97 無慈悲の救済
「兄助〜、ハグ〜」
試合が終わり、控室から戻ってきたら、すぐにヒメキチに抱きつかれた。
約束なので、しっかりとヒメキチを抱き締める。
1分近く経ってもヒメキチが離してくれない。
「ヒメキチ?」
「兄助、もっとー」
羨ましそうにヒメキチを眺めるベルの顔が目についた。
「ほら、甘えない」
「むぅ……」
渋々ヒメキチが離れていく。
「ベルも、約束でしょ?」
ベルは少し戸惑いながら抱きついてくる。ヒメキチに比べると力が強い。
ベルは少しすると自分から離れていった。
ダンテが近づいてくる。その目は澄んでいた。
「聞きたい事があります」
ダンテの周りに居た女達はもう居なかった。
「あんな戦いに、勝手な復讐に巻き込めなかっただけです」
「知るか」
「……都庁立て籠り事件」
ダンテの口から出た言葉に驚きを隠せなかった。有名な事件ではあるが、イタリア人のダンテが知っているとは思わなかった。
「カインド様とあなたが居たと目撃証言もあります。何があったんですか?」
カインドさんが死ぬ事になった理由がそこにあると考えているのだろう。
だが……
「その日の記憶が無いんだ」
「……記憶が無い?」
「学校の行事で確かに都庁には行ったはずなんだけど、気がつけば病院に居た……それ以外の事は俺にも分からない」
まるで記憶を改竄されたかのようにそこだけ記憶が抜けていた。
「それに、カインドさんがあの場所に居たなんて、俺は知らなかった……」
「……嘘じゃ無いんですか?」
「嘘を吐く理由が無い。仲間が死んでるのに」
ダンテが俯いて首を掻く。
「……はぁ、ここまでやっておいて、何も知らないなんて、最悪です。今までの時間が全て無駄になりました」
恨みがましい視線だ。八つ当たりな上に逆恨みだ。
そのままダンテは去って行った。とんでもない嵐だった。
ギルドハウスに戻ってきた。試合は見ていたはずだが、報告はしなければならないし、反省会もある。
しかし、みんな青い顔をして慌てている。
「勝ったぞ?」
「ザインはんは何を暢気な事を言うてるん、それどころやないやろ!」
焦りからか、影月は急に怒り始めた。
剣で影月を刺す。
「痛ぁっ!?」
「落ち着け、影月。俺達は戦ってて何が起きてるのか知らない」
「あ、え、せ、せやった」
「ログアウトが出来なくなった」
要領を得ない影月の代わりにハイドが説明する。
「ログアウトが?」
「メニューを見れば分かる。ログアウトの部分が暗くなってて反応しないだろ?」
ハイドに言われてメニューを見るが、ハイドの言った様な事は起こっていない。
首を横に振る。
「え!? ザイン、お前ログアウト出来るのか!?」
「出来るだろ。何言ってんだ」
「いや、その、兄助……私、ログアウトできなくなってる……」
深刻な顔でヒメキチが俺の服の裾を掴んだ。
「分かった。俺が何とかするから、安心してくれ」
「変わり身早いな、お前!」
「しかし、動こうにも、情報が無い。運営は?」
「何も……です」
カレンが答えてくれた。みんなの顔が暗い。有馬の奴、何を企んでいる。
「はぁはぁ、はい、パピー……」
珍しく息切れをして汗をかいている。
「あ、準決勝おめでと……」
「ありがとう、いや、どうしたんだ?」
「今ね、ログアウト出来るのがパピーくらいなの……だから、何があったかログアウトして見てきて欲しいの」
「……商売に巻き込むなよ」
取り敢えず、ログアウトした。
夜だから当然暗い。
スマホで各種SNSを見る。殆どのSNSがゲームと連携出来るので、ログアウト出来ないと言う阿鼻叫喚しか見えない。
リビングに降りてテレビを点ける。
画面には有馬が映っている。有馬が映っている事は珍しく無い。その俳優のような容姿を活かしてCMによく出ている。
「全世界の皆様、私はハチマンホールディングス代表取締役、有馬頼です。この度、世界のリーダー達と協議した結果、人類は」
ついていけない……
「仮想現実に移住する事を進めます。これは人類の救済です。今あるしがらみを捨て、新たな世界を私達と歩みましょう」
「……は?」
馬鹿げている。馬鹿げているのに、実行されてしまった悔しさがある。
「まだこちらに残っている皆様も安心してください。我々ハチマンホールディングスがサポートします。この……」
電話番号やネットの表示をし、繰り返している。
頭がおかしくなりそうだ。
今まであったと事をマオさん達に報告し、コンビニに足を進める。
コンビニの前にはため息を吐きながら車に座る男2人組が見える。
「あ」
「あ! てめえ!」
「兎乃君!? これはどういう事?」
桜川刑事と加瀬刑事が走ってくる。コンビニは閉じていた。
「これはどういう事なんだ?」
「テレビで見た通りだ」
「……いや、そんな、こんなの世界征服と同じだよ」
「だが、奴は、世界のリーダー達と協議したと言っていた」
「それなりの対価があったんだろうよ」
ハチマンは巨大な会社だ。世界のトップを納得させる何らかの報酬があってもおかしくは無い。
「ゲームに閉じ込められた奴らはどうなんだ?」
「有馬の事だ。決勝が終わるまではもつだろうな。でも、それ以上は……」
有馬は姫花を人質に取っている事を俺にマジマジと見せつけている。
「お前はこの事態を予測していたのか?」
「……いや、俺じゃ無い、不破紫織が予知していた」
「不破紫織か……これからどうする気だ?」
「……分からない。どうすれば良いか、俺には」
「お前……」
「だってさ、俺は知ってたのに、こんな状況になったんだ……全然考えても分からない。どうすれば良かったのか、分からないんだ」
頭の中で考えの波が絶え間無く動いている。考えても分からないまま流され、また考えている。
「休め」
「え?」
「俺達が情報は集めておく。お前は決勝もある、相手はフィクサーなんだろ?」
加瀬刑事がスマホに映ったトーナメント表を見せてくれる。決勝の相手はアメリカ、ワールドテイカー、アンフィニティ、フィクサーのギルドだ。
奴の企みも分からない、この状況をどう思っているのだろう。
2人に促され帰路に着く、みんなにこの惨状をどう説明すれば良いのだろうか。
スマホが震えている。姫花から連絡が来たのかもしれない。
しかし、表示には名前が映っていなかった。
宛先不明のメールが1通届いていた。
「明日の正午に会おう。待っている」
それと地図が示されていた。
地図が示す場所は紫織に見せられた夢の場所だった。