デヴィおねとデモショタはありなのか
「パルちゃんのしっぽ、しましまのふさふさー」
「ふっふっふ。それはまあ? 毎日欠かさずブラッシングしてるでありますからね」
どやあと鼻息を吹くパルシオネの尻尾を、小さな手が撫でている。
その小さな手の持ち主は、ふわふわした赤茶色の髪をした、デーモンの男の子だ。
名前はフェブルウス。二十歳にも届かない、クレタレアの四番目の子である。
「いやあ、先輩に頼まれた時にはどうなるかと思ったでありましたが、フェブくんがデヴィルに物怖じしない子で助かったでありますよ」
「ものおじ?」
「えっと……怖がられなくて良かったなってことでありますよ」
「なんで? パルちゃんはぜんぜんこわくないよ?」
「ありがとうであります」
パルシオネは、デヴィルとしてはかなりデーモン受けのいい見た目をしているし、その自覚もある。
しかしそれでも、デヴィルというだけで忌避するデーモンがいないわけではない。
実際に子どもに怖がられたりしたら、パルシオネはショックでしばらく立ち直れないだろう。
「いやあ、小さな子がなついてくれるって、嬉しいであります。むふふふふ」
ショテラニーユという人物の研究をしているだけあって、パルシオネはデーモンデヴィルの区別なく、小さい子が好きだった。
無論、性的な意味では断じてない。
「ここもふさふさ?」
「ンヒャオッ!?」
そうして幼子の尊さにタヌキ顔をほこほこさせていたパルシオネを、不意打ちの感触が襲う。
「ぷりぷり?」
「ちょ、フェブくん!? そこは、お尻は、やめっ……」
フェブルウスの好奇心が、その小さな手をパルシオネの尻に沈ませたのだ。
「パルちゃん、ここはふさふさしてないの?」
「わ、わたしは、そこまで毛は生えてないであります。尻尾があるだけで、デーモンとほとんどおんなじでありますよ。だ、だから……手を、離して……」
「お母さまとおんなじ?」
「そ、そうでありますよ。だ、だからフェブくん、もう勘弁してほしいでありますよ。ね?」
無遠慮に、しかし無邪気に尻を揉む手をパルシオネに払うことはできず、好奇心を満たすことで穏便に止めさせようとする。
「はぁい」
ひとしきり感触を確かめて満足したのか、フェブルウスは素直に手を離す。
それにパルシオネは揉まれた尻を抑えながら、ホッと息をつく。
「フェブくん、むやみやたらにこういう風に触るのは良くないでありますよ?」
「どうして? お父さまとお母さまはよくやってるよ?」
屈んで、小さなフェブルウスに視線を合わせて説くパルシオネであったが、こてりと首を傾けての答えには、そのまま崩れてしまいそうになった。
「あー……うん。夫婦、恋人、そういうのなら、まあいいんでありますよ。そうじゃない相手には良くないってことであります」
幼子への配慮のない先輩の夫婦生活については如何なものかとは思う。
だがだからと言って、パルシオネが余所から口を挟むことではない。なのでなるべく言葉を選んで、フェブルウスに説明してみる。
「うん。分かった」
「フェブくんは良い子でありますね」
素直にうなづくフェブルウスの頭を、パルシオネは肉球だけが触れるようにして撫でる。
「じゃあ、パルちゃんのこっちはふさふさ?」
「いや、胸にも毛はないでありますよ。こっちもフェブくんのお母様とおんなじであります。わたしの方が小さいでありますが」
「へえ、そうなんだ」
大ぶりの胸を指さしての質問に、パルシオネは苦笑混じりに答える。
「でもデヴィルは色々いるでありますからね。全身フサフサの方もいますし、わたしとは逆に顔や手足がデーモンと同じな方だっているであります。わたしは胴体がそうだっていうだけなのでありますよ」
「ふーん」
分かったのか分かってないのか。どうにも曖昧な風ではあるが、フェブルウスはうなづく。
「さて、これでデヴィルの体をお勉強できたでありますね。次は何をお勉強しましょうか?」
それを受けてパルシオネは、気を取り直してとばかりに次へと話を持っていく。
そもそもクレタレアに頼まれたのは、フェブルウスを見るついでに、できれば術式なりなんなりを学ばせてやって欲しいということであった。
文献調査の気分転換にもなるからと、軽く引き受けたパルシオネであったが、まさか尻を揉まれるとは思っていなかった。
しかしそれも、ある意味ではデヴィルの体についての勉強にはなったと、パルシオネは良しとした。
「おべんきょうって、本をよむの?」
「ん? わたしはそれでもいいでありますが、別に座って本を読むに限らんでありますよ?」
「ホントに?」
「ホントのホントでありますよ。わたしも外に遺跡を調べに出ることもあるでありますし、本を読むだけが勉強ではないでありますよ」
勉強と聞いてあからさまに嫌な顔をするフェブルウスに、パルシオネは苦笑を浮かべて説明する。
するとフェブルウスは、またいまいちピンと来ていない様子ながら、首を縦に振る。
