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前回のあらすじ
彼女と紅葉の綺麗な公園でお散歩してるだけ
彼女は僕のずっと先にいた。
彼女は落ち葉のない細かい土のひかれた地面にしゃがみこんでやや空を眺めているようだった。
彼女の着ている黒パーカーがかすかに土に触れている。
僕は彼女にゆっくり近づいて
「服、汚れるよ」
と伝えた。
彼女は素早くこちらに顔を向けて呆然としていた。
「なに?」
聞くとすねたような顔になった。
彼女は無言のまま、また空を見上げていた。
「ヒコーキ!!!!」
彼女はひと気がないのを良い事に大声でそう言い、空を指さした。
飛行機が飛んでいるのに気付くと、彼女はいつも飛行機を見つめた。
いつかあれに乗りたいのだ言う。
遠くに行ってみたいと言う。ここじゃないどこかに行きたいと、いつも言う。
今の居場所が心地よくないわけでないとも言う。
不満がないのにどこかに行きたいと言う彼女に僕はどうもしてやれない。
ただ一緒にいて、一緒に飛行機を羨ましそうに見つめるだけだ。
彼女は、ちょっと生きるのに工夫のいる子だった。
不安や恐怖を他人よりも多く感じる子だった。
昔、注射器を持った看護師の出るホラー映画を僕と一緒に見たせいで、彼女は注射が嫌いになった。
それまで月に一回ほどお菓子目当てで行っていた献血も、採血する際の小さな注射針さえ怖がって終いには注射を見ただけで過呼吸を起こした。
彼女は一度苦手だと感じたものを克服するのに人の何十倍も苦労をする。
飛行機もそのひとつだった。
ニュースで飛行機が墜落するニュースを見てから、彼女は飛行機に乗れなくなった。
何度も飛行機のチケットを買って搭乗チャレンジした。
はじめは荷物を預ける荷物検査で挫折し、次は空港でだめで、最後は飛行機に乗って旅行に行く為に自宅で荷物をまとめている時に過呼吸を起こした。
過呼吸がはじまると、いつも僕はちいさなポリ袋を彼女の口元に寄せる。
彼女は震えた手で慣れたように自分の口にポリ袋を当てて、袋の中の空気を何度か吸う。
荷を詰めている時に過呼吸になった際には涙を流していた。
余程息が苦しいのかと思い、彼女の背中を擦ると
「飛行機乗りたかった!!!!!くやしい!!!!」
と呼吸困難になっている人間とは思えないほどの叫びをあげていた。
苦しさより悔しさんなのかと、僕は目を瞠るほど驚いた。
こういうところが、僕の理解の範疇を超えて彼女のことをよくわからなくする。
彼女はなにを考えて、何に畏怖して、何に喜びを得て生きているのか。
「付き合って下さい」
その時、あらっぽの頭は脊髄反射的に言葉を紡いでいた。
彼女は急に僕の方に振り向いた。彼女の輪郭を流れ星のように美しい曲線を描いてしとしとと涙がいくつも流れている。
「一緒に飛行機乗れるようになるまでなら」
これまでただの仲のいい友達からランクアップできたのは、彼女が後に人生最悪の日として語る
「自宅過呼吸事件」と名付けた日だった。
「ヒコーキ、のりたい…」
外の空気が冷え切っていて、風は寒さで僕らを切る。
彼女の横顔が真っ赤に染まっていて、なんだかリンゴのようだった。
「飛行機乗れなくても新幹線もあるし、別に移動には困りゃしないじゃん」
言うと彼女は
「飛行機にのりたいの!」
とこだわりを見せて僕に怒った。
彼女はだいたいにして短気だった。