05:学園
※カースティは第二王子への当たりがめっちゃキツいです。
タカシは家の庭師衆(御庭番というか諜報組織)と連携して、事に当たることが決まった。こちらに滞在するときの部屋なども与えられて、当面はこの世界の社会常識を学んでもらうことから始めることになる。さすがに予備知識なしで外に出すわけにもいかないしね。
翌日は予定がなかったので、タカシの能力について検証の続きをしたり、いろいろレクチャーしたり、向こうの家族の近況なんかを聞いて過ごした。
ジョージの調査やタカシのお相手など、やるべきことはいろいろあるけれど、そればかりしているわけにもいかない。
私は学生なのだ。平日の昼間は授業というものがある。
私が通う王立学園はゲームの舞台でもある。寮もあるけれど、私は普通に自宅から通学している。
今日も朝から馬車で、学園へと向かった。
*
【グレンデル王国王都 王立学園 調理実習室】
9月23日 10:30
今日の一限目は歴史の授業で普通に終わり、二限目は調理実習である。
前世のゲームでは、なんで貴族子女が通う学校に調理実習なんてあるのか、ってのはツッコみどころだったんだけどねえ。「貴族にとって調理など下々の者がすることで、自身で調理するわけねえだろ」って普通思うでしょ。それこそ、攻略対象を餌付けするためだけに用意されたご都合主義のイベント、という認識しかなかった。
しかし実際のところ、この世界では貴族の奥様方が料理を作る機会はわりと多いようだ。パーティやお茶会なんかのときでも、奥様自ら厨房を仕切って料理を用意するのが通例だった。王妃様でさえやってるくらいなので、料理は貴族女性の嗜みみたいに受け止められている。
私は前世で普通に料理してたので、料理チートできるかなあ、なんて甘いことを考えていたのだけど、ぜんぜんそんなことはなかった。食材にしろ調味料にしろ、前世で私が作っていた物がいかに既製品と流通頼りだったか、というのを思い知らされた。
調理器具などについては、包丁などは日本でよく使われてた文化包丁と同じで、菜箸も普通に使われてる。貴族の家であれば魔力式のコンロやオーブンがあって、水道もあるんで、道具については問題なかった。学園の調理室も設備は揃ってるし。
井戸から水汲んで薪や炭で調理しろ、とか言われたら無理ゲーだったかもしれないので、この辺のふわっとした設定はありがたいところ。残念ながら、電子レンジや冷蔵庫に相当するものはないけど。
「本日のお題はこれ、ビーフストロガノフです。皆さんにはこれを作っていただきます」
講師からお題が出された。
昔、ファミレスで食べたのはおいしかったけど、レパートリーとしてはいささかマニアックなんじゃないだろうか。元が賄い料理らしいので、難易度としては適切なのかもしれないけど。
てか、ストロガノフってたしかロシア人の名前だと思ったけど、なぜかこの世界でも同じ名前で呼ばれてる。
きっと、名前とかのまじめな考証をこの乙女ゲーム世界に求めても無駄なのだろう。
牛肉とタマネギ、マッシュルームなどを炒めて煮込んで、仕上げにサワークリームを追加する。トマトは使わないらしい。
付け合せには蒸かしたジャガイモ。サフランライスが欲しいところだけど、あいにくこの世界では米は発見されてない。
きっと、原産地とかのまじめな考証をこの乙女ゲーム世界に求めても無駄なのだろう。
死ぬまでに一度でいいからお米を食べたい。こちらで生きてきて十四年。日本人としての心はほとんど擦り切れて、失われてしまった。確固たるものとして残ってるのは、家族との思い出と、お米への渇望くらいだ。ないと言われると余計にね。お米を手に入れられるなら、悪魔とも取引しそう。こっちの宗教的に、悪魔とかいないけど。
班ごとに材料を受け取って、調理を開始する。
私の班は仲の良い貴族令嬢同士で固まっていて、幸いヒロインとは別班だ。彼女は隣の平民出身者の班に入ってる。
「ちょっ、待っ、マリリン! ニンニクそんな山盛り入れちゃダメだってばーーっ!」
「いやいや、ニンニクマシマシは基本でしょ!」
「ぎゃぁあーーーっ!」