「フェブくんが知りたいことでいいんでありますよ? わたしに教えられることなら、でありますけれども」
パルシオネはフェブルウスに笑いかけながら、あくまでも自分の好奇心、知りたいという欲求に従うようにうながす。
およそ二百三十年。魔族としてはまだまだ短いものであるが、これだけの年月の中でパルシオネはある答えに至った。
それは、欲しがってもいない知識を与えようとしても、身につくものではない、ということ。
特に魔族というものは欲求に正直に生きるもの。
欲しくなければ見向きもしない。だが逆に欲しければ自分から、奪ってでも手に入れようとする。
それはパルシオネもまた例外ではない。
読みたいから本を読み、知りたいから過去を、歴史を紐解く。知恵を備えた姿を美しいと信じている。
魔族としては非常に珍しいあり様ではある。だが結局は抑えきれない知識欲に素直に従っているに過ぎないのである。
そんな魔族の、ましてや成人からほど遠い幼子相手であれば、当人のやる気、欲望を尊重した方がよい。
正式に教師として長く指導するのであれば、適性を見て興味を誘導するべきなのだろう。
だが今回はあいにく一日預かるついでのもの。
残念だがそこまで手の込んだ指導は出来そうにない。
「ん、じゃあね、魔術おしえて?」
「魔術でありますね。いいでありますよ、じゃあお外に行くでありますよ」
フェブルウスの求めにうなづいて、パルシオネは男の子を連れて表にでる。
「さて魔術を、ということでありますが、フェブくんくらいの年頃なら基礎的なところからでありますかね?」
書館近くの開けた土地にやってきたパルシオネは、手ごろな岩に持ってきた大きな革鞄を乗せる。
「えぇー……もっとカッコいいの教えてほしいなー。ズババーン! っていうの」
「ズババーン、でありますか。それじゃあフェブくんがいま、どれくらいできるか見せてもらってからでありま……」
「ちょぉっと待ったぁああッ!!」
フェブルウス自身の希望を聞いて、いざ。というところで授業の出鼻をくじく声が響く。
「なに?」
「この声は……」
遮る声におびえて腰に縋りつくフェブルウス。それをかばうようにして、パルシオネは聞き覚えのある声の方向へ目を向ける。
するとやはりというべきか、土煙とそれを巻き上げる鹿角イノシシのデヴィルの姿があった。
「パルシオネ男爵ゥウッ!!」
「たしか、バンダース……でありましたか?」
「いかにも! 覚えていただけたとは光栄なことだッ!」
「忘れたくたって、ひどく忘れにくいのでありますよ。その暑っ苦しいのは……」
立ち止まり、毛深く太い腕を振り回すバンダースへ、パルシオネはため息交じりに半目をやる。
「で、なんの用でありますか、また奪爵でありますか?」
「いいやッ! それもあるが、それだけではないッ!」
「……あれだけやられておいて、本当にすぐ再挑戦でありますか……」
おそらくケガの完治からすぐの。ろくに鍛え直してもいないだろうにも関わらずの再挑戦に、パルシオネはドン引きする。
だがバンダースはそれが通じていないのか、まるで意に介した様子もなく、力強さを誇示している。
それにパルシオネは深く、深ぁくため息をつく。
「それで、奪爵ついでに何なのであります?」
「む……それはだな……ついでと言うか、むしろメインであって……その、むぅう」
しかしパルシオネがさっさと済ませようと話を進めようとすれば、バンダースは先ほどまでの勢いを無くして言葉をつまらせる。
「なんなのでありますか? いきなりモジモジと……そんなに言いにくいなら始めるでありますよ?」
「あいや待った! ちゃんと言う、言うからもうちょっと!」
焦れるパルシオネに待ったをかけて、バンダースは胸に拳を当てて深呼吸。
そうして胸を据わらせて顔を上げる。
「パルシオネ男爵! 奪爵が成ったあかつきには、俺の妻になってもらう!」
「はあ!?」
バンダースの放った豪速球の求婚。
パルシオネはそれを受け損ねてすっとんきょうな声を上げる。
その後ろではフェブルウスも目を大きく見開いている。
「むう、聞こえなかったか? 俺が勝てば爵位ごと、その……お、俺の、ものに……」
「いや、そのムダにでかい声を聞き逃すとかないでありますから! なんでわたしでありますか!?」
「なぜかだと!? あなたに敗れたあの時、俺の体には雷に撃たれたかのような衝撃に襲われたのだ! あの衝撃こそ、恋のときめきに違いないッ!!」
「いや、それ絶対マジモンの電撃でありますよね? わたしの術式の?」
「さらに、初対面の挑戦者でしかない俺に、止めを刺さずにおいたあの優しさ! あなたの強さと心に、ほ、惚れたのだ!」
「いや、別にむやみに殺生したいわけじゃないでありますが、アレはどっちかというと、力の宣伝のつもりだったのでありますが?」
自分の行動がことごとく裏目に出てのこの状況に、パルシオネは頭を抱えたくなった。
求婚されたこと、それはいい。パルシオネとしても、自分のような変わり者相手にありがたいことだとは思う。
