なんだか小さくて可愛らしいお客さんが来た
デヴィルの女王、大公位を奪われる!
この報せは瞬く間に世界全土を駆け巡った。
が、それ以上の驚きをもって魔族たちの間に走ったのは、大公位を失ったデヴィル女王が、生きて同盟者である無情大公の元に身を寄せているという話であった。
デヴィル女王の奪爵。これそのものは大きなニュースとはなっても、とんでもなく驚かれるものでもない。
デヴィル女王は先の大祭で催された大公位争奪戦で全敗し、現在の七名中最弱であることが証明されてしまっていた。
そのために、野心的な魔族が栄達のために狙うだろうということは、予測されていたことだからだ。
だが、まさかデーモンである赤金薔薇紋章の大公と同盟を組むとは、誰も予想出来ていなかった。
デーモンとデヴィル、両女王の確執は有名である。だがそうでなくとも、デーモン嫌いを公言しているデヴィル女王である。間違ってもデーモン族を相手に同盟を組むなどありえない。それが大方の認識である。
「いやー……これはまさかまさかでありますよ」
それはパルシオネの認識も全く同じであった。
デヴィルの女王が奪爵の危機にあることを予測し、僭越かもしれないとは思いつつも、野心的な者についての警告の手紙を匿名で出している。
そんなパルシオネであっても、このデヴィル女王奪爵の展開については完全に予想外であった。
「ねーねー。デヴィルの女王さまって、どーしてむじょーさまとどうめい? したのかな?」
ここまでの状況を分かる限りに記録にまとめていたパルシオネに、フェブルウスが素直な疑問をぶつける。
「ふむふむ……どうして、と言われると難しいでありますね」
愛弟子の素朴な疑問に対して、パルシオネはタヌキの頭を傾ける。
「しかし、よい質問でありますね。こういう素直な切り口での疑問は面白いであります」
しかしすぐに顔を柔らかい笑みに緩めてうなづく。
「さて、どうして赤金薔薇紋章の大公閣下と同盟したのか、ということでありますね」
さて考えてみよう。と、パルシオネが肉球を叩き合わせるのに、フェブルウスも素直にうなづき返す。
「もうどうめいしてる大公さまは、いるんだよね?」
「はい、それはもちろん。デヴィルの大公閣下方全員と、すでに同盟されているのでありますよ」
デヴィルの女王は、デヴィル族大公の団結を。ということで、わざわざ新しい同盟を結ぶまでもないほどに、多くの同盟相手を持っている。
「ということは……デヴィルの、すでに結んでいる同盟相手には頼れない理由があった、ということでありますね」
「ラマの大公さまがダメなのはわかるけど、他の大公さまはどうして……ってことだよね?」
「で、あります。どちらも同盟者としての義務を放棄されることはないだろうと思われるのでありますが……」
「同盟のぎむ? って?」
「代表的なところで言うと、同盟相手が亡くなった場合に、同居している家族を保護すること。でありますね。赤金薔薇紋章の閣下が、同盟していたデヴィル大公の奥方と二十五の娘たちを保護した例が、割と新しい事例でありますね」
「じゃあ、またふえたんだね」
「そうでありますね。なんだかんだと大公様方から頼りにされることが多いようであります。ただ今回は、負けた大公様も御存命で……」
そうしてフェブルウスと二人で状況をまとめていたパルシオネであったが、そこでふと閃きを得てあごを上げる。
「そうでありますよ! 大公の位は失っても、ご本人は生きて、御家族と共に保護されているのであります!」
跳ね上がったテンションのままに今回の特例を声に出す。
「なにかわかったの!?」
しかしそんな様子もフェブルウスはもう慣れっこで、驚くどころかとっかかりを掴んだことを喜びさえする。
「はい! それはもう! デヴィルの女王様はですね、ご自分も逃れる先として、そういう狙いでもっての新しい同盟だったのでありますよ!」
それを受けてパルシオネは、確信から力強く語り出す。
先のコンテストでデヴィル第一位、ひいては魔族第一の美女の座から降りることになってしまったデヴィル女王であったが、デヴィル族にとってひきつけられる美貌の持ち主であることには間違いない。
金獅子の大公も、カタツムリ紋の大公も、彼女の美貌に引かれて言い寄ったことは一度や二度ではない。
そしてデヴィル女王はその誘いを、その度に断り続けているのである。
デヴィル女王は魔族としては身持ちが固く、意に添わぬ相手と関係を結ぶことを忌避している。
もっとも、惹かれた相手には角が刺さりそうな勢いで向かっていくようである。なのでとにかく手が広いか、的を絞っているかの違いでしかない、という見方もある。
「……そこのところはともかくとして、ラマの大公閣下以外のお二人に保護を頼めば、その見返りに望まぬ関係を強いられることは必至! あの方はそれを予期して、嫌ったから赤金薔薇の閣下を頼ったのでありますよ!」
勢い込んで推理を語ったパルシオネは、籠りすぎた熱を逃がすように鼻息を吹く。
「ねーねー、パルちゃん。でもそれだと生きのこるってわかってないと、やらないよね?」