ヒロインの班が何やら騒がしいけれど、いつものことなので皆気にしていない。仲は良好なようだ。
……はて。材料にニンニクなんてあっただろうか。少量ならアクセントになるかもしれないが、両手に収まらない量は何か違う気がする。
まあ、私のじゃないから、いいか。
こうして見てると、マリリンはごく普通の平民の少女だ。地味ということもないけど、華やかというほどでもない。磨けば輝くんだろうけど、素ではわりとかわいい方、くらいに留まってる。
ゲームでのヒロインと顔立ちや瞳、髪色といった身体的特徴はほぼ同じだ。体格は幾分貧相になってるかな。ただ、ゲームの2Dイラストと現実の3D生身の差はかなり大きく、見た目の印象はだいぶ異なる。
そして、なんというか、中身は完全に別物だと思う。
彼女についての調査報告書の内容を思い出す。
――貧民街の出身で、五歳のときに母親は死亡し、孤児となる。四年前からとある男爵の庇護下にある。実際には男爵の庶子なのだが、家の事情により認知と公表は見送られた模様で、立場は平民のままである。男爵家からは十分な生活支援を受けており、王立学園の学費も男爵が負担している。現在は学園の寮で暮らしている。
その辺りの事情はゲームの設定と同じだ。わりとよくある話でもある。しかし、学園に入ってからの行動はまるで違う。
イベントは丸々すっぽかしてるしねえ。ゲームではとある重要イベントで特殊な異能スキルを得るんだけど、現実ではそういった話もまったく聞かない。
攻略対象者にも興味はなさそうだ。近寄るどころか、目線すら向けていない。普通の平民と同様に、貴族に関わるのを意識的に避けてる節もある。テンプレの生徒会とも関わりがないし。
ここからゲームの展開に繋げるのは、どのルートでも不可能だろう。
ここまで差異があるとなると、もしかして私と同じ転生者という可能性もあるかもしれない。何らかの意図があって、ゲームとは違う展開を望んでいるとか。
藪を突きたくはないので、私からも接触はしてないけど。私が悪役令嬢にされてしまうイベントも起きずに済んでるので、今のところは放置だった。
しかし、ヒロインが何もしないと、第二王子がクーデターに走るというのは仕様なのだろうか。ゲームにはそんなルートなかったのだけど。
私が知らないだけで、他にもまだまだイレギュラーが転がっていそうで、どことなく嫌な予感がしてはいる。気のせいだといいんだけどねえ。
「ね、ねえマリリン、これ、ほんとに食べられるの?」
「だ、だいじょうぶよ! ちょっぴりアレな感じになっちゃったけど、一応食べられる、はず……たぶん」
「『ちょっぴり』? 『一応』? ねえ、あたしの目を見て言ってちょうだい」
……この後は昼食会となってて、自分たちの作ったものを食べるのだけど、彼女たちアレを食べて大丈夫なのか。何とも得体の知れない『何か』が出来上がってるんだけど。名状しがたい、というのはこういうのを言うんだろうか。何をどう調理すればああなるのだろう。
まあ、私のじゃないし、いいか。
その後、私たちの班は無事に調理を終え、おいしくいただきました。
*
【グレンデル王国王都 王立学園 校舎内】
9月23日 12:40
「ウォーデン君」
「ホルツマン先生?」
昼食後、校内をぶらついてると、年配の先生に呼び止められた。この先生は上位学年の講義を担当していて、私と直接の関わりがないのだけど、とある事情により顔馴染みになってしまった。この先生が私に声をかける理由は一つしかない。
「あー……また、ですか」
「すまんね。ワシらではどうにも諌められんでのう」
「いえ、仕方ありません。ですが、私が言うと逆効果になりますよ。家はもう完全に殿下を見限ってるので、辛らつな言葉しか出てきません」
「それでもお願いしたい。普通に言っても聞かんだろうしの」
「わかりました」
第二王子ジョージは授業エスケープの常習犯である。隠れて努力しているならまだ許されただろうが、そういう話もない。学園での成績はせいぜい中の下から中の中というところで、まったく芳しくない。
