぱり食材は新鮮さが美味しさの秘密よね」
「ぴぎー!」
「お前らそっち見ながら言うなシャレにならないから!」
(本当にシャレにならないのでやめてあげて下さい!!)
スタンは笑顔で、メイジーは真顔で檻の中を見ながら話すから恐ろしい。檻の中の豚はすっかり脅えて震え上がってしまっている。
「で、王妃様はなんて?」
「夜に帰してくれるなら好きにしていいそうだよ」
「違うわよバーベキューに来るのか聞いてるの」
「ああそっちか。匂いがつくからいやだってさ」
「それを知っているということは王妃様、バーベキュー経験者ね…」
「一体いつしたんだろうね」
まさか王妃にまで声を掛けていたとは。
エヴァは卒倒しそうになった。
じゅうじゅう肉の焼ける音と豚の悲鳴を聞きながら焼けた肉を食べるのは、とてもシュール。
目を回しそうなエヴァに、メイジーはキリッとした顔で言い切った。
「今後どっかの誰かが生意気言いやがったら次は焼き肉にして喰ってやるって脅しつければ問題ないわ!」
「ぴぎー!!」
脅し文句じゃなくて本当にバーベキューで焼き肉をするのだからメイジーの本気が恐ろしい。
恐ろしいがしかし。
物心ついてからずっと怯えていた存在がこうも脅かされるのを見て。
思わず、気が抜けて笑ってしまった。
エヴァ…イヴァンジェリン・フォークテイルが生まれたとき、父はまだ普通だった。
兄は父に似ていて、父も綺麗な金髪だった。髪質は異なり、スタンは直毛だが父はくせっ毛だった。エヴァはくるくるした父の金髪が好きで、抱き上げられたときはついついいつも触れていた。
父は聖女を信仰していたが、それを誰かに押しつけることはしていなかった。ただひっそりと聖女の存在を尊んでいた。
父の挙動がおかしくなったのは、エヴァが物心ついた頃。
それはとても些細なことから始まった。
そんな父に、エヴァは、聞いてしまったのだ。
『聖女様、イヴっていうの? イヴとおそろいなのね』
イヴァンジェリン・フォークテイル。
愛称はイヴ。
そのとき家族は彼女のことをそう呼んでいた。
なんてことのない一言だった。
そもそも聖女に肖って付けた名だろう。だから幼いエヴァが偉人と同じ名前だと発言したことは何もおかしくない。
おかしくないのに。
『…そうか。そうだな。イヴは聖女様と一緒だ』
父は嬉しそうに、微笑んだ。
それから父は思考を狂わせた。いいや、もしかしたら隠れていたものを隠さなくなっただけかもしれない。
それからエヴァの周囲は呪いで溢れた。
聖女ならばなんとかできると父は言うが、エヴァは身を守ることしかできない。
護衛のエマは呪物に鈍感で、呪いの影響を受けることなく全て返却してくれた。彼女は聖女の生家出身だったので父に気に入られており、不敬と罰せられることも許されていた。許されていることに首を傾げていたが、処刑覚悟で動かないで欲しい。
兄は全てにおいて父が悪いと断言し、エヴァを守ってくれた。イヴと呼ばれていた愛称をエヴァと呼び直し、父がエヴァに対して命じる理不尽な命令を退けてくれた。
母は父を仕方のない人と言うだけで、父の行いを許容していた。恐らく、母は父しか見ていない。娘と聖女の同一視を異常と認識しながら、そんな愚かしさが愛しいと微笑んでいる。
父もだが、エヴァは母も怖い。
守ってくれるのは兄と護衛のエマと、近しい使用人達だけ。
エヴァはいつも怯えていた。
だから、学園の時間は数少ない心安まる時間だった。
誰に怯えることもなく、のびのびと学びに集中できる。学友たちと笑い、悩み、王女としてではなく一生徒のエヴァとして過ごすことが許されていた。
ピーターと出会ったのは、入学式。同じクラスだった。
劇的な出会いだったわけではない。強烈に心引かれる出来事があったわけではない。
仕草が優しいとか。口調が柔らかいとか。ほっぺたが柔らかそうだなとか。そんななんてことのない一時の積み重ね。
…そんな小さな積み重ねで、恋のおまじないをするくらい好きになっていた。
呪いなんて、よくない。怖くて仕方がないのに。
なのにおまじないをしてしまう自分が滑稽で、おまじないのハンカチを落としてしまう自分が間抜けで。
なんだかとても不甲斐なくて、恥ずかしくて…エヴァはその日、しくしくとバラ園で泣いてしまったのだ。
そして。
『誰に泣かされたの!』
そして、メイジーに出会った。
実は怯えて暮らしていたエヴァ。
自分の一言から始まったのでは、と父の暴走に強く言えない。
言っていいんやで。




