逃がしちゃならんものに逃げられた!
「ほーら、がんばれ、がんばれ」
豪華な玉座の上で手拍子交じりに声援を送るのはショテラニーユ大公、を演じるレオナールだ。
「ほらほら、どうした? 数に頼ってるのにまるっきりじゃないか? もっと頑張れ頑張れ」
軽い調子で投げられる言葉は、表面上はともかく実際には挑発であり、反骨心をくすぐろうとからかい煽ろうとしてのモノだ。
そんな挑発声援を浴びせられるのは、アコマニ伯役の巨漢のデヴィル……ではない。
彼の回りを走り回る人影たちだ。
頭一つを乗せた胴体から一対ずつの手足を生やしたそれらは、シルエットとしてはデーモンのようである。
だが、枯れ枝を寄せ集めたかのようにみすぼらしく弱々しいそれらが、デーモンの筈がない。
「どうしたの? この土地を魔族から奪い取るんじゃ無かったのかい? ねえ、ニンゲンたち?」
そう。
レオナール演じるショテラニーユが言うとおり、この枯れ枝のようなモノたちは人間、を表す幻影だ。
魔族の中で、人間に寛容を示す者は少数派だ。
もっとも、同じ空気を吸うのも我慢がならない、というほど極端なのも稀であるが。
特に現代は魔王陛下の意向もあり、無関心、というのがおおよそのところだろう。
それでも、嬉々として人間のフリをしようというのはやはり変わり者だろう。役者であっても、これだけは、と嫌がる者もいるのだ。
そこで幻影である。
幻術で生み出した影であれば文句も言わず、うじゃうじゃといる人間らしく数を揃えるのも楽だ。人間ごときを表現するのに、手間が少ないのもいい。
そんな幻影で表現された人間たちは、巨漢のデヴィルに一斉に飛びかかり、それ以上の勢いで吹き飛ばされる。
あるものは旋風に呑まれ、あるものは弾けた火を浴びて。
冬の山火事に見舞われたかのように、幻影人間たちはなす術も無く薙ぎ倒され、散っていく。
やがてアコマニ役の巨漢がひときわ大きく腕を振るうと、炎の竜巻が大蛇の如くに這い回り、残る幻影人間たちを一呑みに平らげる。
「うん、いいね。いい余興だったよアコマニ。ただ、もう少しばかり遊んであげても良かったんじゃない?」
「あれ以上続けてたら義兄さんも退屈してたでしょ? もう、人間の子どものフリしてここまで案内するなんて、なにやってるの?」
「ちょっと髪と瞳の色変えてみたら、あいつら全然気づかないものだから、面白くなっちゃってつい、ね。いや、久しぶりでなかなか面白かったよ。弱者のように振る舞うのは。“ボクは哀れな囚われの身ですよー”なんてね?」
「久しぶりって、そんな弱い風な振る舞いしたことないじゃない」
「そうだっけ? まあそんなことより、色を戻して正体知らせた時の反応は傑作だったよね? お前も見たろ? あの顔。同族の少年だと思ってたのが、まさかまさかの魔族で大公だと知った時のあの顔!」
「あんなのでも勇気を振り絞って挑んだんだから、あんまり笑っちゃ可哀想だよ、義兄さん」
むき出しの膝を叩いて笑うレオナール・ショテラニーユに、アコマニ役は腕を組んで嘆息する。
「勇気? あれは無謀と言うものでしょ? まあ、無様に逃げ回らなかったのは称えていいかもね。そんなの興ざめもイイトコだから」
だが義弟の言葉をさらりと流すと、ショテラニーユになりきったレオナールは上機嫌な高笑いを響かせる。
「いいわあ。永遠に幼い風貌と、残虐なイタズラ心……いいわあ」
そんなショテラニーユの演劇を見て、赤い雫を垂らして御満悦なのは劇団の持ち主であるスカディ侯爵だ。
ここは魔王直轄領内にある、所有者のいない城。
大祭の間は主に芝居の舞台として利用されているばかりのこの城に、パルシオネはスカディに招かれてやってきているというわけだ。
「……侯爵様、鼻血が出てるでありますよ」
「あら、ありがとう」
パルシオネの指摘を受けた侯爵は、その形の良い鼻の下と、大きくさらけ出された豊かな胸を濡らす血をいつものように拭い取る。
胸元の広々と空いたドレスを好んで着ている侯爵であるが、スタイル自慢以上に、鼻血対策としての意味の方が強いのだろう。そうパルシオネは思っている。
「失礼、男爵。アコマニ伯の手記から見つけてくれたエピソードだけれど、私コレ、かなりのお気に入りなのよ」
「それは何よりでありますよ」
まだ垂れる鼻血を抑えつつ微笑みを降らすスカディを、パルシオネは見上げてうなづき返す。
