98 憎悪と救済の渦の中心
あまり眠れず夜が明けた。未だに多くの人々がゲームに閉じ込められている。姫花もまだゲームの中だ。
まだインフラは止まっていなかった。軽く朝食を取って約束の時まで時間を潰す。警察2人も動いてくれているはずだ。自分に出来る事をやるしかない。
少し早めに家を出た。やっぱり1人の家は落ち着かない。
雲一つない鮮やかな悪夢の様な炎天下、アスファルトからの照り返しが地獄を作り上げている。
建物の影を選んで歩く。どの建物からも人の気配は無い。
「よお」
日光を嫌い路地裏に入ると、待ち伏せしていたかの様に男達が居た。強面のスーツの男2人とお洒落だが、高校生にしては悪趣味な成金っぽい服装の伊藤淳也だ。
「伊藤」
「こんなに楽しい事が起きてるのに何で険しい顔してんだ?」
「楽しい? そういうの悪趣味っつーんだよ」
「いい加減気付けよ。お前は普通の人間じゃない、こんな地獄を楽しめる側なんだよ」
楽しむだと、姫花が居ない世界に何の意味があるという。
「くだらない、何の用だ?」
「渡せ」
渡す物など、俺は何も持っていない、と思っていたら、スーツの男が懐から紙袋を取り出し、俺に手渡してきた。
紙袋を開けてみる。黒く鈍く光る金属の塊が底で重そうに横たわっている。
いや、これは、銃だ……
「あいつと会うんだろ? 護身用だ」
伊藤も銃を受け取る。
「使い方は分かるか? まあ、見せてやるよ。しっかり見とけよ」
伊藤は慣れた手付きでセーフティを外した。
「こいつは、オーダーした物だから、世界に一つしか無いんだ。かなりレアだぜ」
そして、伊藤は構えた。
「あ、あの、ボス?」
銃口を向けられたもう1人の伊藤の手下が焦っている。
「何で慌ててるんだ? 俺を信じてないから……だろ? スパイ」
耳をつんざく音がして、スパイと言われた男は胸から血を噴きながら倒れた。
「初心者でも扱えるように反動が少ないんだ。音が気になるかもしれないが、今この世界に気付く奴は居ねえよ」
伊藤は手下の男にも銃を向けるが、手下の男は微動だにしない。
「まあ、そういう訳であいつはスパイだ。気にすんな」
伊藤は銃を男に返した。
「良い結果、期待してるぜ」
伊藤は路地を歩いて行った。手元には銃が残った。
メールの指示通り、地図の場所についた。
交差点の中央に男が立っている。
「時間にはまだ早いな」
同じくらいの背丈、金髪にスーツ、すぐにアーサー・アルコーンだと分かった。海外の警察が裏社会を牛耳る悪党だったなんて誰が分かるのか。
「お前がフィクサーなのか?」
アーサーは口角を上げる。
「ああ、俺がフィクサーだ」
「言いたい事は色々ある」
「そうだろうな。傷付けた事、申し訳なく思う」
アーサーは頭を深く下げた。
「あれは、俺の望んだ事では無かった。伊藤淳也の裏切りに気付けなかった俺の落ち度だ」
「……詳しく教えろ」
怒りや憎しみを噛み殺し話を聞く姿勢を示す。
「お前を誘拐して試合に出すなと命令した」
「だが、結果は違う」
ビルの反射、アスファルトからの照り返し、地獄のような暑さだ。
「そうだ。シューベルトの命令を無視し、多くの死人を出し、奴は姿を消した。シューベルトは送られてくる惨劇の映像を見ているしか出来なかった」
「俺は……何なんだ? 何で狙われなければならなかったんだ?」
「戦闘に特化した力だ。排除される前に排除するか仲間にしたいのは当然だ。仲間にならないのが分かれば、敵対され被害を被る前に消したい訳だ」
シューベルトにイリヤ、ダンテの力を見て来ているが、上手く応用しているが、戦闘向けの力とは言い難い。
「くだらない」
「そうだろうな。だが、その力があれば世界が手に入れられる」
「世界を手に入れて、何になるんだ?」
「腐った政治家やマフィアにギャング、全てを排除し、誰もが理不尽に苦しまない世界を作る」
アーサーの目は真剣だ。裏社会のボスの言葉とは思えなかった。
「有馬は全人類を救うと言っていたな。世界には救われるべきじゃない存在も居る」
救われるべきじゃない存在、紙袋を強く握ってしまう。
「……俺がこの地位に着くまでに、多くの仲間が先に逝った」
アーサーは目を閉じて拳を握り締めている。仲間の事を思っているのだろう。そういえば、失敗したはずのシューベルトやイリヤ、ダンテは処分されていない。仲間思いなのかもしれない。
「俺は止まれないんだ。俺を信じて逝った仲間を裏切れない。例え、何万人殺す事になろうと世界を手に入れ、変えてみせる」
嘘は言っていない。声から悲痛さと憎悪と覚悟が分かる。
「率直に言う、手を貸してくれ。悪いようにはしない」
「……え?」
「お前が必要だ。兎乃」
熱意のある目をしている、本気なのがヒシヒシと伝わってくる。
「俺達が手を組めば、世界を手にする事なんて簡単だ。理不尽の無い世界を作る為に、お前が必要だ」
理不尽の無い世界……一番に思い浮かんだのは姫花の事だった。
母親の急逝に父親の事、誘拐や伊藤の事、理不尽な目に遭い続けている。
「……姫花は幸せになれるのか?」
「そんな事、俺に聞くな。俺は多くの仲間を不幸にしてる。そんな奴に聞いてどうする」
アーサーは悲しそうな顔をしている。
「……それも、そうか」
「明日の決勝戦前にリスタートワールドオンラインの中枢を乗っ取る」
「中枢……」
「リスタートワールドオンラインを乗っ取るには、中枢のコントロールルームからハッキングするのが確実だ。だが」
「メタトロン・システムか」
「そうだ。管理者にして、守護者、メタトロン・システムの妨害が入る、シューベルトがハッキングしている間、メタトロン・システムを止める」
有馬は全人類の救済、アーサーは人類の選別、ゲームをやっていただけのはずなのに、何でこんな事に巻き込まれたんだろうか。
俺はどうするべきなのだろうか、分からない。
答えを出せずにアーサーと別れ、家に帰る事になった。