金獅子閣下の咆哮にデーモン女子が戦慄する!
対戦場で繰り広げられている光景に、パルシオネは絶句する。
戦いの場にはデーモンとデヴィル、双方の女王と号される両者の姿がある。
ただしその一方、デヴィルの女王は地に伏している。
それも本来あるはずの、竜の蹄を持つ爛れた牛の脚の片方を失って。
デーモン女王の猛攻から逃れたその先、そこに仕掛けられていた術式によって消滅させられたのである。
断面は焼かれているためにか出血は少ない。だが二度と癒えることは無いだろう。
魔族の強靭な生命力と医療魔術の力で、死なない限りは大丈夫と考える者もいないではない。
だが医療魔術も万能ではない。
切り落とされた手足を繋ぐことは出来ても、生やし直すことはほとんど不可能なのだ。
もはや勝負あり。
誰の目にも明らかなほどの決着である。
だが白き美女は即席魔剣を構え、さらにもう一方の脚を奪おうと踏み込む!
しかし敗者に鞭打とうとするこの行いは、審判である赤毛の美男が制止する。
もしや死者がでるか。そんなハラハラとした思いで見ていたパルシオネは安堵の息を吐く。
「余計な手出しを! 私はまだっ、まだ負けてはいないっ!」
しかしそれもつかの間、なぶられるのを救われたはずのデヴィル女王も異を唱え、その身を魔術で浮き上がらせる。
それは意地か、執念か。
美でも、力でも苦汁を舐めさせられ、この上長らく宿敵として対峙し続けた相手に、一矢も報いれずには終われない。
そんな鬼気迫る情念を、パルシオネは離れた観戦席にありながら感じ取り、我知らずに敬礼の姿勢を取っていた。
デヴィル女王が燃える執念を込めて放った矢の雨は、しかしデーモン女王の打ち上げた火の玉に焼き尽くされる。
「無駄じゃ。主の力では私に及ばぬ」
白き美女が宣言するまでもなく、もはや赤子にも分かるほどに力の差は示された。
それは戦っているデヴィル女王こそが、誰よりも感じ取っていることだろう。
だがそれでも、デヴィルの女王は引き下がらない。
対してデーモンの白き女王は、完全なる幕引きのための魔術を展開する。
だが、その術式の形成は半ばで止まる。
「そこまでだ。双方退くがよい」
「魔王陛下!?」
魔王直々に術式を止めての仲裁。
これにはパルシオネのみならず、観戦席のそこかしこからどよめきの声が上がる。
こうして魔王直々の制止を受けて、デーモン、デヴィル双方の女王は不満の色を滲ませながらも、その矛を納める。
強引ながら、死者無く納めてみせた王へ、そして片足を失いながらも立ち向かってみせたデヴィルの女王へ。
パルシオネは立ち上がり、改めて敬礼を送る。
そんな重々しい女王同士の試合があった、その日の午後。
続くのは注目のカードである一六戦である。
かたや現七大大公の筆頭として、これまで疑いようもない力を示してきた金獅子の大公。
かたや大多数の軍団長もろともに大公を討ち果たし、その偉業を裏打ちするが如く勝ちを重ねてきた赤金薔薇の君。
双方共にこれまで全勝。ほぼ間違いなくどちらも三位以内、魔王陛下を頂点とした、全魔族の四強に名を連ねるだろう方々である。
そんな強者同士の戦いとあれば、観る側にも熱が入ろうというものだ。
「お前、この勝負はどちらが勝つと見る?」
「難しいが、やはり手堅く一位の……」
「いやいや、大祭主様の若さと甘い顔立ちに騙されるなよ? あの方の偉業を知らんわけじゃあるまい?」
「それなら私は断然、赤金薔薇の閣下の華々しい勝利を推すわ!」
「ハッ! このデーモン女、なんにも分かってないわね! 獅子の雄々しき勝利の咆哮が轟くに決まってるじゃない!」
「なんですってッ!?」
「なによッ!?」
自然、勝負の行方を占うのも盛り上がり、午前の試合から続いていた重々しい空気を塗り替えていく。
「パルちゃんはどっちが勝つとおもう?」
そんな辺りの空気につられて、フェブルウスがパルシオネの見立てを尋ねる。
「うーん。難しいでありますね……わたしの希望としては、親しみを感じている大祭主様に……」
「受けるがよい、我が渾身の一撃をっ!」
しかしパルシオネの言葉は、観戦席を震わすほどの大音声に吹き飛ばされる。
慌てて対戦に注目したパルシオネが見たのは、トゲがびっしり生えた大金棒を振るった金獅子と、それを大きく飛びすさりかわした大祭主の姿だ。
「これはそなたに貫禄を付与する為の、いわば我が純然たる好意の表れなのだ! 以前そう申したであろう。大人しく傷をきざまれるがよい!」
はっきりと顔面狙いな追撃に添えたこの咆哮に、観戦席から悲鳴が上がる。
「やめて! おやめくださいッ!」
「ひぃい!? あのお顔に、ご尊顔に傷を? なにをなさろうというのですッ!?」
「やめてください芸術の損失ですからぁあ!?」
非難めいた悲鳴が、それはもうごうごうと。
しかしそんな悲鳴を浴びせられながらも、金獅子は断固として顔面狙いに金棒を、蹴りを、尾を繰り出す!