歴史研究に生涯をかけるパルシオネであるが、それだけが恋人などと言うつもりはない。
ただし、それは相手がバンダースのような輩でなければ、の話であるが。
正直、史跡の貴重性を理解しようともせず、平気で更地に変えかねないような相手とは価値観がかみ合う気がしないからだ。
生を共にする間柄として、価値観の共有は重要なことだとパルシオネは考える。
自由恋愛主義者が独占欲の強いものに手を出したがために、どちらかが死ぬ。
このような破局の例は魔族の歴史上枚挙にいとまがない。
変わり者を自覚するパルシオネとしては、自分の感性に共感するところまでは求めていない。
だがせめて理解しようと、配慮しようとしてくれる相手がよいとは思っている。
少なくとも、自分の蒐集した資料をゴミ扱いして始末したりしないような相手であってほしいと。
「あなたがどう思っての行いかは知らん! とにかく、俺はあなたに惚れた! あなたが欲しいのだ! 何度も言わせないでくれ恥ずかしいッ!!」
パルシオネの考えなどお構いなしに、ただ思いの丈をぶつけてくるバンダース。
そんな振る舞いも、パルシオネとしては大幅にマイナスであった。
「ダメだよ!」
パルシオネはお断りの返事代わりに、またぶっ飛ばしてやろうと勝負に入ろうとする。が、それに先回りして高い声が響く。
「フェブくん?」
視線を下げて見れば、いつの間にか前に出てきたのか、フェブルウスの赤茶色の髪が目に入る。
「パルちゃんがイノシシのおじさんのになるなんて、ぜったいダメだよ! そんなのヤダ!」
「ふん……デーモンの小娘だか小僧だかが。これは大人同士の話だ。俺が爵位を求めて挑戦し、勝てばその位ごと妻としてその身を貰い受ける。これは正しい掟だ。悔しければ強い大人になってみることだな」
「う、ううぅ……」
フェブルウスは悔しさから涙目になっているが、バンダースの言うことは正論だ。
魔族として我を通すためには、どうしても力が必要なのだ。
しかしまだまだ幼く弱いのに、自分の思いを通そうとするフェブルウスがいとおしくて、パルシオネはその小さな頭に肉球を乗せる。
「ありがとうであります、フェブくん」
「パルちゃん……」
「わたしなら大丈夫でありますよ。でも危ないから少し離れて見ていてほしいであります」
「……うん。気をつけてね?」
「お手本見せちゃうでありますから、目を離しちゃダメでありますよ?」
フェブルウスはその言葉に素直にうなづき、岩陰に入ってのぞき見を始める。
パルシオネはそんな男の子に軽く手を振って、改めて挑戦者へ向き直る。
「さて、待たせたでありますね」
「……むぅう。デーモンの子供などが愛称を許されているとは……ッ!!」
「小さな子を相手に何を言ってるのでありますか……」
嫉妬から唸りつつ拳を固く握るバンダースの有様は、パルシオネからまた大きく減点を食らう。
「ともあれ、いざ勝負! 受けてみよ! この俺の恋心を……ッ!!」
そんなことは露知らず、バンダースが先手必勝とばかりに術式を放つ。
三層三十五一陣から放たれた炎は、渦を巻いてパルシオネを飲み込もうと迫る。
「鈍いでありますよっと」
だがパルシオネはその場でぽんっと片足踏み。
直後、パルシオネの足元が爆発する。
「んなぁッ!?」
津波となった土砂はバンダースの炎を迎え撃ち、あっさりとその熱を飲み込んで押し返す。
高熱を帯びた土石流は、連撃をと踏み込んでいたバンダースをあっさりと飲み込んで押し流す。
「……あれま? やりすぎちゃったでありますかね?」
あっけなくついてしまった決着に、パルシオネは尻尾をふりふり耳をかく。
「パルちゃーん!」
「いやあ、なるべくフェブくんのリクエストに応えようとは思ったのでありますがね。やりすぎてしまったようでありますよ」
決着を見て駆け寄ってくるフェブルウスに、パルシオネはてへへ、と耳をかきながら迎える。
「ううん! すっごいよパルちゃん! どうやったらあんな風になれるの!?」
「なんのなんの。ただ欲しいと思ったままに古の知恵と技を学んできた結果でありますよ。下位程度でもうまく戦うために魔力の使い道を覚えればこんなもんであります」
フェブルウスからのきらきらとした憧れの目をうけて、パルシオネはどやあっと鼻息を吹く。
「じゃあちゃんと鍛えて、おべんきょうもしたら、パルちゃんよりも強くなれるかな!?」
「で、ありますね。フェブくんならきっとわたしよりも強くなれるでありますよ」
「じゃあもしそうなれたら、パルちゃんをもらえるかな!?」
「ブフゥエェッ!?」
唐突なフェブルウスの言葉に、パルシオネはたまらず鼻水を吹き出しそうになる。
恐る恐るとフェブルウスを見れば、変わりなく、曇りない輝いた目を向ける男の子の顔がある。
「……この状況……わたし、先輩に殺されたりしないでありますかね?」
親御さんのお怒りを恐れるパルシオネであるが、それに答えてくれるものは誰もいなかった。