先生方は度々注意してきたが、あんなのでも一応は王族ということもあって、なかなか強くは出られない。それで、婚約者から注意してくれないか、と私にお鉢が回ってくるのだ。
面倒くさいことこの上ないけど、私の立場はそういうのも込みなので仕方ない。
ジョージはたいてい学園の裏庭の隅っこにいるので、私はそこへ向かった。
案の定、奴は裏庭で寝転がっていた。
ジョージ・ハーバート・エル・グレンデル。十七歳。この国の第二王子。金髪碧眼高身長に王様譲りの甘いマスクと、見た目だけなら完璧な王子様だ。いや、王位継承権がないとはいえ一応は王の子であり、王子サマには違いないんだけど。
「殿下、また授業をサボったそうですわね」
「どうせ、王家を追い出される身には必要のないものだろう」
「学業とは付加価値でもあります。殿下の価値を高める機会なのですが、それを棒に振られますか?」
「そんなもの、何の役に立つというのだ」
「業種によっては、必要とは限りません。また最初は知識がなくとも、実地で覚えられることもあるでしょう。しかし少なくとも、努力する姿勢すら見せようとしない者に、お飾りでないポジションが任されることは絶対にありません。
というか、今のままでは殿下が何の役にも立ちませんね」
「知ったことか! オレのことは放っておいてくれ!」
こうしていると、第二王子は本当に不貞腐れたお子サマそのものだった。演技とかではなく、素でこれだ。十歳くらいの頃からずっとこんな感じである。
この国では十五歳で成人であり、平民でも貴族でも、十七にもなれば自然に大人としての振る舞いを身に着けてるものだ。しかし、コイツにはそういう成長が見られない。どちらかというと、前世日本の高校生の気分に近いのかもしれない。いや、コレと比べちゃ高校生に失礼か。中学生か、下手すると小学生レベル。
ちなみに、今のやりとりはゲームでもそっくりそのままあった。カースティの態度はゲームでも大概こんなもので、ヒロインに対する悪役というより、攻略対象者にとっての敵役と言ったほうがいい。
ただし、ゲームだとジョージの隣にはヒロインがいてフォローしてたけど、ここではその姿はない。ただのボッチだ。
「はあ。まあ、ご随意に。一応、先生方にお願いされたのもありますし、あくまで貴族の義務として諫言申し上げたまでです。当家といたしましても、無価値の殿下であっても飼うくらいの余裕はありますので」
以前は私もまともに説得を試みていたんだけどね。悪役令嬢コースを避けたいのもあったけど。
日本だったら押し付けがましいとか言われちゃいそうだけど、ここじゃあいにく楽な逃げ道なんてのはないし。
当人が何事にもやる気がないんで、結局どうにもならなかったけど。
確かに、彼は継承権がないことで周囲から軽んじられることも多い。
けれど、ちゃんと自身を高める努力をしてきていれば、王位は無理でも、他にいろいろと道はあったのだ。腐っても王の子であり、周囲の環境だけは相当に恵まれていたのだから。
しかし、ジョージはいじけるばかりで、何もしてこなかった。
かといって、冒険者などで自立しようとするわけでもなかった。
だから私も、ウォーデン家も、すでに彼を見限ってる。
王命だから婿として迎え入れるけれど、それ以外の何かをやらせるつもりはない。ただの種馬であり、一生監視下に置いて飼い殺しだろう。その扱いは日本におけるニートよりずっと厳しいものになる。自由なんてなく、禁固刑よりはいく分マシという程度。
そして、謀反の疑いが浮上した今となっては、もはや処分対象でしかない。
「貴様! いつまでも、いい気にしてられると思うなよ!?」
「おやおや、これはまた三下のゴロツキのような物言いを。『いつまでも』とは、それがいつなのか、それはそれは、大、変、に、興味深いですわね。まさか、殿下にもそのうち一念発起する日などというものが訪れる、とでもおっしゃるのでしょうか? 聞くところによると、殿下の配下の第二旅団でしたか、そこの皆様も近頃はずいぶんと訓練に精を出してるそうですわね。ええ、それはもう、その件につきましても当家は極めて重大な関心を持って注視しておりますとも」
