無視された予兆
同年 7月 日本国 皇居宮殿松の間
「・・・・・・・・・。」
この日、皇居宮殿松の間では新任の防衛相の親任式が行われていた。前任の大臣は失言に次ぐ失言を重ねた結果非難轟轟となり更迭、その前任者は病気の為にやむを得ず議員辞職しており、内閣支持率が低迷する中、総理大臣である西田文雄は支持率向上を図り当選一回ながらも選挙区から人気が高く、クリーンな印象を持たれていた若手のホープを指名した。一部ではやけくそ人事とも言われた。
(やけくそ人事と内外の人間は思うのだろうな。だけど、僕は国会議員の端くれ。全力でやりきる以外にないよ)
彼の名は「若葉響」。参議院静岡選挙区選出の議員であり、まだ三十代の超若手議員だった。
「さて、結果で示すしかないよな。駄目なら政治家を辞めて地元に帰るしかない。」
翌日 日本国 市ヶ谷 防衛省
「僕が新たに防衛大臣となった若葉響です。頼りないと思うのが正直なところであるとは承知している。だが、僕達は運命共同体。国民の生命と財産を守る為に共に頑張って行く所存です。」
簡単な訓示をして執務室へ入る。
「さて、仕事をしないとな。まずはこの報告書に目を通すか。」
彼は上がって来た報告書に目を通す。
「・・・・・これは・・・・・これを前任者は官邸に情報を上げていたのか?」
誰もいない執務室で大臣はそう呟いた。
「僕は副大臣として国交省にいたが、こんな話は聞いたことがない。というか、何でこんな重要な情報を官邸に知らせていないんだ? こ、こんなことをしている場合ではない!!」
そう言うと彼は資料をまとめると官邸に公用車を走らせる。
日本国 首相官邸
「しかし、任命したばかりの君がいきなり会談を要請してくるとは思わなかったよ。いきなりはりきり過ぎじゃないかな?」
「総理!! そんなことを言っている場合ではありません!!」
若葉防衛相は資料を西田総理に差し出す。
「どれどれ・・・・・え?」
総理の眼が点になる。
「・・・・若葉大臣、これは本当なのかな? こんな情報は聞いたことがないが。」
「僕も任命された後、前任者が残していたと思われる資料を見て初めて知りました。この資料にはロシアが北海道や青森へ軍事攻撃を今年中に行う可能性が高いと記されており、またそれを裏付けるかのようにロシア軍の部隊が極東に移動中であると連日報道されております。」
「しかし、この資料が作成されたのは見る限り6月中。それにアメリカからそんな情報は入ってない。どこまで信用出来るかは分からないんじゃないかな?」
「ですが、事実としてロシア軍が極東地域に集まっていることは報道でも軍事衛星からの情報でも明らかです。それにアメリカといえど完ぺきではありません。絶対に察知できるわけではないでしょう。恐らくロシアのことですから演習と言うでしょうが、それは欺瞞かと。ウクライナへ侵略する前にベラルーシで演習をしていましたし。」
「だがなあ・・・我が国はアメリカと同盟関係にあるんだ。云わば核の傘に入っているし、安保もあるんだ。流石に戦争は考えすぎじゃないかな? とはいえ、極東に軍を集めていることは好ましいことではないのは事実だ。外交ルートを通じて遺憾の意を伝えると共に、米国と緊密に連携する、これで良いだろう。」
「総理!! それでは何の意味も!!」
「若葉大臣はちょっと張り切り過ぎているようだ。一回頭を冷やすためにも今日は早く帰って寝た方が良いよ。」
そういうと西田総理は話を切り上げてしまった。やむなく若葉大臣も防衛省へ戻る。
「・・・・どうした響、随分と機嫌が悪いじゃねえか。」
執務室でイライラしていた彼に会いに来たのは副大臣の常磐銀地。響からはシルバーと呼ばれている、彼と同じく当選一回の議員である。選挙区は全国比例区であり、選挙では響と二人三脚で闘い、見事党内順位四位で初当選を決めている。
