39 深淵の呼び声
イタリアのとある教会で、1人の少年が祈っていた。一見すると少女にも見える美しい金髪の少年は懸命祈りを続ける。
「主よ、懺悔します。僕は、僕は、これから」
ステンドグラス越しの朝日を浴びて彼は天使のように輝く。
「真島兎乃を殺します。その為に力を貸してください。主よ」
女神のような整った顔で彼は祈りを続ける。
あれから俺は、廃人のように過ごしていた。目を動かすことが精一杯の生活、気力も無く、声も出せない、ただ無為に姫花の手を握って過ごすだけ、それも看護婦さんにやってもらって。
ただ地獄のような日々を病院で過ごしている。
見舞いに来る人にも何も出来ない。
「酷い状況ですね。フィクサー」
遠くのビルの屋上で安吾とフィクサーと呼ばれた男は望遠鏡で兎乃の様子を覗いていた。
「答えないんですね。良いですけど」
厳しい顔をしたフィクサーを無視して安吾は話を続ける。
「彼らには十分役に立って貰いましたよ。日本3位のギルド、皇国第0部隊を初戦で日ノ下が倒してくれたおかげで爆弾を爆発させずに済みましたからね」
「パライソだったか」
パライソ、皇国第0部隊というギルドに所属している色々な意味で有名なプレイヤーの名前だ。
「ええ、あの狂信者に暴れられると不利益しか被りませんから」
パライソは負け、もうどうする事も出来ない。安心して良いはずだ。
「それで、どうする気なんだ?」
「そろそろ、兎乃君を起こしてあげようかな、と。アトランティスに招待してあげませんとね」
フィクサーは屋上の出口に向かった。
安吾はフィクサーを見てため息を吐く。
「ダンテと言い、彼と言い、少しは協調性があれば良いんですけどね」
「……え?」
桜川刑事は目を丸くし、病室のドアを閉めた。
「何でお前がここにいる?」
「お見舞いです。兎乃君の」
何食わぬ顔で桜川刑事の質問に答え、花束を見せる。
「小椋安吾、何故お前が知っている?」
「何故? 友人だからですよ。当然じゃないですか」
「ふざけたことを!」
口の前に人差し指を立てる。大声を上げていた桜川刑事は止まった。
「病院ですから」
「とにかく帰れ、お前とは合わせられない」
番犬のように桜川刑事は病室のドアの前を守っている。
「私なら彼を起こして差し上げられるのに」
桜川刑事の目の色が変わった。
「世界大会もありますし、幼なじみさんのこともありますし、彼、寝ているままで良いんですか? 廃人のまま一生を終わらせるつもりですか?」
「何でお前がそれを知っている!」
桜川刑事に襟を掴まれる。
「私は答える気はありませんよ。でも、彼を起こしてあげられるのは、もう他には私くらいだと思いますけどね」
「てめえ!」
大きな音を立てて病室のドアが開いた。
「刑事さん! 今は、今だけは、あんなに酷いことをした人なんですよね? でも、今だけはそれにだって縋りたいんです。兎乃君が起きる可能性があるなら」
凛は涙を流しながら桜川刑事を止める。
「では、私は兎乃君と2人で話がしたいので」
そう言って安吾は病室に入って行った。
「良いのか?」
「はい、可能性にかけるしか無いんです」
凛は目を瞑って祈る。
「はぁ……」
納得いかない桜川刑事は自販機の方に歩いて行った。
「お久しぶりですね。こっちで会うのは初めてでしたか。私です。シューベルトです。こっちでは小椋安吾と言います」
突然入ってきたワインレッドのスーツの男の言葉、シューベルトという言葉に指が反応した。
「見るも無残ですね。今日は君を、起こしに来てあげました」
腹が立つ。誰のせいでこうなったのか、こいつは分かっているのだろうか。
「天道姫花を助けたくはありませんか?」
助けたい。こいつの思惑通りに動くのは尺だが体に熱が篭り、動き出そうとしている。
「何故、彼女が起きないか、それには理由があります」
「……理由……だと?」
擦れる声で言葉を出す。獣のように唸るように話す。
「やっと話せるようになりましたか。ええ、理由があります」
勿体ぶった話し方に腹が立つ。
「彼女の意識はまだリスタートワールドオンラインの中にあります」
腕が動くようになる。
「何で……」
「バルキリーの素体として彼女が使われたからです。ゲームと繋がっていないので、帰るに帰れないということです」
「それなら繋げば戻るのか?」
安吾は大きく息をする。こっちは早く聞きたいのに。
「いいえ、残念ながら」
「どういうことだ?」
「今彼女は、アトランティスというエリアに居ます」
アトランティス、聞いたことがない。
「アトランティスはまだ開発中の新エリアです。ですが、今回の騒動でメタトロン・システムは停止し、有馬社長も対応に追われそれどころではなくなり、開発は延期に」
廃人になっていた間の事はよく分からない。
「意味が分からない。何でそんな所に」
一番の問題はそこなのだ。ヒメキチがそこに居る理由がない。
「ダンテという男、彼がヒメキチのデータを奪ってそこに隠したということらしいのです」
「お前の仲間だろ」
「微妙に違いますね。私はフィクサーと契約しているだけで仲間とは言い難い」
ここまで淡々と安吾は話し続けている。
「本当の目的は?」
「アトランティスにはこのゲームのコアに繋がる場所があります。ただ、守っているモンスターは今までとは文字通り桁違い」
少し間を置いて安吾は本当の事を話す。
「それで俺を使いたいって事か」
「ボスまでは倒せますが、隅々まで探索となると話は変わります」
安吾を睨む。サングラスに隠され、瞳は見えない。
「私は、フィクサーとの契約が果たされればその他はどうでも良いと思っていましたが」
いきなり語り始めた。
「君の事を調べてからは少し気が変わりましま。私と同類の君の力になりたい」
「同類だと?」
怒りが抑えられない。
「ええ、君は勘違いしている。私は君にメールを送ってもいないし、何が起きたのかは後で知ったのですから」
後から知ったからといって許される事ではないが、だからといって、こいつに怒りをぶつけるのも違うと感じる。
「さあ、どうしますか? 」
「良いだろう。だが、アトランティスからは俺の好きにさせて貰う」
「構いませんよ。一つ忠告しておきます。ダンテが君を殺そうとしています。こんな事で死なないでくださいね」
着替えて準備をする。
「それと、彼女をゲームに繋いでおかないと、彼女、起きませんから」
凛さんにメールで頼んだ。これで準備は出来た。
「では、1時間後に君のギルドハウスで良いですか?」
うなずく。
「では、また」
安吾は出て行った。
「おい! 大丈夫だったか?」
桜川刑事が入れ替わりで入ってきた。
「行くぞ」
「何処に?」
「バー・ルークス」
「どういう事だ!」
桜川刑事が壁を叩く。
「姫花はまだゲームの中に居るってさ」
「また罠かもしれないだろ! お前は少し冷静になれ!」
「俺は冷静だ」
突き放すように言いきる。
「馬鹿か、お前ここ数日、飯は食ってねえ、点滴生活だったんだぞ? そんな体で何が出来る?」
怒っている。正義感とか優しさが詰まった怒りだ。
「舐めるな。俺の命は姫花のものだ。何があっても死ぬつもりは無い」
桜川刑事を睨みつける。
「……はぁ、お前には何を言っても無駄か」
ため息を吐き、頭を掻く。
「待ってろ。加瀬に車を表にまわさせる」