そんなパルシオネに対して、フェブルウスは新しい疑問を向ける。
パルシオネはそれに、もちろんだとうなづいて再び口を開く。
「その辺りは、実は奪爵に成功した挑戦者様自身に原因があるのでありますよ」
デヴィル女王から大公位を奪った女デヴィルは、その身柄をも奪おうと狙った同性愛者なのである。
デヴィル女王に懸想していたこと。そして彼女の嫉妬深さと残虐残忍なやり口は有名で、パルシオネも噂話を難度も耳にしたものである。
もっとも、同性愛者だなんだのと言う話を幼いフェブルウスにしても良いのかは判断がつかなかったので、そこのところはぼかしての語りであるが。
「じゃあ、つかまえておくつもりだって分かってたからってこと?」
「そう言うことになるのであります。いや、これは警告のお手紙は、完全に余計なお世話であったようでありますね」
パルシオネは苦笑混じりに失敗失敗と頭を振る。
「それじゃあ、むじょーさまのトコに逃げられたのまではいいとして、デヴィルの女王さまはこれからどうするのかな?」
「ふむ。たしか大公位に限らず、身柄をも望んでの奪爵と、それに抵抗した話の顛末についての資料はあったはずでありますね」
デヴィル女王が今後、どのような身の振り方をするのがよいのか。
過去の事例からそれを調べようとパルシオネが動き出す。
しかし同時に、公文書館の扉が開かれる。
扉が重たいのか遠慮をしてか、隙間と呼べるような小開きの間を潜ってきたのは、子どもと見まがうほどに小柄な、女デーモンであった。
他者の目を避けるように深々とフードを被った彼女は、小さな背をさらに丸めて、柱や壁に寄りかかり、身を隠すようにしながら歩いてくる。
しかし館のなかを見回して、綺麗な黄色系の髪といっしょにフードから覗く顔には、怯えに勝る好奇心が滲み出している。
背丈やちらりと見える幼げな顔立ちも相まって、まるではじめて役目を言いつけられた子どものようである。
そんな彼女はしかし、受付を前にして立ち止まり、まごまごしている。
パルシオネはその様子を受けて、フェブルウスに仕事だと断ってカウンターを出る。
「ようこそ。魔王城公文書館へ」
そして脅かさないように距離を保ち、声を張らずに来館を歓迎する。
それでも少女めいたデーモンは短い悲鳴を上げて体を跳ねさせる。
この過敏なまでの反応に、パルシオネは内心で苦笑しつつも、さらに声をかけることはしない。
立て続けに用件を尋ねて急がせるのではなく、ただ笑顔を向けて、相手の気持ちが落ち着くのを待つ。
見るからに引っ込み思案で会話慣れしていない人物に、話をぐいぐいと進めていくのは得策ではない。
促すのは落ち着いて話せるようになって、それでも踏ん切りがつかない様子を確かめてからでも遅くはない。
そうしてパルシオネがにこやかに待ち初めてしばし。
少女のように幼げなデーモンは初対面の相手に対する緊張を残しながらも、おずおずと口を開く。
「……あ、あの……私、大公……城付きの司書、で……」
「ああ、はい。大公閣下のご命令で、必要になった資料を集めにいらしたのでありますね?」
「そ、そう……!」
ぎこちない舌で告げられた内容から言いたいことを汲み取るパルシオネに、小柄童顔のデーモン女は何度も首を縦に振る。
それだけで被ったままのフードを吹き飛ばしそうな勢いに、パルシオネは思わず笑みを深める。
「それで、お求めのものはどのような資料でありますか?」
「あ、う……その、大公位、争奪について、の……記録で……その人自身も、目的とした例……について?」
「おお、なんとも奇遇な話であります。ちょうどわたしも気になっていて、見直そうと思っていた資料なのでありますよ。ご案内するであります」
「あ、ありがとう……助かる、です!」
「はい。お任せくださいでありますよ」
パルシオネは仕事を請け負うと、奥に控えていたクレタレアに鼻先を向ける。
「というわけなので先輩、こちらの司書殿をご案内するでありますので」
「ええ、分かったわ。じゃあフェブ、こちらへおいでなさい」
「はーい。がんばってねパルちゃん」
「もちろんでありますよ」
パルシオネは母親の傍に向かうフェブルウスを手と尻尾を振って見送ると、改めてお客様に向き直る。
「お待たせして申し訳ないであります。では参りましょう」
「は、はい……」
そうして目的の資料の在処に向けて歩き出して、パルシオネはふとした思い付きを持って振り返る。
「これまでお見掛けしたことはなかったでありますが、公文書館は初めてでありますか?」
「そ、そう……です! はじめて、で……色々、興味深い……です」
歩きながらのパルシオネの質問に、小柄な司書は館の中を見回していたのを慌てて止めてうなづく。
「そうでありますか。ではよろしかったら色々と館内も案内しようかと思うのでありますが、いかがでありますか?」
「ぜ、ぜひ! おねがい、します!」
公文書館全体を案内しようとの申し出に、小さな女司書は是が非でもと食いつく。
「はい。お任せあれ、でありますよ」
こうしてパルシオネは、小柄な女司書の資料探しを手伝った上に、その好奇心が満たされるまで丁寧に館内を案内したのであった。