「くっ……」
あんたらの動きは察知してるからな、妙な気を起こしやがったらウチが本領を発揮すんぞ、とネチっこく露骨に匂わせると、彼は表情を歪めて押し黙った。
本当に底の浅い男である。顔芸じゃなく、内面を押し隠して微笑むくらいのタヌキ面を見せてみろというのに。
こういう警告はこれまでも何度かしている。それで奴が思い留まるなら、それに越したことはない。でも、ジョージの性格的に、たぶん止まらないだろうな。銃という圧倒的な力を手にして、ずっと大人しくしていられるとは思えない。まだやっていないのは、単に準備が整ってないだけだろう。
ジョージは「気分が悪い」と言って、その場から立ち去っていった。
こんな無能な王子サマだけれども、一応仮にも王の子が無職というのも外聞が悪いために、国軍の一部、第二旅団というとこの指揮官を任されている。といっても、彼には戦闘を指揮するような才能も経験もないので、完全にお飾りでしかない。そのうえ、婿入りするまでの期間限定だ。
この国では国軍と騎士団は別の組織になっていて、騎士団が王家や貴族の私兵なのに対して、国軍は文字通り国家に属している。
第二旅団には約三千人の兵士がおり、有事の際には先んじて最前線に送り込まれるため、普段は国境近くに置かれている。ここがジョージに宛がわれたのは、いざという時に責任を取らせるためと、王家によい感情を持たないであろう王子に、王都近くの兵力を与えるわけにはいかなかったためだ。
ただ、あんなのでも一応カリスマ性みたいなものはいくらかあったようで、第二旅団の兵士らからはそれなりに慕われているようだ。兵士らと同じく矢面に立たされる立場だということで、同情もあったのかもしれない。
ジョージがクーデターを起こすとすれば、恐らくこの第二旅団がそれを支える兵力となる。
*
【グレンデル王国王都 王立学園 校舎前】
9月23日 15:40
放課後。帰宅部の私はさくっと帰り支度をした。
「お嬢様、お迎えにあがりました」
「ご苦労さ……って、何やってんのよ、あんたは」
校舎前の車寄せに停められた馬車の中から降りてきたのは、執事のコスプレをしたタカシだった。腰巻きのみの原始人キャラに切り替えて、その上に着ているらしい。アレ、使い道あったのか。
御者はいつも通りダグという庭師だ。いろんな意味でのスペシャリストだ。
「街中の見物。ついでに送迎もすることになってさ」
これも社会学習の一貫か。
ふと、タカシが怪訝な表情で校舎の方を見た。
「姉ちゃん、あれは?」
「外ではちゃんと『お嬢様』と呼びなさい。で?」
「あそこの渡り廊下歩いてる子」
「ん? ああ、マリリン嬢ね。ゲームの『ヒロイン』よ。中身が違うのか、ほとんど人畜無害だけど」
「へー……」
「なに、気になるの? ヒロインだけあって、わりとかわいい娘だしねえ」
「いや、そうじゃなくてさ……俺にもよくわからんけど、中で話すよ」
後続の馬車がつかえてるので、とりあえずタカシと共に馬車に乗った。
「で、マリリンのなにが気になったの?」
「いやさ、今のキャラのオプション設定に〔名前表示〕って項目があってさ。相手の頭の上に、その人の名前が見えるようになってるんだけど」
「ネトゲみたいに?」
「そそ。知らん人ばっかりだから、ずっとONにしてたんだ。名前なんてどうやって調べてるのか謎だけど、今んとこ間違ってないみたいだ」
「じゃあ、あの子の名前は見えてたわけね?」
「うん。ただ……彼女だけ、名前が赤い文字で表示されてたんだ」
「赤?」
「そう。赤ネーム。姉ちゃん含めて今まで会った人はみんな白だったんだけど、なぜか彼女だけ赤かった。なんでかわからんから、それで気になったんだ。まさかネトゲのPKの意味ってこともないだろうし」
「なるほど……」
タカシの言葉に、私はちょっと考え込んだ。
ヒロインだから、何か特殊な属性がついてても不思議はないけれど。
赤。血や炎、あるいは情熱とかいったもののメタファーだったりする色。そして、ある種のゲームにおいて、それは『敵』を示すものだ。