「・・・・・遺憾の意遺憾の意!! この国はこの言葉が大好きだなと思ってね。」
「ああ、そう分じゃあの報告書の中身が無視されたんだな。分かってたことだけどな。」
そう言うとシルバーはそこら辺から椅子を持ってきて響に向き合うように座る。
「で、響お前はどう思うんだ? 本当にロシアが攻めて来るって思うのか?」
からかい半分、真剣半分に聞く副大臣。
「普通の神経してたら攻めては来ない。我が国は米国と安保条約を結んでおり、国内各地に米軍基地が点在している。日本に手を出せば米国が待ってましたと言わんばかりに反撃する。」
「でも、お前は攻めて来ると思ってるんだろ?」
「ああ。ロシアの大統領は普通の神経をしていない。誰もがしないと思っていたウクライナへ侵略戦争を仕掛け、米国は覚書を共に履行せずウクライナを見捨てた。武器援助はするが、それは在庫処分や実地試験を自らの手を汚すことなく行っているだけ。状況が変われば米国はあっさりとウクライナを見捨てる。それは日本とて同じ。如何に安保条約を結び、同盟国であったとしても、ロシアが核保有国であり、真っ向から戦争することは絶対に避けようとする。そうなれば同盟は有名無実となり、日本は見捨てられる。自衛隊は単独で侵略者を追い返し、逆に敵国を殲滅する力は持っていない。盾を自衛隊、鉾を米軍が担う。それがこの国の安保だ。しかしその鉾が錆びついている以上、ロシアの障害は存在しない。それどころか日本はロシアによる米国への窓口に使われる。それでは防衛省自衛隊は国民の生命財産を守るという使命を果たすことは出来ない!!」
一気に喋ったためか、喉がおかしくなる響。
「俺も同感だ。米国は日本を助けないだろう。今の大統領を見ていたら分かる。しかし、これなら前任のスペード大統領の方がましだったかもな。それこそ、貿易赤字解消を名目に核武装も出来たかもな。」
シルバーはそう言いながら冷たい水の入ったグラスを響に手渡す。響は一瞬でその水を飲みほした。
「しかし、どうするんだ? 防衛省独自で出来ることなんてあるのか?」
「・・・・演習という名目で北海道や青森の部隊を南に下げるのはどうかな?」
「はあ?! お、お前何を言ってんだ?! 北海道や青森が攻撃されるんだろう?! なのになんで部隊を下げるんだ!?」
「違うよシルバー。攻撃されるからこそ下げるんだよ。」
「?」
一体何を考えているのかが理解出来ないシルバー。
「取り敢えず、明日にも三自の幕僚長を集めて緊急会議を開催するよ。そこで僕の考えを聞いて欲しい。」
「あ、ああ。」
この時若葉大臣の考えた秘策は翌日の緊急会議で発表された。始めは難色を示していた彼らだったが、若葉大臣の気迫と熱意に圧されると共に、同日会議中に米国から寄せられた極秘情報を受け、一部を修正した上で大臣の策は採用されることとなった。後にこの会議に参加した背広組は、
「大臣の発案がなければ自衛隊は開戦と同時に戦闘能力を失っていた。」
と話したとか。その間にもロシアは極東地域に部隊を集結。一部をウクライナ戦線から引き抜いてでも集めてきており、各国では一部の人間を除いてその意図が計り知れなかった。
「取れる手は全て打った。後は神のみぞが知る、か。しかし、まさか新たに目を疑うような情報が入ってくるなんて・・・。」
「なあ響。」
「何だいシルバー。」
「総理には伝えなくて良かったのか? 仮にも同盟国や友好国からもたらされた情報なんだろ?」
「良いんだよシルバー。あの総理のことだ。どうせ遺憾の意しか言わないよ。」
「ここまで勝手に決めちゃう防衛大臣もどうかと思うけどな。」
「思ったけどシルバー。僕は大臣、君は副大臣なんだよ。たまにで良いから立場をわきまえて欲しいかな。あとシルバー。」
「へいへい、で何だ?」
「僕、この戦争が終わったら、総理大臣になるよ。」
(続く)