いま上演されていた場面は、アコマニ手記にあった思い出話のひとつである。
たまたま伯爵城に泊まっていたところに、潜入してきた人間を見つけて、先のように遊んだのだという。
「特に、「義兄さんなんで人間のフリ? 意味が分からない!」って動転するアコマニと、「助けて! ボクをお兄ちゃんだなんて呼んで抱き締めてくるんだ」なんて楽しそうにふざけ続けるショタちゃまのシーンは最高だわ……あ、また鼻から……」
そのあたりは観客が笑いで沸くところである。が、うっとりと鼻血を溢れさせるような見方をしているのはスカディくらいなものだろう。
「ええ、幻影人間の反応も細かくて滑稽になってるであります」
パルシオネが言うとおり、ショテラニーユの言動に翻弄される幻影たちが大いに転げ回る様も、また観客から拍手と笑いという称賛を誘う一因となっている。
「しかしながら、私としましては、こうして人間をもてあそんだと言う話は少々意外でありました」
パルシオネが知る限り、ショテラニーユには人間に慈悲を垂れたエピソードがあり、その慈悲を受けた末裔たちも存在するのだ。
そうした話を知っているからか、パルシオネはショテラニーユが人間に対して友好的なのだろうと思い込んでいた。
しかし振り返り見るに、同じく人間たちを救ったエピソードでも、彼らを攻め滅ぼそうとしていた人間たちを躊躇なく殲滅している。
さらに加えるなら、敬礼を制定した下りでも、怯える侍従を追い詰めたりもしている。
決して弱者をなぶることを嫌っているというワケではないのだ。
分かっていたことではあるが、改めて勝手なイメージを正されたエピソードでもある。
「つまり、寛大さと残忍さをあわせ持ち、その時その思いのままに振る舞う、と言うわけね。なんとのびのびとしたお心なのかしら……尊い……」
そうしてスカディは再びうっとりと鼻血を垂らす。
なるほどスカディの言うとおりなのだろう。
寛大で慈悲深いのは間違いない。そして残虐残忍なのもまた真。
気まぐれと好き嫌いに合わせて心のままに動いているだけ。
まさに欲求に素直な、上位魔族らしい魔族だと言える。そう見ればむしろ、非常に穏やかで寛大な部類に入るほどだ。
「ああ、どうしてこの時代にいてくれなかったのかしら、ショテラニーユ閣下……そうすれば間違いなく記名投票しましたのに……」
ふとスカディはうっとりととろけていたいた顔から一転、悲しそうに眉を下げてため息を吐く。
「ああ、美男美女の……ショテラニーユ様の時代に開催されたものの結果では、三十名の中に入っていたであります。確か順位は……第五位だったでありますね」
幼げな風貌と、確かな魔力の強さとのギャップ。そして当時最も著名な美少年系ということで、その筋の票数を一手にかき集めたがゆえのこの順位だということだ。
しかし、その筋からの票を一点収束したとはいえ、やはり見た目が幼すぎるということで、そもそもの絶対数が少ない。
そのために、正統派な美男子たちを越えるほどには至らなかったようだ。
なお、この情報も公文書としての記録は散逸していたため、関連人物の手記から得たものである。
美男美女コンテスト関連の記録が守られなかった。このことからも当時の魔王城の崩壊の激しさが推して知れるというものである。
「そうなの? 見る目がなかったのね」
それはともあれ、スカディはショテラニーユのコンテストの結果に対して不満を隠そうともしない。
しかし、一人のファンとしては無理もない反応だろう。
実際、当時のコンテスト結果を書き残していた大公も、上に名を連ねた者たちへの、遠慮無い罵詈雑言を紙面に刻みつけるほどに荒ぶったほどだ。
それを思えば、唇を尖らせて不満をこぼすスカディの姿は、誰もが見上げる超長身に対して幼すぎるものであるが、かわいいものでもあった。
いま侯爵が不満のままに暴れたとしたら、巻き添えをくうのはパルシオネに違いないので、ムジナ男爵にとってはありがたいことでもある。
「はあ……ドコかにいないものかしら……強くて美しい合法ショタは……ショテラニーユ様の再来、とまで贅沢は言わないけれど」
だがその言葉にパルシオネはギクリとなる。
ショテラニーユの再来。
この称号を佩剣の一部から授かったデーモン少年はいるのだ。
もしそれをスカディ侯爵が知ったとしたら?
