27 刻苦の迷い道
漠然とした不安の中、日々が過ぎていく。部屋の窓から姫花の家が見える。手入れのされていない庭は雑草で荒れ果てている。
思い出したく無くても過去は消えない。
マジカルステッキ、その名前を知っている。人の全てを破壊する最悪の薬物を。
時刻は午後7時半、準決勝は9時から始まる。
シューベルトの脅し、何が起こるか分からない。2人を説得して俺1人で戦うことにした。
大きく深呼吸をしてログインする。
ギルドハウスの前にシューベルトが立っている。
「貴様1人か」
相変わらずノイズ混じりの不快な機械音声を垂れ流している。ペストマスクからは表情が読み取れない。
「何のつもりだ?」
「忠告は耳に届かなかったようだな」
こちらの言葉を無視して話し続けている。
「残念だ」
予想外の言葉が出てきた。
「残念だと?」
「そうだ。貴様はこれから全てを失う。もう戦うことも無いだろう。それがとても残念だ」
声から少しだけ悲哀を感じる。
「どう言う意味だ?」
「意味だと? 意味を聞いて何になる? 貴様に何が出来る?」
シューベルトの威圧感に気圧される。
「いや、そうだな。貴様が乗り越えられた暁には面白いことを教えてやろう」
シューベルトが背を向ける。巨体と禍禍しい大剣。
「楽しみにしている。君には」
機械音声から声が変わった。渋い男の声だ。聞き覚えがある。こいつは!
シューベルトを追おうとした瞬間視界が黒く塗りつぶされた。
自分の姿さえ見えない。これはどういうことだ!?
頭が痛む。機械が壊れた、嫌な音がする。
「う……あぁ……ははは」
呻きながら笑う誰かの声。
「し……ししし、死ねぇ!」
「兎乃君!」
凛さんの声が聞こえ、何か重いものが壁にぶつかる鈍い音が聞こえた。
「兎乃君! 大丈夫ですか?」
凛さんの顔が見える。VRの道具を俺の体から外していく。パソコンが壊され煙を上げている。
「兎乃君、頭から血が……」
凛さんがハンカチを取り出し、俺の頭を押さえている。
「殴られたんですね。ごめんなさい」
凛さんが泣いている。
「何が……?」
体が重い上手く動かせない。
「襲われたんです。男が何人も入ってきて、あとスーツのよく分からない人達に姫ちゃんが拐われたんです!」
冷静にならなければいけない、そう言い聞かせ発狂しそうになるのを防ぐ。
凛さんに殴られたと思われる男を見る。目が逝っていて口から泡を吐いている。この症状……
「マジカルステッキ……」
机の上から音がする。スマホから音が鳴っている。
なんとか手を伸ばしスマホを見る。
差出人不明のメールだ。地図が添付されている。
場所は駅前のシューベルトが現れた路地の先だ。おまけに最後にシューベルト、とだけ書かれている。
「兎乃君、ダメです! 行ったら殺されます!」
凛さんを振り払い立ち上がる。
「ごめん、でも、行かないと……俺は!」
痛みに耐えながら玄関に行く。
血だらけの男が廊下に転がっていて、壁に小さな穴が空いている。
踏み潰された靴を履き家を出る。そして、走った。
すれ違う人が悲鳴を上げている。頭から流れる血が服を赤く染める。
痛い、目眩がする。本当なら病院に行くのが賢明だ。
「おい!」
車道から声が聞こえるが無視して走る。
「バカガキ止まれ!」
怒声とともに警察のサイレンが聞こえ、コケた。
「手間かけさせんじゃねえ!」
車から飛び出してきた桜川刑事に無理矢理担がれ車に投げ込まれる。
「お前どうした? 死ぬ気か?」
「うるさい! さっさと降ろせ!」
頭を押さえながら吠える。
「何処に行く気だ?」
「は?」
「言え! 連れて行ってやるから言え!」
気迫にびっくりして固まる。
そして、スマホを見せる。
「加瀬、とばせ」
桜川刑事が乗り込んだのを確認し加瀬刑事がサイレンを鳴らしながら急発進させる。
「後で絶対に話聞かせてもらうからな」
路地の前の通りに着いた。
「車で待ってろ。何かあったら応援頼む」
2人が話している間に車から飛び降り、路地に走る。
「バカが! 勝手に行くな!」
ひたすら走る。暗い路地に誰かが立っている。
