ご褒美を頂いてるはずなのに生きた心地がしなかった件について
「ああ……怖かった。怖かったでありますよぉおお」
クレタレア伯爵城の応接間。
パルシオネは爵位争奪戦での男爵位防衛を表彰されるため、恩賞会に参加した。
その後、クレタレアに招かれるままその居城に立ち寄ったのである。が、城に入って腰を落ち着けるや否や、恩賞会で味わった恐怖がよみがえり、尻尾を巻いて震えることになってしまったのだ。
「ひぃいい……白美女様、超怖かったでありますよぉお……あの目が、赤金の瞳がぁあ……」
その震えるほどの恐怖とは、恩賞会を取り仕切るデーモン族の女大公によるものだ。
「よしよし……怖かったわね。でももう大丈夫よ」
「よしよし」
そんな怯えるパルシオネを、クレタレアとフェブルウスの母子が頭や背中を撫でて慰めなだめる。
「あの方の不快な害虫に向けるような目が通り過ぎたら、まるで氷の刃で斬られたような感覚が……わたし、ちゃんと繋がってるでありますよね? 頭が上と下になってたり、腰からパルとシオネに別れてたり、なんてないでありますよね!?」
「そんなことないよ」
「そうよ、大丈夫。五体満足なパルシオネちゃんだから、大丈夫よ」
視線だけで輪切りにされるとかどんな特殊魔術か。
そんな風に笑う者のいそうな狼狽ぶりである。
だが、相手は異種族への嫌悪感を公然のものとしている、魔族の頂に君臨する八名のうちの一人。
絶対的な実力差のある相手からの嫌悪の目を間近で受ければ、床を水浸しにするものがいても不思議はない。
もっとも、かの女大公はデーモン族第一の美女であるため、震えが来るほど睨まれるのも、その手で八つ裂きにされるのも御褒美だというものもいるかもしれない。
だがあいにくと、パルシオネはデーモンを愛することはあっても、同性に恋する者ではないので、単純に恐ろしいだけでしかない。
そんなに恐ろしいのなら近づかなければいい。
その通りであるし、普段は身分の差もある上領地も違うので、近づくようなことになるのもまずありえないことであった。
だが今は魔王大祭。
地位を守る功績を上げれば、魔王陛下直々の表彰があり、その傍らで恩賞会を担う白の美女の御前にも出ないわけにはいかない。
「ううぅ……みっともないところをお見せしてしまったでありますね。だいぶ落ち着いてきたであります。ありがとうであります。先輩も、フェブくんも」
そうして震えながら慰められ続けてしばらく。落ち着きを取り戻したパルシオネは、深呼吸を繰り返しながらもクレタレアとフェブルウスへ笑顔で感謝を告げる。
それを受けて、クレタレアは柔らかな笑みでうなづく。
「それじゃあお茶にしましょうか。用意させてくるわね」
「ああ。そんな、先輩にだなんて申し訳ないであります」
下位として後輩として、パルシオネは腰を浮かせようとする。
が、クレタレアは微笑み首を横に振って、やんわりとムジナ女の肩を押さえる。
「いいのよ。私がパルちゃんをおもてなししたいだけなんだから、フェブとゆっくりしていて。いいわよねフェブ?」
「うん! まかせてよお母さま!」
クレタレアはパルシオネをイスに戻すと、息子に任せて素早く部屋を後にする。
「ねえねえ、パルちゃん、恩賞会でなにもらったの?」
母を見送るや、フェブルウスは興味津々といった風に、パルシオネが授与した表彰について尋ねる。
見せて見せて。と、せがむキラキラとした目に、パルシオネも恩賞会で味わった恐怖を忘れて微笑む。
「いいでありますよ。これが頂いた楯と、剣でありますよ」
爵位争奪戦の勝者七百十九名の中には、フェブルウスの父、アダマス子爵の名もあった。なんでも、クレタレア伯を下す前に未亡人にしてやろう、などと目論んだ者たちからの挑戦であったとか。
その結果は、アダマスが勝者として表彰されていることから、言わずもがなである。
そういうことなので、また後ででも褒賞の品を見ることはできる。
しかしパルシオネはそこのところを口に出すことなく、気前よく受け取った記念品をフェブルウスに渡す。
「わー……魔王さまの紋章が入ってる! カッコいいなー!」
褒賞の品を借りたフェブルウスは、それらを掲げもって見上げる。
「でもパルちゃん、これだけなの? せっかく挑戦されて勝ったのに?」
良いものだけども、ささやかすぎじゃないか?