フェブルウスを拉致してでも手元に置こうと画策するかもしれない。
そして、それを阻もうとするクレタレアとアダマス、合わせて伯爵に味方するだろうパルシオネを殺害。
これは飛躍に飛躍を重ねた最悪の予想ではある。
しかし、絶対にあり得ない。そう笑い飛ばせる話ではない。
だがショタ大公の再来というのは、得意分野の個性と、成長につれて解き放たれるだろう潜在魔力だけの話。そのはずである。
第一、父親のアダマスはかなりの巨漢であるし、クレタレアもそれなりに背はあるのだ。
その息子が小柄なはずはない……はずだ。
「……フェブくんは、普通に大きくなるでありますよね?」
そんな願いを持って、パルシオネは封じている邪竜の瞳にひそひそと。
「……何の話をしているのかしら?」
しかしその答えを受けとるよりも早く、内緒話がスカディの耳に捕まる。
「あ、いや……そのー……なんと申したものでありますでしょうか……」
どう誤魔化すか。その答えを、すがれる何かを探すように、パルシオネは目を泳がせる。
「うん? 私には話せない事、なのかしら?」
しかしそれを見透かしているかのように、スカディは高いところにある首を傾げて、パルシオネを見下ろす。
頭の上から抑え込まれるかのような威圧感。
これにパルシオネは、タヌキの口からうめき声を漏らす。
フェブルウスと邪竜の瞳の一件を詳細まで赤裸々に聞かせてよいと思えるほど、スカディを信頼することは出来ない。
しかし、だからこそつまらない嘘で不興を買うことも避けたい。
そしてどちらにせよ、早く答えなくては結局のところ不興を買うことになる。
焦り、迷った末にパルシオネが口に出した言葉は――。
「ショテラニーユ様由来の素晴らしい魔道具を手に入れていたので、それに見た目的な意味で見どころがあるのが探せないものか。と訊いていたのでありますよ」
苦しい誤魔化しである。
かろうじてひどく外れた嘘ではない。が、それでも苦しいものだ。
「へえ、そうなの? 見せてもらっても?」
だが侯爵はそれを見抜いているのかいないのか、ただ無造作に邪竜の瞳を見せて欲しいと手を出す。
「もちろんであります」
それにパルシオネが否と言えるはずもなく、邪竜の瞳に施した封を開いて差し出す。
が、手渡そうという瞬間に、スカディは求めて伸ばした手を引っ込める。そして手渡すつもりで緩めたアナグマの手から落ちた宝玉は床に向けて真っ直ぐに。
「おわっとぉおッ!?」
落ちていく宝玉をパルシオネはアライグマの尻尾で掬い、跳ね上げる。
そして弧を描いて落ちてくるそれをパルシオネは肉球で受け止める。
「な、なにをするのでありますか!?」
何かと問題のある品ではあるが、無二の価値を持つ宝玉である。手から床に落ちた程度で壊れることはないだろうが、だとしても落とそうとするなんてあんまりだと、パルシオネは声を上げる。
だが、その勢いはすぐに失われる。
スカディが慌てて引いた手を抱いて、血の気の引いた顔をしていたからだ。
「……どう、したのでありますか?」
「アナタ、よくそんなものを平気で持てるものね……」
躊躇いがちに尋ねるパルシオネに、スカディは信じがたいものを見るような目を向ける。
それを見てパルシオネは思い出す。
邪竜の瞳もまた、非常に強力な魔武具の一部であった、と。
「いやあ、わたしは最初から自分で使うつもりが無いからか、魔武具から威圧感を感じることが無いのでありますよ」
そしてドヤアと鼻息を吹き出す。
いささか無理な感はあるが、このまま話の流れを変えようと、パルシオネは得意げに振る舞う。
「しかしこのままでは、他の皆さまを怯えさせることになってしまうでありますから、早いとこ封を……」
そうして受け止めた宝玉に封印を施そうとしたところで、パルシオネは違和感に気づく。
「あれ? どこへ行ったのでありますか?」
確かに受け止めたはずの邪竜の瞳。それがむき出しのまま忽然と消えてなくなっていたのだ。