「大公ともあろう者が、そのように避けるだけとは情けない!」
そんな重く鋭い打撃の暴風雨に、金獅子はさらに太い煽り言葉を混ぜる。
自慢の剣技はどうした?
臆したか?
軟弱者か?
攻撃を捌き、かわすたびに、大祭主はそんな挑発の言葉を浴びせられ続ける。
しかし、その手は食うかと、努めて冷静に攻撃を凌ぎ、煽り言葉を受け流していく。
「うるっさいわ!!!」
だがさんざんに浴びせられた挑発についに耐えかね、怒鳴り返しつつの反撃。
金棒を弾き、トゲを絡めて落とさせる。
激しながらもさすがは剣技自慢の大祭主。鮮やかな手並みである。
しかしさんざんに煽り誘いをかけていただけあって、金獅子の大公も惜しげもなく金棒を手放し、素早く拳に切り替える。
このゴリラの剛拳が大祭主の剣を掠めて弾く。
互いに徒手となった両雄はそのまま格闘戦になだれ込む。
丸太のような脚が空を切れば、お返しとばかりに足払い。
しかし獅子はわずかなぐらつきを踏みつぶして、巨岩のような拳を唸らせる。
それを潜り、懐に潜る大祭主だが、待ち構えていたヘビとトカゲの尾に気づいてしゃがむ。
「分かるわー……体も大きくて、長い尻尾やもう一組手足が合ったり。そんなタイプのデヴィルと殴り合うのは難しいのよね」
決定打が打ち込めず、翻弄されている節さえある大祭主の姿に、クレタレアはそのもどかしさを代弁するようにうなづく。
リーチと手数。そのどちらでも上をいかれている相手と格闘をするのは至難の業だ。
「ではどうしたら?」
「あらー? そんなの簡単な話よ。炎使いとは炎をぶつけ合わない。それだけの話よ」
娘の疑問にクレタレアが答えると同時に、大祭主は術式を展開。
百式二陣が生み出した無数の土の槍が、檻を成そうと金獅子大公に襲い掛かる。
そう。わざわざ相手の有利な状況に飛び込まず、魔術で勝負をつけてしまえばよい。
だが金獅子はその剛拳で、己を捕えようとする檻を砕き破る。
「拳だけでッ!?」
「いや、拳にまとわせた術式で、でありますよッ!? 力づくには違いないでありますが、魔力込みであります!」
鍛え上げた肉体とこれまでに見せた腕力の迫力に呑まれたミケーネの誤解を、パルシオネが即座に訂正する。
「ああ!? 大祭主さまが!?」
「なんとッ!?」
そんな一言よそ見をしていた間に戦いは次の局面へ。
息を呑み顔を上げるフェブルウスの視線を辿れば、そこには今まさに土塊傀儡に飲み込まれる大祭主の姿が。
しかしすぐさま大祭主は土傀儡を内側から砕き脱出して見せる。
だがそのために砕かれた破片のいくつかが、観戦席にまで飛んでくる。
その中には、パルシオネとクレタレア一家に向かって来るものも――
「えいっ!」
それはクレタレアが拳から打ち出した術式が空中で消し飛ばす。
「せいやぁッ!」
そしてほど近く、対応しきれずにいた者たちに向けてのを、パルシオネが撃ち落とす。
「あ、ありがとうございます……!」
なす術もなく負傷するはずだった者たちからの感謝に、パルシオネはなんのなんのと肉球を向ける。
「さすがね。パルちゃん」
「いえいえ。わたしたちのところに来る分は先輩が何とかしてくれる。それが分かってたからこそ、できたことであります」
公文書館勤めの先輩後輩は平手と肉球でハイタッチ。互いの手際と連携を称える。
だがパルシオネたちだけでは、当然守れる範囲は限られる。
パルシオネたちのいる席近くはともかく、観戦席のそこかしこで負傷者が出ているようである。
しかし魔族の試合がそんなことで中断されるようなことがあるはずもなく、対戦場からは雷鳴のような咆哮が轟く。
その声の主は昂揚した金獅子の大公……ではなく、大祭主が造形した黄金の虎たちである。
造形魔術で生み出されたものたちが争う横で、大公同士もまた術式を纏った拳のぶつけ合いへと戻る。
これに観衆たちも、巻き込まれて負傷者が出たことなどお構いなしに歓声を上げるのであった。