ペストマスク、黒いコート、シューベルトだ。
「シューベルト!」
叫びながら目の前で顔面からコケた。
起き上がろうとすると背中を鋭い痛みが襲う。そして、カランカランと音が聞こえ、曲がった鉄パイプが転がってきた。あれで殴られたのか。
「ころ、ころす、ころす、ころす、ころす」
目が逝った男が後ろに立っていた。涎を垂らしながら男が鉄パイプを拾う。
シューベルトに手を伸ばす。
手がコートを貫通し空を切った。
「馬鹿野郎!」
追いかけて来た桜川刑事が鉄パイプを持った男にタックルをする。男は鉄パイプを落とし吹っ飛ばされた。
声がした時には目の前からシューベルトが跡形も無く消えていた。
「大丈夫か?」
桜川刑事に肩を借りて起き上がろうとすると、目の前から眩い光が照射され、何も見えない。
「ちっ、何だ? おい! 何の真似だ!」
桜川刑事の声をかき消すように、エンジン音と急発進するタイヤの擦れる音が聞こえて来た。
「大型トラックだと!?」
桜川刑事が俺を引っ張る。横道に逃げるつもりだ。
だが、間に合わなかった。右腕がトラックと直撃し壁に叩きつけられる。
トラックはそのまま薬物中毒の男を轢いて、路地に挟まった。トラックから火が出ている。
「あ、ああ」
呻き声を上げる。右腕が動かない。
「何が起きてんだ。いや、まず病院行くぞ」
首を横に振る。
「馬鹿か、本当に死ぬぞ!」
「まだ、死にはしない……それより、まだ9時になってないよな?」
桜川刑事が時計を確認しうなずく。
「連れて行って欲しい場所がある」
痛みに耐えながら必死に桜川刑事を見る。
「一つ約束しろ、絶対に死ぬな。ガキがこんな無茶苦茶な事で死んだらいけねえんだよ」
真剣な表情だ。
「うるさい、死ぬつもりなんて一切無い」
桜川刑事に担がれる。
「桜川刑事! 何があったんですか!?」
サイレンが飛び交っている。車の前で加瀬刑事が手を振っている。
「事情は後だ。早く飛ばせ」
桜川刑事の一声で加瀬刑事は運転席に座る。
「何処に行くんですか?」
「バー・ルークス……」
声を絞り出す。桜川刑事がうなずき、車が発進した。
「あの仮面の奴は……たぶん、ホログラムだ」
今までのことから推理する。
「ホログラム……それであの身体を映してたって事か?」
うなずく。桜川刑事が俺の額に手を当てる。
「熱っ!?」
驚きながら手を振っている。
「うるさい、あいつがあの場所に居たんだ、だが、桜川刑事が来た途端に消えた。たぶん、トラックの運転手だろう」
「何でそう思う?」
「触れられ無かった。手がコートを貫通したからな」
桜川刑事が考え込む。
「お前は、何者なんだ?」
「うるさい、何だって良いだろ」
「このクソガキ」
「着きました!」
車が止まり、桜川刑事が俺を担ぎ店に入る。
「いらっしゃ……え? 何です……兎乃君!」
客はまばらだ。
「式原さん、奥の部屋、借ります」
奥の部屋を指差し、桜川刑事に指図する。
「このガキ!」
大きなパソコンに複数のモニターが鎮座している。VRの道具も最高品質のものが揃っている。
「ここは……?」
「早く座らせて道具を俺に付けろ」
混乱している桜川刑事に指示する。
「はぁ……何でこんなガキに……」
桜川刑事はぶつぶつ文句を言いながらもやってくれる。
「桜川刑事!」
加瀬刑事も入ってきた。式原さんに頼んでかわりにIDとパスワードを打ち込んで貰う。
「ざいん……え? え!?」
「何だ、その、ざいんって?」
興奮気味の加瀬刑事に桜川刑事はポカンとしている。
「あのスタートワールドオンラインで伝説の最強の人ですよ!」
桜川刑事は説明されてもいまいちピンと来ないようだ。
「モニターで流せるんだろ? 式原さん」
「ええ、出来ます」
「ここまでやって貰った礼だ。あいつをぶっ潰すところ、特等席で見せてやるよ」
シューベルトを倒して姫花の場所を吐かせるしかもう手が無い。
ゲームに入ったら右腕が動くという保証は無い。利き腕が動かなくても倒すしか無い。
意を決してログインする。
「ようこそ、リスタートワールドオンラインへ」