そんな風に訴える少年の目に、パルシオネは仕方がないのだと首を動かす。
「勝って地位を得ること。それが争奪戦第一の褒賞でありますからね。普段は地位を守っても褒賞が出ることなんてないでありますから」
下克上を為した者をあまりに豪華な品で表彰しては、他の受賞者に対して得るものが多すぎる。
だから爵位争奪戦の勝者たちに対する褒賞は、控えめにされる向きがある。
それはこれからに控えた大公位争奪戦でも同じこと。むしろ七大大公間の序列争いでは、地位が変わるでもなく、高い序列に収まったところで褒賞はない。
数多の魔族の中で七名に限られた大公の地位にあることそのものが褒賞と言えば褒賞と言えるかも知れない。
「大祭の機会に日頃の働きを表彰する、というのもありまして、そちらでの褒賞ならまたなにかしら別の品だったかもしれないでありますが、あいにくそちらは選ばれなかったでありますから」
「えー? なんで? パルちゃん、司書さんのお仕事のほかに、宝物のかんていし? も、やってるのに……」
「魔族みんなに分かりやすく、納得される仕事、ではないでありますからね」
書物の価値を知る魔族は希少。宝物の価値を確かにする鑑定士は軽んじられるものではないが、宝物そのものを手がける職人ほど尊ばれるものでもない。
さらに、労働を厭わない魔族にとってすれば、この程度の兼業では表彰されるほどのものではないだろう。
パルシオネは発掘研究のために、休暇を度々に挟んでいるのだからなおのこと。
しかしフェブルウスは、納得いかないと不満顔。
「えー……魔王さまってばめずらしい本を探させたり、いそぎで持ってこさせたりしてるのにー……」
「いやまあ。それは確かにフェブくんの言うとおりであります。ありますけれど、それはあくまでも魔王様が個人的に寄越された仕事でありますので」
パルシオネは、その特殊魔術で保存用の写本を作成し、希少本を求める魔王陛下の命令を幾度となく果たしてきた。
しかしそれで表彰されては、選考基準があまりにも私的で、公平性に欠くように見られかねない。
弱者に遠慮してなにが魔王か。という考えもあるかもしれない。が、今上の魔王陛下はそのような君主ではない。
だがパルシオネは知る由も無いが、表だって表彰はしないまでも、普段のパルシオネの働きと、書に親しむ心が伝わっていれば、デーモン最高の美女と謳われる大公からの目もまた違った事だろう。
もっともそれがどのように違っていたかは、分かったものではない。
新たな魔王城の事で機嫌が良いこともあって、例外と許される可能性は大きい。
だが、そうではない可能性も無視できない。
結局、パルシオネが心安らかに恩賞会を終えられる保証はどこにも無かったのかもしれない。
「むうぅ……でも……」
それはともかく、フェブルウスはどうしても納得がいかないと唇を尖らせている。
「ありがとうでありますフェブくん。でも、わたしは不満は持ってないでありますから、ね」
そんな本人以上に不満を露にするフェブルウスに、パルシオネは微笑み肉球を乗せる。
「おまたせーお茶の支度が出来たわよー」
そこへ白磁のティーセットを運ばせながら、クレタレアが戻ってくる。
「ああ、申し訳ないであります」
「いいのよいいのよ。パルちゃんはお客様なんだから」
何か手伝いをと腰を浮かせようとするパルシオネを制して、クレタレアはてきぱきとお茶を注いでいく。
そうして伯爵が直々に淹れてくれたお茶をパルシオネは一口。
「あー……先輩のお茶はやっぱり美味しいでありますよ」
その豊かな香りと沁みるような温かさに、パルシオネはすっかり緩んだ顔を見せる。
恐怖に冷えきり強ばっていたのがなんだったのかと思えるようなタヌキ顔に、クレタレアはふうわりとした笑顔でうなづく。
「やっと調子が戻ったみたいで良かったわ」
「いやはや……恥ずかしい限りであります」
「仕方ないわよ。私だって大公閣下のどなたかに睨まれたら怖くてたまらないもの」
「……そんなのないよ!」
赤毛のおっとり美女とムジナ女の和やかな会話を、フェブルウスの声とテーブルを叩く音が遮る。
「あら、どうしたのフェブ?」
「そんなのない、と言ってもしかし、それは自分が大公様くらいに強くならない事には……」
強者に脅かされないためのもっとも単純な解決法。それは脅かしてくる強者よりも強くなる事だ。
だがそれは誰にも彼にも強いれる生き方ではない。
魔族と言えど、全員が頂点に至れる素質を持っているワケではない。
パルシオネもクレタレアも、爵位持ちという魔族の中でも限られたエリートであることは確かである。だが、その中でもほんの一摘み。頂点とそれに次ぐ七名にのし上がれる程ではない。
絶対強者たちから受ける脅威を覆す術は無いのである。
「パルちゃんがガンバってるのを知らんぷりにされるのなんて、そんなのないよ!」
しかしフェブルウスが我慢ならないと叫んだのは、強者に脅かされる事、ではなかった。
「そっち……で、ありますか?」
「あらあら……」
パルシオネがあっけに取られている一方で、クレタレアは息子の叫びを微笑ましげに眺めている。
「パルちゃん! いまからパルちゃんが表彰されるような大発見しにいこう!」
「え? ちょ、今からでありますか!?」
恩賞会が始まってしまった以上、今から、というよりはむしろ、今さらと言うべきである。
「そうだよ! いかなきゃ!」
だがフェブルウスの勢いは止まらず、パルシオネの袖を引っ張って連れ出そうとする。
「待ちなさい、フェブ」
「……お母さま」
そこへクレタレアが静かな声音で待ったをかける。
これにはフェブルウスもパルシオネを引く手を弱める。
「パルちゃんがお茶の途中でしょ? 待っていなさい」
「はーい!」
「せ、先輩もそっちであります!?」
しかしその後に続いた言葉に、フェブルウスは素直に従って、パルシオネは堪らずにひっくり返りそうになったのであった。




